島薗進『宗教を物語でほどく』(NHK出版新書、2016年)を読む2016年10月08日

島薗進『宗教を物語でほどく』(NHK出版)を読む。畏友・島薗さんの著作は多いが、本書は特に多くの啓発を受けた。アンデルセンから、放蕩息子の話など聖書や法華経の中の類似の物語、現代日本では石牟礼道子や遠藤周作までカバーしつつ、「死」「弱さ」「悪」「苦難」をテーマに語っている。

本書の全体テーマは、弱さ、死、苦難など様々な宗教に一貫して流れていた主題が、現代ではこれらの物語の中にこそある、ということでしょう。人は物語を読み、その世界に入り込んで、苦難などを乗り越えていく力を確かに得ている。その意味で物語は生きた宗教と言えます。

彼が若い頃から物語が好きで耽溺してた頃もあった等、著者の優しい人柄や人生もかいま見え、成る程なと納得する事も多々あった。彼の宗教学も、語り、教理など言説に焦点を当てたものが多いことも理解できた。勿論ここで語られた物語を(もう一度)読んでみたいと触発されたのは言うまでもない。

取上げられた本の解説や宗教性の抽出という著者の意図とは別に、本書から島薗さんの死生観、人生観、生き方を、それぞれの物語を借りて語っているように感じた。その意味で、彼の「語り」を、肉声を、直接聞いてみたくなったことは言うまでもない。おそらく、文章化されたものより、肉声での語りの方が魅力的であったでしょう。

本書で私が最も啓発された点は、むしろ物語こそ宗教である、物語から宗教が生まれたのではないかという着想である。近年、私は人類の進化と進化心理学に関心をもって宗教の誕生の秘密を考えているが(http://www.iisr.jp/journal/journal2014/Nakano.pdf)、言語を獲得した人類は様々な経験や考えを言葉で語り、仲間や後生に伝えていった。断片的な語りはやがて壮大な物語となって神話へ、宗教的物語へと発展していったと考えられる。

物語の魅力は、その世界に読者を誘い、あたかもそこに生きているかのように追体験させる点にある。宗教の世界も同様ではないだろうか。天地創造に始まる旧約聖書の物語、法華経の地球の倍ほどもある宝塔の出現、夥しい菩薩の大地からの登場など、ある意味、奇想天外で想像を絶する物語も、あたかも真実・現実であるかの雰囲気で記され、専門家によって朗唱され、そして神聖化や儀礼によって人々をその世界に誘い、そこに生きさせるのである。現代にまで続く宗教となるなためには、さらに聖典や典礼、専門家としての聖職者、教義体系、壮大な建造物など様々な装飾物が付け加えられていくのだが、原点は、物語であったのではないだろうか。

宗教は物語そのものであり、物語から生まれたのである。この仮説を、どのように証明するか、至難の業ではあろうが。島薗氏の著作から、大きな着想を得たことに感謝したい。啓発的な良書とは、このような本をいうのであろうか。