島田裕巳『性と宗教』(講談社現代新書、2022年1月刊)を読む2022年03月21日

島田裕巳『性と宗教』(講談社現代新書、2022年1月刊)を読む
                                 2022.3.14 中野毅

 宗教に関連する様々な領域において、旺盛な執筆活動を続けている島田裕巳氏であるが、古くから問題とされてきたにもかかわらず、何となく躊躇されてきた印象のある「性と宗教」について正面から切り込んだ一書を刊行したので読んでみた。

 ここでの性とは、文化的社会的に形成された性差としてのジェンダーはなく、行為としてのセックスであり、生物学的な性です。なぜ、それが問題となるかといえば、仏教では「不邪淫戒」を説き、妻帯しない出家(妻帯が常態化している日本は特殊)を尊重し、キリスト教ではカトリックの聖職者独身制などが知られていて、宗教では「禁欲」、すなわち性的欲望を抑えることが望ましいと宗教一般に考えられているという印象があるからである。その一方では、宗教界における性をめぐるスキャンダルが絶えない。それは何故なのか、宗教的規制が不十分なのか、もはや時代にそぐわないのかなど興味が尽きないテーマではある。

 本書では世界の主要な宗教、すなわちユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教、仏教、ヒンドゥー教、神道などを取りあげ、性的欲望をどのように規制しているかを比較しながら解説している。新書ながら、この大きな問題を包括的に捉えた点で、なかなか意欲的であり、傑作と言える。以下、筆者が関心を抱いた点を中心に紹介する。

第1章は「なぜ人間は宗教に目覚めるのか」と題して、人間が宗教によって禁欲を命じられているのは、性欲をもち、かつ他の動物が年に一度の繁殖期に性行為をし、子孫を残すのに対し、人間は一年中性欲をもようし、性行為を行う動物であることを出発点においている。この事は筆者も重要だと常々考えている。
 また人間が言語を発達させたことが、現実に存在しないものまで概念化し、その言葉が独り歩きを始め、神や仏など超越的存在を実在するかのような世界を生み出した。
 宗教心理学のジェームス、スターバックの研究から思春期に宗教的回心が起こることに注目しているが、それは主としてアメリカにおける福音主義キリスト教においてであること、日本やイスラム世界にはあり得ないとしている。
 本書のよさは、性についての態度を主要な宗教を比較しながら検討しているので、普段、比較宗教学などを教えていても見逃してしまう事を気づかせる点にある。その最たる事が、性を否定的に捉え、禁欲を是とするのはキリスト教と仏教の一部のみであるという事実である。宗教はおしなべて禁欲を説くものと思い込んでいたことが、誤りだと気づかされた。

第2章で主にキリスト教が性を否定的に捉える理由を解説している。それは「原罪」の考えがあるからで、その発想は同じ一神教でも、母体となったユダヤ教、そしてユダヤ教の影響を強く受けて成立したイスラム教にはない。しかもイエスの福音書とされるものやパウロの書簡にもなく、つまり初期キリスト教にもその発想はなかった。原罪論を強調するようになったのは、教父アウグスティヌス(354-430)の影響だという。彼はもとはマニ教徒だったが、愛欲生活に溺れた末にキリスト教に改宗し、原罪を強調するようになったという。人間は誰もが生まれながらにして罪を負っている。人は罪人であり、あるいは必ず罪をおかす存在だという原罪論は、自己を反省する契機にもなるが、人間性を否定することでもある。そのような原罪の教義が公式の教義になったのはAD529年のオランジュ公会議においてであり、イエスが死んでから約500年も後のことである(56頁)。その背景には、初期キリスト教には「イエス(神)の再臨」は間近く、この世の悪が裁かれる「最後の審判」が行われるという観念が強かったが、いつまで経っても神は再臨しなかった。そこで教会の存在意義を強調するため「原罪」を強調し、それを許す「贖罪」の権能を唯一保有していることを「七つの秘蹟」の保持者=キリスト教会であると宣言し、存在意義を示したのである。
 従って、その後は「贖罪」のための行為が重視され、十字軍への参加も贖罪のためとされ、また現在まで続いているカトリック教会における「告解」もそのためである。

 第3章、第4章では主に仏教を扱い、3章は戒律の復興運動に力を入れ、真言律宗の事実上の開祖として知られる叡尊(1201-90)が、実は「破戒僧」の子だったことから筆を進め、仏教は出家者を主たる担い手としているため五戒を基本に具足戒として細かい禁欲的戒律が定められており、日本でも「僧尼令」(養老2,718年)で僧坊に異性を止めることを禁止したが、日本仏教界では破戒が広く行われていたことを描いている。
 4章では原始仏典に遡り、スッタニパータに不殺生戒、不邪淫戒、不飲食戒など五戒が説かれているが、その理由はさほど明示されていない。それは釈迦以前のバラモンからの伝統でもあったためでもあろうが、仏教において「愛欲が人間苦の根本」であり、仏教教団における戒律制定の嚆矢をなすものはこの淫戒である等の説を紹介している。また仏教と並んで発展したジャイナ教においては不殺生戒と不邪淫戒が強く結びつき、妻との性交も女性器にいる微生物、細菌を殺す恐れがあるとして禁じる主張があるなど、その徹底ぶりには驚愕する(110-114頁)。

 しかし、このような傾向が宗教一般に見られるわけではないと主張するのが本書の特徴でもある。第5章では性行為に価値をおく宗教として道教をあげ、エリアーデの論を活用しながら房中術を解説し、それら性の技法がインドの左道タントリズムが開発したヨーガの影響を受けていると指摘している(123頁)。この左道タントリズムがヒンドゥーのシヴァ派の一派で性力(シャクティ)を重視しており、オーム真理教が説いた「クンダリーニの覚醒」へとつながっていくことも明らかにした。
 後半では、仏教における密教も性の快楽を肯定しているものとして説明し、中でも『理趣経』において性的欲望を全面的に肯定し、むしろ完全に清らかなものとされているという(131頁)。そしてこの理趣経を日本にもたらしたのが空海であり、最澄が貸して欲しいと求めたのに空海は断ったが、それは余りに過激な内容だったからだろうと興味深い説を述べている(132頁)。
 総じて、密教は顕教における禁欲的修行では真の悟りには達し得ないとして、顕教の考え方を完全に覆す方法による悟りをめざした宗教であるという。

 第6章でイスラムについて詳細の論じ、ユダヤ・キリスト教とならぶ一神教であるが、むしろユダヤ教の影響が強く、ユダヤの律法に似てイスラム法が重視され、原罪の教えはない。衆知のことだが創唱者ムハンマドは俗人であり、神の教えを広める預言者という位置づけであること、彼が神から受けた啓示がコーランに纏められ、彼の命令や生活における教えはスンナとしてイスラム教徒の生活において重要な意味を持つことなど整理されている。面白いのはムハンマドが性欲旺盛で9人の妻を持って、一晩で全てと交わったとか、性行為そのものについてタブーは見られないこと、ただ性交の後には精液が残っていないように「浄め」てから礼拝することなど、神の前での清浄が求められたことなどが指摘されている。
 信者がなすべき信仰告白や礼拝、断食、喜捨、巡礼の5つの宗教行為(5行)が定められているが、それらを実行すればキリスト教のように自らの罪深さを自覚することも求められないし、仏教のように煩悩を自覚する必要もない。

 第7章は日本仏教でも性を否定しない宗派として親鸞と浄土真宗の発展を取りあげている。親鸞について島田氏は『親鸞と聖徳太子』(角川新書)を書いている。結局、親鸞が妻帯した理由を本人は何処にもしるしてなく、聖徳太子から授かったとされる「女犯偈」も歴史的事実としての信憑性は弱い。ともかく事実として親鸞は女犯をし、恵信尼と結婚したことは、彼女の日記から明らかであり、公然と妻帯する親鸞の生き方が、後の真宗の発展に決定的な影響をあたえたとする。典型的なのが蓮如であり、死別によるのだが5回結婚し、13人の男子と14人の女子を儲け、このうち早逝したのは2人だけだった。蓮如が最後に子供をもうけたのは亡くなる前年に83歳の時だったというから驚きである。そして、これら男子は寺の開基となり、女子は寺などに嫁いで真宗のネットワークを拡げる上で大きく貢献したのが、浄土真宗発展の一大要因としたのは興味深い。かくして全国に門徒を拡げ、多くの寄進を集めて膨大な財力と権力を獲得していったことが、江戸時代においても僧侶妻帯が許された要因のようだ。

 第8章は中世に仏教と習合した神道では、性の問題はどう扱われるか検討している。何より面白かったのは冒頭で、日本の民俗学の泰斗たちの性への関係でした。柳田は性についてはまったく触れず、南方熊楠は強い関心をもち、少年と同辱した経験をもつという。折口信夫は同性愛者だった。
その折口が執筆した代表的論文に「大嘗祭の本義」(1930年)がある。天皇が代替わりをする最重要な儀式である大嘗祭の諸儀礼のなかで悠紀殿と主基殿に敷かれている褥に注目し、そこで天皇霊と性行為を行うと解釈したのである。筆者は単純に、そこにおいて天照大神と交わるという象徴的な行為を想像していたが、折口の説ではもっと生々しく、かつ男色ともとれる行為を考えていたのではないかというスキャンダラスな説を展開している(208頁)。そのほか古事記や本居宣長、平田篤胤などの解釈、源氏物語などをあげながら、日本の神道や伝統文化には性を抑圧しようという発想は認められないとしている。

 第9章は「なぜ処女は神聖視されるのか」というタイトルで、キリスト教を再び取りあげ、処女マリアのイエス・キリストの受胎ほどスキャンダラスで問題を多く含むテーマはないと論じている。初期キリスト教や福音書などではマリアのことは余り深く触れられていないが、アウグスティヌスの影響で「原罪」論が6世紀に公式の教義となったため、マリア、およびその受胎を教義上どのように扱うかが次第に問題となった。そしてマリアの受胎を「無原罪の御宿り」、すなわち神がマリアに宿った瞬間からマリアは全ての罪から免れた「無原罪」の存在になったとする説が誕生した。それは9世紀フランスのコルビー修道院長ラドベルトウスから始まり、12世紀のイングランドの神学者エアドルメルスは神学的に裏付けようとした。しかし、この「無原罪の御宿り」がカトリック教会の正式の教義になったのはかなり後の教皇ピウス9世の回勅(1854年)によってであり、その背景に19世紀のマリア崇拝ブームがあるという。筆者としては、このマリア崇拝ブームが何故起こったのかに、特に興味をもった。
 他方、イスラム教には原罪の観念はなく、性に対する禁忌はないが、ムハンマドは処女との結婚をより好ましいものとしていたこと、さらに2001年の同時多発テロの首謀者であったウサーマ・ブン・ラーディンが出したジハード宣言で「殉教者たちは天国に召され、72人の純粋なる楽園の処女たちと結婚できる」という一節を取りあげ、イスラム教でも処女を高く評価していること、処女への憧れが殉教としてのテロ行為まで引き起こした可能性も指摘している(後者への疑問は残るが)。しかし、イスラムでは特定の処女を聖人化したり崇拝することはない。
では何故、キリスト教ではマリア崇拝が起こったのか?島田氏は、イスラム教では神の慈悲深さが強調され、あらゆることを許してくれる存在だと繰り返し説かれるが、キリスト教の神やイエスは到底慈悲深いようには見えない。そこで登場したのがマリアだ。福音書ではほとんど語られていない彼女が、やがて聖母子像などのように彫刻や絵画で幼子イエスを抱く、優しく慈悲深い存在としてクローズアップされたのだという。こうしてイエスは後景に退いて「暇な神」(エリアーデ)になり、「父なる神、神の子イエス、母マリア」という新たな三位一体が形成されることになり、そのためにはマリアが処女であり、原罪を免れていることが重要だったという(243頁)。

 おわりにでは、全体の簡単な整理をした上で、「宗教は本質的に男性中心主義」であり、仏教は約2500年前、キリスト教は2000年前、新しいイスラム教でも1400年前に誕生したものである、それらの宗教と性の関係は現代にそぐわなくなったと指摘している。また人間の特異な性のあり方が、宗教という人間特有のものを生みだし、その力で性をコントロールしてきた。しかし現代での性のあり方は宗教がコントロールできなくなっている。性と切り離された宗教は、綺麗事になるだろうが、本質的なものではなくなっていくと結んでいる。

 新書なので簡単に紹介しておこうと思ったが、大きなテーマであり、各章の内容も極めて興味深いので予定以上に長くなった。しかし、要点や私が関心をもった点は整理できた。
 本書で特に注目したのは、性と宗教を論じる際に、人間の生物学的特徴として指摘される「性欲が一年中あり、常に性交が可能な点で他の動物とは大きく異なる」という事実、また言語の獲得が宗教の誕生に決定的な意義をもっているなどの指摘から始まっている点である。これらは評者(中野)が大学院時代に故・井門富二夫先生から教えられたアルノルト・ゲーレンの哲学的人間学、またその後の進化生物学などで展開された論であり、私も幾つか論考を書いている。関心のある方は以下を参照して欲しい。

1. 中野毅「人類進化と文化の形成 ─現代人間学考2─」『創価人間学論集』第4号、2011年3月、27-55頁。
https://soka.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=36531&item_no=1&page_id=13&block_id=68

2. 中野毅「進化生物学・認知科学の発展と宗教文化―人間学考3―」同前、第7号、2014年3月、1-22頁。
https://soka.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=36543&item_no=1&page_id=13&block_id=68

3. 「学術動向:宗教の起源・再考―近年の進化生物学と脳科学の成果から―」2014.3.4『現代宗教2014』)(公財)国際宗教研究所、251-285頁。http://www.iisr.jp/journal/journal2014/ 
(1、2の論文を簡潔に整理したもの)

 ゲーレンの主張は、人間以外の動物は特定の自然環境に身体的に適応しながら生きているが、人間は生物形態学から見れば、むしろ一定の自然環境に適応する上で必要な特殊器官(体毛や甲殻などの保護器官や牙などの攻撃器官等々)が欠けており、動物一般に見られる機械的な適応本能が欠けていると考えざるを得ない。その意味では人間はヘルダーの言うように本能の機能としては「欠陥生物」であるという。その代わりに、人間の頭脳は特殊化の極限に達しており、人間は頭脳を駆使して、未来を予見し、計画に基づいて現実を変化させる「行為」を遂行することができる。この「意識的な」行為によって、変化させられた、ないしは新たに作られた事実と、それに必要な手段との総体が「文化」である。人間は行為によって自然環境を変化させ、人為的に「形成された自然」圏、すなわち文化圏の中に生きるのである(ゲーレン, アルノルト, 1999年『人間学の探求』紀伊國屋書店、復刊版(1970年邦訳初版)、32, 36-38, 91,125頁)。
 その本能的欠陥動物としての最たる特徴が、常に性欲をもようし性行為を行う事である。そのため人口も爆発的に増加し、いまや全地球を覆うまでになった。この旺盛な性欲をコントロールするため様々な婚姻規制や親族構造を構築していったといえる。
 また「言語の発達」も人間文化の大きな特徴であり、言語によって情報や知識、智惠の伝達、蓄積、世代間の継承が可能になり、今日の複雑で巨大かつ多様な文化構造を生みだしていった。またその言語によって現実には実在しない神や仏などの超自然的なものをさす言語がうまれ、それが「言霊」などとして一人歩きしだすのも人間文化の特徴である。その意味で宗教は人間文化の典型的なものであり、人間の誕生とともに宗教も誕生したと言われる所以である。
  本書では、新書の限度を越えるからだろうが、このような理論的背景については語っていない。しかしそれらを前提にしつつ、「性」のコントールを宗教が担ったという視点で書かれている。宗教の一つの機能として、それは十分に言える。ただ、それならば、「禁欲」を表だって強調しないイスラム教やユダヤ教、その他も何らかの性的規制を行っているはずであり、それらの分析はまだ十分とは言えない。
 細かい点では疑問に思う点もいくつかある。例えば「イスラム教には、・・・独身の聖職者はまったく存在していません(97頁)」のような雑な既述も散見する。そもそもイスラム教には聖職者はいない。またイスラムが一般に性に開放的なので、過激な行動を促す方向に作用している(246頁)とは単純に言えない。また死海文書の研究からマリアによるイエス受胎は正式な結婚の前であったとか、イエスは毒殺されたのであり、磔刑は単なる見せしめであって、実際に生き返ったなどと実に興味深い研究をしたバーバラ・スィーリング『イエスのミステリー』(NHK出版、1993年)などに評者はいたく感心したが、これらイエス研究やキリスト教史についての先端に必ずしも触れていない点、学問的方法論が不明など疑問点や不満はあるが、それらは今後、専門家の諸氏からのコメントを待ちたいところではある。
 しかし冒頭にも記したように、諸宗教に関する該博な知識をもとにして、「性と宗教」について新書版にまとめ上げた島田裕巳氏の学力筆力に改めて感銘した。普段は見逃していた問題点を気づかせてくださり、本書はまことに有益であった。

(この書評の全文pdfは下記からダウンロード出来ます。

https://drive.google.com/file/d/1xpN475eI6500bCbFWAEysaOWUV5sG66d/view?usp=sharing

南原繁研究会編『今、南原繁を読む―国家と宗教とをめぐって―』(横濱大氣堂、2020年6月20日)を読む2020年09月21日

  本書は2019年11月2日(土)、神田学士会館にて開催された第16回南原繁研究会シンポジウム「今 南原繁を読む―生誕130年に寄せて―」における講演、パネル・ディスカッションを収録したものであり、講演者はイスラム学者の板垣雄三氏、宗教学者の島薗進氏、ディスカッタントには伊藤貴雄、宮崎文彦、晏可佳の各氏ほかが登壇している。

発刊直後にご恵贈いただき、部分的には目を通していたが、ここ数年進めている共同研究【「占領と日本宗教」再考―連合国のアジア戦後処理と宗教についての再検討―(仮)】の共編著出版のための原稿を仕上げるにあたり、全体を把握したいと読破した。いやはや、その内容は痛烈で濃く、久しぶりに感動したので、お礼もかねてご紹介したい。

  南原繁(1889-1974)は、ご承知のように香川県で生まれ、1907年に第一高等学校に入学、1914年に東京帝国大学を卒業して内務省に入るが、1921年には東京帝国大学に戻って法学部助教授、その後、教授を経て、敗戦後の1945年12月に東京帝国大学総長に就任し、戦後の教育改革、新憲法の審議や講和問題などで戦後日本の建設に大きな貢献をした人物です。1945年前半の法学部長時代には、高木八尺氏らと英米を介した終戦工作にも携わり(本書136頁~にも詳述)、「天皇の聖断」による戦争終結を主張したのも南原だったと言われています。
 思想的には、一高時代の校長だった新渡戸稲造から大きな感化を受け、内村鑑三との親交によって無教会派クリスチャンとしてリベラルな論陣をはりました。フィヒテなどドイツ理想主義の研究を基礎に政治についての哲学的研究を進め、日本の「国体」の疑似宗教性を批判し、その成果を『国家と宗教』(1942年)にまとめました。
かの丸山真男も彼の弟子になるのですが、この南原繁を学問や思想、人生の師と仰ぐ方々によって、南原繁研究会は組織され、長年にわたって研究会やシンポジウム、出版を重ねてきた。それだけも敬意を覚えるが、この種の会がおおむね顕彰や賛嘆する類いのものが多い中で、南原の仕事、思索を内在的に捉え直すと共に、批判的学問的な検証も行うことにもやぶさかではないことが、本書によって示されている点においても、重ねて敬意を表したい。

  講師二人の批判的検証はなかなか読み応えがあります。

講演1.板垣雄三氏は、南原が改革した新制東京大学の第一期生で、その後も30年以上東大で教え続けたイスラム学者であります。彼はキリスト教とイスラムの歴史と競合、教理的展開に詳しい立場から、南原の『国家と宗教』を読み直し、彼のヨーロッパ精神史の捉え方がプラトン/アウグスティヌス/トマス/ルター/カント/ヘーゲル/ニーチェの系譜からマルクス主義とナチズムを位置づけ、日本国家・民族の針路を考究するという、現代からすると余りに狭い西欧中心主義の視点に捕らわれている点、イスラム文明との関係性抜きにキリスト教や欧米社会文化の発展を理解できない点、また南原のキリスト教の理解もその多様性やユダヤ教などへの顧慮がまったく欠落している点などを驚くほど鋭く批判しています。
 板垣氏の批判は、現在の学的レベルからは当然ですが、それだけでなく、当時すでに進展していた研究への目配りが足りなかったと、内在的批判になっているのが凄い点でした。

講演2.島薗進の「南原繁・無教会・国家神道」も鋭く、驚愕の事実を指摘しています。敗戦当時の日本の指導層が「教育勅語」の廃止に消極的であり、その影響で「政教分離」を指令し、国家神道の廃絶を命じた「神道指令」からも外されたことは周知のことだが、南原も例外ではなく、教育勅語は天地の公道を示したものと肯定的にとらえていた。それにとどまらず、彼は神権的国体論と神聖天皇崇敬もほぼ当時の政府見解に即して受容して、さほどの批判もしていなかった。「玉音放送」を聞いた南原は天皇の心情を思って落涙したとか、「天長節」を祝う演説で、一系の皇室を上に抱く日本が遠き昔から聖別して、天皇の「宝寿の無窮」を祝う日と述べるなど、神権的国体論を無批判に受け入れていたようです。
 新憲法の改正に対しても、南原は批判的で、それは余りにも西洋的であり、日本の統治権の独自性は、「日本古来から伝わり、今日に至るまで守られてきました、いわゆる神勅にある」(40頁)と論じ、「肇国以来」、神勅に由来する天皇の地位を尊ぶ国体が存在し続けたという認識をもっていた。国家が始まって以来、一度も変わっていない国体が日本の民族的共同性の核にあるものだというのです。従って、憲法改正によって西洋的な民主国家になるのは行き過ぎで、君民同治の日本民族共同体を形成すべきだという論を展開していたようです。そこには神聖天皇崇拝や神権的国体論が明治維新以降に造られたものという認識はうかがえません。西洋思想に依拠し、近代人としての自律・自由を尊ぶ政治理論を構築してきたはずの南原が、ここまで神権的国体論の立場を深く受け入れてきたのかと驚くような論の展開だと、島薗進氏は指摘しています(42頁)。

 そのほか興味深い諸氏の議論が満載です が、もう一つだけ紹介しますと、加藤節「南原繁と丸山真男」(174~184頁)です。丸山真男が南原の弟子筋にあたることは既に記しましたが、加藤氏によると、丸山の思想と学問は南原の対極、もしくは否定性のうえにあるという、これも刺激的な報告でした。南原が政治は「文化創造の業」の一つであり、教育や芸術と並ぶ一つの固有の領域と捉えるのに対し、丸山はそれは「暴力」や「支配階級の搾取の道具」というネガティブなもので、人間活動の諸領域に亘って働く力と考えていました。ファシズムへの批判では共通していましたが、南原は個人を超越すると共に「神の国」に連なり、「世界主義」に結びつく民族共同体の確立に賭けたのに対し、丸山は民族や国家に先立つ主体的な近代的個人の可能性を探究しつづけていました。その延長に、自由な個人の人格を重視する視点から天皇制を否定し、天皇の政治的責任を曖昧にすることを拒否した丸山の態度は、天皇制を容認し、その戦争責任を道徳的な問題に限定した南原とは、決定的に離反しているという(182頁)。そのほかの面も含め、両者の大きな差異を明確に論じた加藤氏の論もまた、熟読をお薦めする報告でした。
 ちなみに本書の文脈とは無関係ですが、加藤節氏は成蹊大学名誉教授で、安倍晋三・前総理の学生時代の恩師だった方です。勉強をしない落第学生だと厳しく指摘していたことは、よく知られることになりました(笑)。


  さて、そもそも筆者が南原に感心をもったきっかけは、「人間革命」という考え方や発想を戦後最初に表明した人物が南原繁だったからであり、その点について長年研究している伊藤貴雄・創価大学文学部教授が、本シンポジウムに登壇し、その報告を「民主主義を支えるもの―南原繁と「精神革命」「人間革命」の理念―」として寄せています。このテーマについての伊藤氏の早い時期での指摘は、論文「第4 回入学式講演『創造的生命の開花を』とその歴史的背景」(『創価教育』第7号、2014年3、63~76頁、特に73~74頁参照)でした。これらをもとに学んで言えることは、次のような点です(以下、論文用に書いた文章ですので、文体が変わります)。

「人間革命」という用語は、敗戦後の一九四五年一二月に東京帝国大学総長に就任した南原繁によって頻繁に語られ、当時の流行語になっていた。南原は日本が全体主義国家に成り果て、無謀な戦争に突入して破綻したのは、軍閥や一部官僚・政治家の無知と野心によるとしながらも、それらを許したのは「自律と自由」な精神を失って迎合した知識人や国民の「内的欠陥」にあると捉え、戦後における真の民主主義実現のためには日本国民の精神的変革が不可欠であることを敗戦直後から主張した。総長就任後の一九四六年一月一日のラジオ放送「学生に興ふる言葉」一九四六年一月一日)では、戦後の改革には「社会的革命と相並んで、或いは寧ろその前提として人間の革命でなければならぬ。人間の革命―わが国民の精神革命―はいかにして可能であるのか」という問題提起のもとで語った。また一九四七年九月三〇日の卒業式演述「人間革命と第二産業革命」では、人間そのものの革命、すなわち「人間革命」なくしては民主的政治革命も社会的経済革命も空虚となり、失敗に終わると警鐘を鳴らしたのである。

それに刺激されてか、一九四六年の夏頃には日本では「人間革命」を当時の知識人やメディアがこぞって主張しはじた。哲学者・柳田謙十郎や政治学者・中村哲、経済学者・高島義哉のほか、田中美知太郎、清水幾太郎、下村寅太郎、片山正直、恒藤恭、長田新、出口勇蔵)、片山敏彦、新明正道、甘粕石介、 羽仁五郎などである。しかし、一九五〇年代に入ると論壇ではマルクス主義が優勢となりはじめ、時代状況として朝鮮戦争の勃発と警察予備隊の創設、サンフランシスコ講和条約、レッドパージなどを背景に、「人間革命」論は迂遠な主張として顧みられなくなった。
また南原が説く「精神革命」「人間革命」論には、彼が内村鑑三の無教会派クリスチャンであったからであろうが、人間の内面を自省的に突き止めていくことで、人間を越えた超主観的な絶対精神―「神の発見」と、それによる自己克服が必要だと説くように、キリスト教における宗教革命がもたらしたプロテスタント的宗教性によって実現すると考えていた。先の島薗講演はこの点を鋭く摘出し、その一方で南原の国体論や天皇観が明治以来の政府による創作であるにもかかわらず、それを戦後も無批判に受容していたことを明らかにした。
ここに南原の人間革命論の特徴、または限界があったとも言えるが、興味深い点は、日蓮信仰、日蓮主義と結びつけて、日蓮主義による人間革命、社会革命をめざす戦後初の宗教政党「日蓮党」を新妻清一郎なる人物が結成し、その政治理念として唱えられていたことである。この政党はあっという間に消えてしまったが、日蓮信仰と人間革命論を結戦後最初に結び付けた事例である。その後、創価学会第二代会長・戸田城聖は創刊した宗教雑誌『大白蓮華』第二号(一九四九年八月一〇日)の巻頭言において、「かつて、東大の南原総長は、人間革命の必要を説いて、世人の注目をあびたのであったが、われわれも、また、人間革命の必要を痛感する」と語り、自身の小説や教団の中心思想として展開し、今日では海外の創価学会インターナショナルによって世界的に広がったことは、さらに興味深い出来事である。

レヴィ・マクローリン著『創価学会の人間革命:近代日本における擬態国家の出現』(ハワイ大学出版会、2019年)を読む2020年08月01日

Levi McLaughlin, "Soka Gakkai’s Human Revolution: The Rise of a Mimetic Nation in Modern Japan", Honolulu: University of Hawai’i Press, 2019. 219 pages. ISBN 978-0-8248-7542-8.
レヴィ・マクローリン著『創価学会の人間革命:近代日本における擬態国家の出現』ハワイ大学出版会、2019年。

Book Review in "Journal of Religion in Japan," Volume 8 (2019): Issue 1-3 (Dec 2019): Special Issue: Secularities in Japan, Brill.
https://brill.com/view/journals/jrj/8/1-3/jrj.8.issue-1-3.xml

(本稿は、表記のレヴィ・マクローリン著について、英文雑誌Journal of Religion in Japan, Vol.8, 2019に掲載された英文書評を日本語版にしたものである。原文は上記のURLを参照して欲しい〈ただし、英文論考は有料〉)

本稿全体のpdfファイルは以下からダウンロード出来ます。
https://1drv.ms/b/s!AgxuAU--Oroag-Uf56UKMHzwtoyltA


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 創価学会は、現代日本の宗教界のみならず、社会的政治的領域において活発な活動を展開している宗教団体である。本書は、米ノースカロライナ州立大学の准教授であるレヴィ・マクローリン氏が、この在家信徒中心の宗教組織について、日本および他国で20年以上にわたって歴史学的かつ民族誌学的に研究してきた成果である。創価学会の歴史については、第2章を中心に、戦前の初代会長・牧口常三郎が創設した創価教育学会から、戦後の第2代会長・戸田城聖の時代、そして第3代会長・池田大作の就任から2010年代に至るまで概観している。また創価学会の組織構造とその発展、小説『人間革命』『新人間革命』や聖教新聞、その他多数の出版物についての論究、幼稚園から大学に至るまでの教育機関の設立と機能、公明党という政党の創設と連立政権参加など、創価学会に関連する諸組織、諸運動をほぼ網羅している。巨大組織である創価学会を、一冊の単行本で、歴史的かつ構造的に全体を明らかにし、同時に独自の分析枠組みで新たな特徴を解明した本書は、数多くある創価学会についての出版の中でも、優れた研究書の一つと言えよう。
 本書のもととなった研究成果は、2009年に米プリンストン大学に提出した博士論文であるが、その提出に至るまでに同大学の日蓮研究の専門家であるジャッキー・ストーン(Jacqueline Stone)博士に指導を受け、2000年からは日本の東京大学に留学し、島薗進教授ほか多くの宗教学・宗教社会学者から指導を受けている。こうした基礎的研究をもとに博士論文を完成させ、さらにその後の調査と加筆修正をへて、本書は刊行された。
 日本人による総合的でかつ学術的価値のある創価学会研究書は少なく、むしろ外国人による日本の創価学会についての総合的な研究書の方が多い。代表的なものとしては、1970年のホワイト・レポート(邦訳1971年)が最も包括的であり、他にBrannen (1968), Dator (1969), Metraux (1994) などがある。本書は、それらに比しても近年まれにみる多くの特徴と独自性を有する優れた一書である。以下本書の特徴と評価する点を列挙する。

 第一に、調査方法の独自性である。従来の創価学会研究の多くが、創価学会発行の新聞や代々の会長の指導や講演などの文献資料と、会員に関する統計学的なデータをもとに論じているものが多いのに対し、本書は著者自身が2000年から2017年の間に、北は岩手から南は九州にいたる200人以上の会員と会話し、また本人自身が創価学会の諸活動に参加して得た知見や経験、情報を基盤に分析と議論が展開していることである。しかも、それらの人々は創価学会の本部や幹部から紹介された人物ではなく、著者が初めて日本に住んだ千葉県の地域会員を訪ねて知り合った人々のような一般の会員である。また著者はバイオリンのプロ奏者でもあるので、それを活かして、創価学会の男子部員によって構成されている交響楽団の一員となって練習や演奏会を行った経験と出会った会員たち、またある時は、創価学会の会員教育の一システムである教学試験(任用試験)に挑戦し、その学習と受験のためにある会員宅に泊まり込むなどしている(第5章)。
 このような調査は一般に参与観察(participant observation)と言われているが、著者の方法は、それを一歩深めたスタイルとも言えるので、ディープな参与観察(deep participant observation)と称してもよいくらいである。著者は従って、出会った会員たちを情報提供者(informants)とは言わず、友人(friends)と呼ぶ。これらの観察から、例えば熱心な学会員の母親と批判する息子の対立、しかし批判する息子も創価学会の家族の中に生まれてきたので、自分が困った時や友人の不幸に接したときは唱題するしかないという、二律背反的な状況などが生々しく描かれている(143-145頁)。
 このような調査対象の世界に親密に参与する調査方法は、研究対象との距離の取り方が難しくなり、客観性に問題が生じる危険性もある。しかし著者は、こうした調査方法で得たデータや発見が、むしろ批判的な距離をみいだし、理論的枠組みの中に位置づけることができたと論じている(x頁)。
 
 第二に、創価学会を日蓮仏教と、19世紀末に発展した西欧的個人主義・合理主義思想という「二つの伝統の継承者」と捉える点である。創価学会はしばしば近代日本社会で発展した「新宗教」と見なされ、また系譜的には日蓮系、もしくは法華系の在家仏教運動として捉えられている。確かに、かつては日蓮系教団の一つである日蓮正宗の信者集団であったし、会員は法華経の一部読誦と日蓮が提唱した唱題行に日々いそしんでいる。著者は、しかし、この教団の名称が「学会」であることに注目し、前身はリベラルな教育学者であった牧口常三郎の「創価教育学会」であったことを重視する。つまり牧口教育理論の学習と普及、教育改革をめざした「学会」が出発点であり、その痕跡として「学会」という名称が残っている。第二代会長の戸田城聖は、戦前の失敗は法華経を中心としなかったことだと反省したと言われているが、その戸田でさえ、日蓮仏教の終末論的理想と結果重視のプラグマティズムとを結びつけた主張で改宗者を魅了したと、著者は捉えている(5頁)。
 評者も、牧口の教育論にはデユーイなどのアメリカ・プラグマティズム哲学が重要な要素としてあると考えている。信仰を生活における有益な結果をもたらすか否かを重視する点などは、明らかにデューイのプラグマティズム的信仰論である。それと日蓮仏教が結合し、罰や功徳などの功利的主張として展開されたと考えている。
 西欧思想の影響は第三代会長・池田大作のもとでさらに展開し、鼓笛隊や音楽隊の結成に始まり、文化芸術運動を重視する方針に変わりはない。公明党を結成して政治に積極的に参加していく場合も、ヨーロッパにおける宗教的背景をもとにした政党などを参考にしている。このような日蓮仏教からの大きな飛躍、または逸脱が、後に1991年の日蓮正宗との分裂につながっていったともいえる(7頁)。

 第三に、創価学会を近代国民国家の類似形態または擬態であるというメタファー(隠喩)(The mimetic nation-state metaphor)で論じる点である。第一章の後半で詳細に論じているが、創価学会は確かに外形的には、池田名誉会長を頂点とする重層的な組織構造を有し、かつては人脈中心のタテ線組織だったが、現在は日本国家の行政単位とほぼ同じ区域わけで、方面から地区、グループにいたる組織を全国的に展開している。全国に渡る行政機構を管理運営する熟練した官僚組織と類似の本部職員組織もある。創価学会独自の教学勉強のシステムに加えて幼稚園から大学までの一般的教育機関も完備し、民音など文化芸術を振興する団体、また政党をもって選挙活動もする。独自の新聞と多数の出版を行うマスメディアももっている。
 これらだけでも擬態国家として十分捉えられるが、著者はさらに「独自の旗」「独自のカレンダー」「独自の財産と経済活動」をもち、「独自の墓」、さらにも「独自の正典」などももっていることから、「近代国民国家の擬態」であると強調する。
 これまでも、創価学会は現代日本の縮図であるとか、国家内国家である、国家の中の独自の柱構造体(pillar)であると論じられたことはあった。また著者自身も以前は補助国家(an adjunct nation)として論じたこともあったが、創価学会が日本国家の補助機関であると捉えられてしまう恐れがあるので、その用語をいまは使用しない(20頁)。創価学会を近代国家の擬態と捉えるメタファーは、なぜ創価学会がそのように見え、行動するのか、なぜこれほど多くの改宗者を動員できるのかを説明できる。近代国家が国民に新たな社会建設という「使命感」(a sense of mission)を与えて鼓舞したように、創価学会がこれほど発展し得た最大の要因は、会員に世界史的に重要な活動に参加しているという「使命感」を与えるのに成功したからである。また国家におけるナショナリズムが国民の意識高揚と団結、対外的進出を進めたように、創価学会も会内ナショナリズムを生みだし、リーダーや組織への忠誠心を生みだした。また哲学者ルイ・アルチュセールのRSAs-ISAs論を活用して、創価学会は政治を宗教化、聖化したと論じている(23頁)。このような近代国家擬態論は、さらに論議や検討を要する点もあるが、創価学会をより深く理解していくために興味深い、また刺激的な立論であると考える。

 第四は、上記の点に関連しているが、近代国民国家の形成過程においてナショナリズムを鼓舞するために新聞やパンフレットなど「印刷資本主義」(print-capitalism)が大きな役割を果たした歴史に注目し、その視点から創価学会の運動を分析している点である。創価学会は、宗教団体としては希有といえる日刊紙『聖教新聞』を発刊し、さらに長編小説『人間革命』などの膨大な出版がなされ、創価学会および会員が自身を語る際の拠り所になっている。著者はそこに重大な関心を寄せ、第3章、第4章で、このような創価学会の「出版帝国」(publication empire)ぶりを分析して、創価学会独自の世界観の形成、会員の使命感やリーダーと組織に対する忠誠心の醸成に、これら出版物が果たした重要な役割を明らかにしている。
 著者は、創価学会の出発を、ある出版物、すなわち初代会長・牧口常三郎の著作『創価学会教育学大系』が発刊された1930年11月18日としていることに注目する。第3章の冒頭で、著者が初めて八王子の牧口記念会館を訪れた2007年11月15日のエピソードは興味深い。牧口記念会館は1993年5月3日に開館したが、その年は創価学会が日蓮正宗と分かれた2年後であった。応対したある副会長は、「牧口記念館のヨーロッパ・ルネサンス風の城のような豪華な大理石建築は、これまでは権力者による権力の象徴であったが、この記念館は民衆の力によって建てられたものであり、それは民衆こそが権力の主体であることを象徴している」と語ったという。「権力」対「民衆」、そして日蓮正宗という古い宗教権力に民衆が勝利した「栄光の物語」こそ、創価学会が出版物を通して語る壮大な物語の中心的テーマである。
 ここでも著者はまず、近代初頭におけるヒューマニズムの勝利と日蓮仏教の結合という「二つの伝統的遺産の結合」を見いだしている(70頁)。さらにフランス革命に代表される近代国民国家の誕生に目を向け、そこでは、民族や国民の起源神話、王権・専制君主との闘いと勝利、その国家を率いる指導者と民衆による国民国家の誕生と発展、周辺諸国へ革命を拡げなければという「比類なき使命」などが、物語や詩、歌曲によって高らかに謳われ、その支配の正当性が強調されていったことが示される。ベネディクト・アンダーソンが主張した近代国家形成における印刷資本主義による「想像の共同体」(imagined community)の形成であり、その過程で「言語の共通化」「物語の共有化」などが進展していく。それはまたエルンスト・ルナンのいう「国家とは豊かな諸記憶の遺産」(nation as a rich legacy of memories)でもあり、過去の経験を取捨選択して大規模な団結を作り上げていく過程でもあった(72頁)。
 著者は、これら近代国民国家形成における現象と類似な過程が、創価学会の出版帝国にも見ることができと指摘し、その代表例として小説『人間革命』『新人間革命』を取りあげている。これらの物語は、中世における宗教的課題と現代の問題を巧みに結びつけている。それらは一方では、日蓮が堕落した鎌倉幕府に対して正しい宗教に立つよう諌言した行為を英雄的勝利として祝福する物語であり、他方では、とりもなおさず現代の創価学会の運動に正当性を付与する小説として構成されている。この小説は創価学会の指導者とその正義の人々(地涌の菩薩)の物語である。
 小説『人間革命』は第二代会長・戸田城聖と第三代会長・池田大作による創価学会草創期からのエピソードなどを小説化したものであり、戸田版『人間革命』は1951年4月20日『聖教新聞』創刊号から妙悟空という執筆者名で連載が始まり、単行本としては1957年に出版された。池田版『人間革命』は法悟空という執筆者名で、同新聞の1965年元旦号から連載され、戸田城聖による創価学会の再建から戸田の死、池田大作(山本伸一)の第三代会長就任までを描いている。全12巻であるが、第10巻は1978(S53)年で完結し、その後、2年間のブランクの後、1980~1993年にかけて第11~12巻が書かれている。 また『新人間革命』は山本伸一の会長就任から日蓮正宗との決別までを描いていて、1993年8月6日から2018年8月6日に渡って連載された。全30巻であるが最終刊は上下巻として刊行されたため、単行本は実質全31巻となる。
この一連の小説に関する評論や研究は多いが、本書における重要な点は、執筆の時期が日蓮正宗との関係に緊張が生まれた時期と結びついていることを明らかにした点、また創価学会が日蓮仏教の正統な継承者であり、さらに池田大作が戸田城聖の唯一正統な後継者であることが強調されていることを明らかにした点である。

 第五には、『(新)人間革命』の「正典化」と「正典形成過程への会員の参画」という独特の捉え方をあげなければならない。これらの出版は創価学会の公式の歴史(正史)、また池田自身が述べているように創価学会の「精神の歴史」である。従って、全ての会員が学習すべき教科書となっていることはいうまでもないが、著者はさらに踏み込んで、『(新)人間革命』は『法華経』および日蓮の遺文集『御書』と並んで、場合によってはそれを越える、ある種の「正典」(canon)になっていると、極めて重要な指摘をしている。1970年から任用試験の教材に、御書ともに『人間革命』が使われ始め、大石寺における夏期講習会での教材ともなり、婦人部が読了運動を展開した事などを、その根拠として詳しく論じている。
 さらに重要なのは、これらの小説が創価学会が急速に大きくなっていく最中に書かれ、かつ正典の形成(canon formation)に多くの会員が仮名であるが登場し、参加している事実に注目した点である。その視点を著者は第4章で「正典への参加:ある新宗教における聖なるテキストの形成」と題して論じている。『(新)人間革命』が執筆された数十年間、会員は彼らが正典と見なす公式記録の中に登場することに喜びを見いだしていた。換言すれば、創価学会は公式な正典と認められる文書の中で、多くの会員が聖なる存在として祀られる(enshrined)機会を提供していたのである(93頁)。法華経など、様々な仏典にも多くの菩薩や在家が登場するが、そのような形式とパラレルなスタイルであると言える。
 この分析視角は特に重要で注目に値する。何故なら、この正典形成過程への参加という視点は、宗教研究における永遠のテーマ、すなわち、ある人が何故、様々な論争を起こしている新宗教に入信するのか、彼らの人生をその組織に捧げるのか、という問いへの新たな解答を提供するからである。正典の形成過程で、会員たちの実際の活動、彼らの献身と経験が聖化され、彼らや家族、友人たちが創価学会の歴史や使命と一体化する。そして組織への忠誠、指導者への忠誠心も高められていく。この分析が妥当か否かは、他の新宗教への研究によって確証されなければならないが、極めて興味深い分析視角であることはいうまでもない。

 他にも興味深い内容が多くあるが、詳細な紹介は割愛する。著者自身も音楽家(バイオリニスト)として創価学会青年部のオーケストラに参加した経験、創価中学校の生徒たちと池田会長との出会いが運命的なものとして『人間革命』に描かれ、彼らが師弟の道を歩むという正典形成についての事例研究、第5章「青年をいかに教化するか」では、国の公立教育とパラレルに強調される教学試験の重要性を描き、終章である第6章では、家庭を守り、子供を育て、かつ最前線の歩兵として期待される創価学会婦人部の困難さと葛藤を描き、戦前の国防婦人会との相似点を論じている。また「あとがき」では、著者が2000年に日本で最初に住み始めた千葉県習志野市で出会った会員たちとの葛藤、しかし、彼らがパートナーの病気回復を願って唱題し続けていたことを後に知った時の感動が綴られている。

〈おわりに〉
 マクローリン氏による本書は、日本創価学会についての総合的で、かつ優れた研究であり、刺激的な分析が多数含まれている。それは、まず筆者がディープな参与観察と呼んだ、会員に密着した詳細な調査に基づいているからであり、さらに「近代国家擬態論」や「正典形成への参画と聖化」などの独特な分析枠組みによるものである。著者はわれわれに、創価学会の一般会員が実際にどのように考え、悩み、日常生活の中で如何に多くのジレンマを抱えているかを明らかにしてくれる。本書を読みながら、評者は社会学的宗教研究において重要な視点である「共感的デタッチメント」という分析態度を思い出した。これは評者の恩師でもあるオックスフォード大学の故ブライアン・ウィルソン教授がかつて強調していた点である(Wilson, 1982)。
 もちろん、いかなる優れた研究書であっても限界と欠点はある。第一に、彼の「近代国家擬態論」についても、創価学会の組織構造と運動の特徴を明らかにする上で有効であることは認めるが、その分析枠組みが類似の官僚制的組織を有するモルモン教会やサイエントロジーなど、他の新宗教に適用できるか否かが問われることはいうまでもない。それらの運動との比較研究が、今後必要である。同様のことは「正典形成への参画」という点にも言える。近代国家擬態論について更に言えば、創価学会は戦後のそれより、聖なる天皇に支配された専制国家であった戦前の日本国家により類似していると言えまいか?著者の見解を伺いたいものである。
 本書はこの数十年間で、日本の創価学会について書かれた最良の研究書であると評価したい。日本語訳が出版されることを願ってやまない。


《参考文献》
Brannen, Noah S. 1968. Sōka Gakkai: Japan’s Militant Buddhism. Virginia: John Knox Press.
Dator, James Allen. 1969. SŌKA GAKKAI, Builders of the Third Civilization: American and Japanese Members. Seattle: University of Washington Press.
McLaughlin, Levi. 2004. “Shinkō to ongaku no yūwa o motomete: Watashi no deatta Sōka Gakkai ōkesutora”(邦訳、2004年、「信仰と音楽の融和を求めて:私の出会った創価学会オーケストラ」(堀江宗正訳)『世界』6月号、182-189頁).
Metraux, Daniel. 1994. The Sōka Gakkai Revolution. Lanham, MD: University Press of America.
White, James W. 1970. The Sōkagakkai and Mass Society. California: Stanford University Press(邦訳、1971年『ホワイト調査班の創価学会レポート』宗教社会学研究会訳、雄渾社).
Wilson, Bryan R. 1982. Religion in Sociological Perspective. Oxford: Oxford University Press(邦訳、2002年、『宗教の社会学』(中野毅・栗原淑江訳)、法政大学出版会).

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