日蓮本仏論考2013年05月31日

日蓮本仏論考1:先日読んだ落合著『数理神学』に刺激されて、日蓮本仏論についてつらつら考えている。日蓮門流の興門派や創価学会に連なる系譜では、日蓮を末法における本仏と捉える。これは教学・神学の論理として考える時、「十字架のイエス」神学と類似の論理構造をもっているのではないか?http://tnakano1947.asablo.jp/blog/2013/05/25/6822990

日蓮本仏論考2: 大乗仏教的に言えば、一切衆生は成仏できる。その根拠は仏性または仏種が一切衆生に内在しているからである。それを仏陀の永遠性や久遠仏という仏身論としても展開される。「仏性の遍在」「久遠仏」論は、キリスト教神学における神の遍在・無限性に対応するではないだろうか。


日蓮本仏論考3:他方、歴史的に実在し、龍ノ口法難では首を切られかけて佐渡に流罪になった生身の日蓮がいる。興門派の日寛教学では、その日蓮が末法今時の本仏であるとする。普遍的存在としての久遠仏の再誕と捉える。神の子イエスと類似の論理構造と感じる。落合先生に数学的に解明してほしいと願う。