『創価学会教学要綱』を読む2024年01月16日

『創価学会教学要綱』(池田大作先生監修、創価学会発行、2023年11月18日)について
                      2024年1月13日 中 野  毅

 2023年11月に『創価学会教学要綱』が発刊された。以下、その内容を要約し、意義と課題についてまとめた。長いので、pdf.ファイルをダウンロードできるようにしてあります。

https://drive.google.com/file/d/1v-MIXtyHu1a6uGwa1FVIJoOE0uVKEMPg/view?usp=sharing


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 1991年に日蓮正宗と決別し、以来30数年にわたり、創価学会はその教学の刷新を模索していたが、それが結実したものが、この『教学要綱』と言える。個人的感想を交えてさらに記せば、1977年に第一次宗門問題が起こり、その際は準備不足や一部の首脳の裏切りなどによって短期間で敗北した。その際、片や頑固な僧侶中心主義の正宗と、在家信徒運動体の創価学会という、性質も権威の由来も異なった両者の対立は構造的に不可避であり、次に備えた準備の必要性を痛感した。東洋哲学研究所に関連する分野の研究者に集まってもらい、日蓮研究、宗門研究、仏教学、宗教学・宗教社会学などの研究部門を設置した。そこに集った方々が第二次宗門問題の際に活躍した。この教学要綱の編纂へも幾分かの貢献があったではないかと推察する。それを考えると、約半世紀46年かかって、ここまで辿り着いたかと感無量である。

1.教義変更のプロセス
 2002年の創価学会会則変更で日蓮正宗との関係を削除し、2014年に会則の教義条項を改訂して、「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」(第1章第2条)とし、新しい教義の骨格を示した。創価学会教学部による解説では、「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたもの」であり、等しく「本門の本尊」である」とされた。従来の弘安二年板曼荼羅本尊が唯一の本門の本尊であることを否定したのである。
 2021年の『日蓮大聖人御書全集(新版)』においては、『百六箇抄』『本因妙抄』は日蓮正宗で重要視される『身延相承書』『池上相承書』(二箇相承)とともに、「伝承類」に格下げとなり、代わりに『美作房御返事』『原殿御返事』が「日興上人文書」として付加された。日興の系譜は尊重するが、室町、江戸時代の大石寺教学は尊重しない姿勢をはっきりさせたのである。『百六箇抄』『本因妙抄』を日蓮真撰でないと明示したことにより、日蓮の本尊論は大きく変化することになった。また「三大秘法抄」も「教理書」ではなく、門下への手紙類としてあるのも興味深い。
 このような経緯を経て、今回、『教学要綱』が池田大作先生監修として2023年11月18日付けで発刊された。しかし同日に、池田名誉会長が同月15日に逝去されたことが発表された。2017年のSGI規約の改正、2018年の創価学会会憲の制定、2021年の創価学会社会憲章の制定など、海外の組織も日本の創価学会のもとでコントロールしていく体制を確立したことを含めると、日蓮正宗と分かれた後の創価学会の教学から海外組織におよぶ新体制を全て整備し終えて亡くなられたことは、まことに感慨深い。


2.学問的仏教史研究の活用=脱神秘化 仏教は人間主義の教え

 この教学要綱は学問的な仏教研究、日蓮研究の実証的な成果を可能な限り取り入れ、一般の学者、他の仏教団体にとっても説得力のある教学の確立、後世の学問的批判に耐えられるレベルのものにすることを目指したと聞き及んでいる。必然的に、日蓮の真筆であることが明白な論書を基に、この教学体系は構築されたと考える。
 その点が冒頭から明確に示されている。仏教の歴史を、インドで誕生した釈迦から始まるとした点である(第1章)。従来の日蓮正宗の教学、特に日寛教学では、久遠元初自受用報身如来の再誕が日蓮という意義付けで、日蓮がインドの釈迦の遥か以前に存在する本仏であり、釈迦を迹仏とみなすなど、歴史学的には全く根拠のない論理で、日蓮から仏教は始まると主張していた。そのような奇想天外な論理をよく構築したと感心するし、そのインパクトが大きかったことも事実である。しかし、学術界や海外においては受け入れがたい主張であった。
 釈迦が目指したのは、生老病死などの苦からの解放であり、その道筋として四諦説、十二因縁を説いたとした。また当時の支配的思想であったバラモン教がカルマと輪廻を強調して聖職者バラモン階級の優位と身分制の固定を図っていたのに対し、釈迦はカルマとは日常生活における行為であり、社会的な身分や地位にかかわらず、誰もがその行いによって自身の境涯が定まるという「自業自得」説を説いたとする。これは一個の人間に無限の可能性を認める「人間の尊厳」「生命の尊厳」思想であり、身分などに関わりなく全ての人を尊敬する「万人の尊敬」の思想であるという。
 これら釈迦が展開した「生命の尊厳」「万人の尊敬」の思想を、創価学会は「仏法の人間主義」と捉え、その人間主義の仏教が「法華経」、日蓮を介して創価学会に継承されたと強調する。


3.三大秘法論の新解釈  脱呪物化および内心倫理化

日蓮の法門の骨格をなすのが三大秘法であるが、「末法の衆生が『南無妙法蓮華経』を自身の内に確立し、さらにその環境にまで働きかけていく実践方法として、日蓮が創唱した」とした(74頁~)。

 ①本門の本尊:「南無妙法蓮華経」を「本門の本尊」とする(3頁)。これは新たな展開である。そして、それを文字で表現したものが文字曼荼羅本尊とする。それは大聖人の内面に確立された仏の覚りの境地を顕したもの(77頁)、唱題のための「対境」であり、本質的には本尊は法華経、または南無妙法蓮華経そのものと考えている。本尊を信じて「南無妙法蓮華経」を唱えることで、仏界の働きが顕現する。
仏像などは本尊とせず、日蓮正宗が唱え、創価学会もかつて採用していた、「弘安二年の戒壇本尊」を人法一箇で唯一の「本門の本尊」とする説も否定した。その上で、日興が「富士一跡門徒存知の事」で記した「御筆のご本尊」という記述に依って、日蓮が顕した本尊と、それを書写した本尊をすべて「本門の本尊」として拝するとした。なお、創価学会員が信仰の対象とするのは、創価学会が受持の対象として認定した本尊に限るとした(82頁)。宗教学的には、曼荼羅本尊を「象徴」として捉えたのであり、従来の本尊論からの脱呪物化(物体を特殊な超越的力をもったものと捉える発想からの脱皮)と言える。

②本門の戒壇:戒壇とは一般に出家した僧侶に守るべき戒律を授ける儀式および施設であるが、日蓮が末法には保つべき戒はなく、法華経を持つことを持戒とすると記したことを根拠に、本尊を信受し「南無妙法蓮華経」を唱える実践そのものに戒が充足されており、その場が「本門の戒壇」の意義を有するとして、会員各自が家庭で本尊に向かって題目を唱える場、および総本部の広宣流布大誓堂はじめ国内外の各会館も、「本門の戒壇」の意義を持つとしている(86~87頁)。
 なお日蓮も伝教が比叡山に建立した戒壇を大乗戒壇として評価しているが、それはあくまで「迹門の戒壇」との位置づけだったこと、宗祖滅後に日蓮門下の一部が建造物としての戒壇建立をめざす運動が現れ、日蓮正宗の影響を受けて創価学会も「本門戒壇の建立」を一時目指したが、本教学要綱では、そのような戒壇論は日蓮自身の本意ではないとして廃棄している。
ちなみに、日蓮自身は戒壇建立について余り論究しておらず、「三大秘法抄」も学問的には後世の作であることが現在では明白となっている。日蓮正宗は戦前に田中智学の影響を受けて「本門の戒壇」を「国立戒壇」とし、その建立を教義として掲げていた。その影響で二代会長・戸田城聖は創価学会が広宣流布を成し遂げ、国立戒壇を建立すると決意して、政界進出の目的の一つしたことも事実である。しかし創価学会における国立戒壇の主張は、公明党を結成した1964年段階で廃棄され、言論出版問題を受けた1970年5月の本部総会で池田大作会長(当時)は改めて否定している。創価学会が「本門の戒壇」の意義を含む正本堂を1972年10月に建立寄進したが、会員の寄付による「民衆立」として建立された。

③本門の題目:日蓮は『法華経』の題目である「南無妙法蓮華経」こそ『法華経』の肝心であり、末法の衆生が成仏するための法であると覚知し、立宗の時点で「南無妙法蓮華経」を唱える唱題行を打ち立てた。自行化他にわたって「南無妙法蓮華経」を唱え弘めることが、成仏を可能にする「本門の題目」である(86,90頁)。


4.相対的な日蓮本仏論に立脚 釈迦・日蓮の人間化 凡夫本仏論

 日蓮を「末法の本仏」とする表現は、本教学要綱でも継承されている。しかし、その内容は従来の日蓮正宗における日蓮本仏論からは大きく脱皮した。それを明示した点も、今回の重要な点であろう。従来の本仏論は、既に述べたように、インドで誕生した釈迦をも過去世において教導した超越的存在=久遠元初自受用報身如来が、法滅尽の末法に再誕したのが日蓮という位置づけであった。日寛教学の中心とも言える、この本仏論を「絶対的本仏論」と言うこともある。
 それに対し、日蓮は末法において全ての人々が成道できる万人成仏の方途を三大秘法として明らかにした「教主」という意味において、「末法の本仏」と仰ぎ、「大聖人」と尊称するとした(95頁)。開目抄に「日蓮は日本国の諸人にしゅうし父母なり」と記し、日蓮は末法の日本で唯一の「法華経の行者」であり、人々を成仏に導く主師親三徳具備の仏であること、その慈悲心は広大であると自身で明言していることなどから、「末法の本仏」と言える。
 このように、ある時代、ある場所に出現し、そこの状況に応じた成仏の方途を自ら顕す仏を「本仏」と捉える論を「相対的本仏論」と言うこともできる。その意味で、釈迦はあの時代のインドにおける本仏であり、天台智顗は当時(像法時代)の中国における本仏であったとも言える。このような新たな本仏論に、本要綱は立脚していると考えられる。
 さらに「日蓮は凡夫なり」(選時抄)、「日蓮は名字の凡夫」(顕仏未来記)と記すなど、日蓮は凡夫の身を捨てることなく成仏の姿を現じたという点で、われわれ末法の凡夫全ての万人成仏の道を示したという意味でも、「末法の本仏」と言える。この視点は、日蓮の人間化とも評価できる。釈迦も後世に、次第に超人的な存在にされていったが、本来、歴史上の釈迦は他の人々と変わらぬ一人の人間であり、異なるのは、修行の結果として得た真理への洞察と慈悲が卓越していたことにあった(117頁)。釈迦をあくまで人間として捉えているのと同様に、日蓮も久遠元初仏の再誕とか、上行菩薩の再誕などと神秘化せず、『法華経』の肝心を「南無妙法蓮華経」という根本法として提示し、万人が修行して覚知できるよう、三大秘法を表した「末法の教主」として「末法の本仏」としたことは説得力に富むと言える。


5.一生成仏・人間革命と広宣流布・立正安国

 第三章では、日蓮思想の重要な点を、まず「一生成仏」または「即身成仏」に見いだし、死後や来世ではなく、現世において万人がその身のままで成仏できるとしていることを強調する。「成仏」も、特殊な能力をもった超人的存在になることではなく、釈迦が到達したような、苦悩からの解放と揺るぎない智慧と慈悲の獲得を意味する。この一生成仏、即身成仏の実践を、創価学会は現代的に「人間革命」と呼ぶと、日蓮思想と創価学会の理念との関連を明らかにした。
 また日蓮は、末法における法華経の行者として、または釈迦から末法弘通の付属を受けた上行菩薩を己の役割と捉えて、万人成仏の教えである「法華経」を、その肝心の「南無妙法蓮華経」を広く流布することを自身の使命とした。その日蓮の使命を現代に受け継いで実践しているのが創価学会であると、「日蓮直結」を強調している(124頁)。
 さらに日蓮が「立正安国論」を鎌倉幕府に提出して強調したように、災難を鎮め、国土・社会を安穏の地にするのが、日蓮仏法の目的でもある。人々の苦難は、天災であるとともに、時の為政者が有効な予防策や救援策を講じずに被害を大きくする人災でもある。日蓮は為政者も法華経を信奉し、そこに説かれた平和で安穏に暮らせる社会を建設するように促した。これが「立正安国」の思想であり、広宣流布とは正法を拡げるとともに国土・社会を安穏にすることでもある。創価学会が日蓮仏法を弘めるだけでなく、様々な文化・教育・社会活動を展開するのは、この社会や国土を安泰にするためである。公明党への支援など政治活動を展開する理由の一端も示している。
  

6.在家による万人救済の民衆仏法の確立と展開

 最後の章は、釈迦、法華経、日蓮と展開する仏教の重要な点は、出家者のみでなく在家も平等に成仏することを説いたことと捉え、この根本理念を踏まえて、現代社会で在家者主体の信仰活動を実践してきたのが、創価学会であり、世界192カ国・地域に展開していることを論じている。
 日蓮が在家者の信心を重視したことは、弘安二年に起きた農民信徒三名の殉教(熱原の法難)を「ひとえに只事にあらず」と述べ、彼らを「法華経の行者」として最大に称賛したことに表れている(136頁)。それは日蓮が説く仏法が、広範な民衆に深く定着したことの証しであり、自らの仏法の永続性を確信した事件であった。そこに、日蓮は己の「出世の本懐」を確信したと捉える。この点も、「弘安二年戒壇本尊の建立」を「出世の本懐」とみなす日蓮正宗の主張と決定的に決別した重要な点である。
 創価学会の歴史も、三大会長を中心に「宗教改革の歴史」としてまとめている。日蓮没後の日蓮系教団は僧侶中心主義になり、かつ政治権力への対峙姿勢も失っていった。牧口常三郎は日蓮正宗を通して日蓮仏法に出会ったが、戦時下に宗門合同や神宮大麻授受に反対したため、戸田と共に治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕投獄された。正宗は彼らを登山禁止処分にした。牧口は獄死し、戸田は生き延びて、戦後、創価教育学会を創価学会として再建した。牧口、戸田は宗門興隆に一方では尽力したが、他方で宗門との対決の連続であった。池田も多数の寺院を建立寄進し、戸田時代に創価学会所有だった寺院も正宗に寄贈した。1972年には「本門の戒壇」となるべき正本堂まで建立したが、結局、創価学会は宗門から破門通告をうけ、正本堂は破壊された。こうした宗門との緊張・対立の歴史をたどっている。
 正本堂建立は、その後の方向転換を決定づけた出来事であったと、筆者は推測している。おそらく戒壇本尊への疑義を生じさせ、宗門への貢献はほどほどにして、広布第二章へ進むことを決意させたと思われる。1977年1月の第9回教学部大会で、池田会長は「仏教史観を語る」と題する講演を行い、「宗教のための人間」から「人間のための宗教」への転換こそ仏教の本義であることを強調し、本来の仏法は、在家・出家の別なく、世間の地位や身分も関係なく、万人が仏になる道を説いたものであると強調した(144頁)。この講演を皮切りに宗門改革を目指したが、激しい抵抗に遭い、宗門との対立は決定的になった。その後の第2次対立をへて、創価学会は日蓮正宗と決別し、「御書根本」「大聖人直結」の主張を掲げて、日蓮の万人に開かれた仏法を、在家の教団として現代に蘇らせ運動をさらに展開していこうとしていると述べている。
 なお本章では、創価学会の三宝論についても改めて明確にしている。仏宝は日蓮大聖人、法宝は南無妙法蓮華経、僧宝は創価学会とした(同書156頁)。かつては、仏宝は日蓮大聖人、法宝は戒壇本尊、僧宝は日興上人(『教学の基礎』1988年)としていたことを考えると、これも日蓮正宗と明確に決別したことを表している。ちなみに日蓮宗では三宝として、「仏宝とは法華経寿量品の久遠実成の釈尊であり、法宝とは法華経、更にはその肝心たる妙法五字であり、僧宝とは日蓮および日蓮の意に順ずる僧団である。」となっており、日蓮を筆頭とする僧侶中心主義に立っている(宮崎英修編『日蓮辞典』)。
本章最後に「宗教の五綱」について述べ、日蓮の折伏思想を再解釈して、創価学会は日蓮のように「慈悲の発露としての折伏精神を堅持し、弘教においては、仏法の寛容の精神に基づき、相手の立場や思想を尊重しつつ、智慧を発揮して、共感と納得の対話を貫く・・・それは入会のみを目的とした行為ではなく、自他共の幸福を求め、互いに啓発し合い高め合っていく実践である」(169-170頁)と結んでいる。この折伏論は、従来は摂受とも言われた実践であるが、ともかく、そうあって欲しいと願うところである。

 
おわりに:感想と課題

 以上、筆者の見解や情報を少々交えながら、本要綱の意図したであろうこと、重要と思われる点を纏めてみた。各章で重複している記述もあるが、全体として創価学会の新しい「合理主義的立場に立つ教学」の骨格は示せたと評価する。
 疑問点としては、「南無妙法蓮華経」を全ての根幹として強調しているが、それが鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」の表題への帰依以上に、如何なるものであるのかが判然としない。宇宙を支配する超自然的な法則など、超越的な存在や法などを想定しているならば、ある種の神秘主義への退行であり、残念なことである。ただ会員の実践に近いものである点では了解する。
 日蓮本仏論は、この相対的なもので良いと考えるが、日蓮も凡夫であることを強調し、故に在家も含め全ての人間が現世で成仏が可能という、ある種の凡夫本仏論に立っている。類似の主張も既にあるが、それとの相違点は何か不明である。また日蓮も凡夫とするが、彼は出家者であり、在家とは明らかに異なる。その点は、どのように考えるのであろうか。
 創価学会を僧宝とするのは良いが、創価学会を批判する者は、即、破仏法者として過度に批判する対象となる危険性も孕む。寛容で自他共の幸福を追求する教団として、そういう事態は避けなればならないことは言うまでもない。その歯止めをしっかり掛けて欲しい。また僧宝たる創価学会の三名の「永遠の師匠」を仏法上はどのように意義づけるのかも、今後の課題であろう。
 立正安国を掲げる教団として、文化社会活動、政治支援活動に積極的であることはよいが、具体的には、普通の国民政党となった公明党を選挙支援する理由や根拠を、個々の政策が良いからというだけでは不十分である。ましてや自民党をはじめ他党の候補者を支援する場合、創価学会としては、どのような基準で人物を判断し、支援するのか、創価学会の教義や宗教理念に即しての支援基準をさらに明確にしていく必要がある。また選挙支援活動だけでなく、社会問題や政治問題に創価学会としての意見表明が、もっとあってよいと考える。その場合も、どのように判断するのか、その基準も明確にして欲しいと考える。

レヴィ・マクローリン著『創価学会の人間革命:近代日本における擬態国家の出現』(ハワイ大学出版会、2019年)を読む2020年08月01日

Levi McLaughlin, "Soka Gakkai’s Human Revolution: The Rise of a Mimetic Nation in Modern Japan", Honolulu: University of Hawai’i Press, 2019. 219 pages. ISBN 978-0-8248-7542-8.
レヴィ・マクローリン著『創価学会の人間革命:近代日本における擬態国家の出現』ハワイ大学出版会、2019年。

Book Review in "Journal of Religion in Japan," Volume 8 (2019): Issue 1-3 (Dec 2019): Special Issue: Secularities in Japan, Brill.
https://brill.com/view/journals/jrj/8/1-3/jrj.8.issue-1-3.xml

(本稿は、表記のレヴィ・マクローリン著について、英文雑誌Journal of Religion in Japan, Vol.8, 2019に掲載された英文書評を日本語版にしたものである。原文は上記のURLを参照して欲しい〈ただし、英文論考は有料〉)

本稿全体のpdfファイルは以下からダウンロード出来ます。
https://1drv.ms/b/s!AgxuAU--Oroag-Uf56UKMHzwtoyltA


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 創価学会は、現代日本の宗教界のみならず、社会的政治的領域において活発な活動を展開している宗教団体である。本書は、米ノースカロライナ州立大学の准教授であるレヴィ・マクローリン氏が、この在家信徒中心の宗教組織について、日本および他国で20年以上にわたって歴史学的かつ民族誌学的に研究してきた成果である。創価学会の歴史については、第2章を中心に、戦前の初代会長・牧口常三郎が創設した創価教育学会から、戦後の第2代会長・戸田城聖の時代、そして第3代会長・池田大作の就任から2010年代に至るまで概観している。また創価学会の組織構造とその発展、小説『人間革命』『新人間革命』や聖教新聞、その他多数の出版物についての論究、幼稚園から大学に至るまでの教育機関の設立と機能、公明党という政党の創設と連立政権参加など、創価学会に関連する諸組織、諸運動をほぼ網羅している。巨大組織である創価学会を、一冊の単行本で、歴史的かつ構造的に全体を明らかにし、同時に独自の分析枠組みで新たな特徴を解明した本書は、数多くある創価学会についての出版の中でも、優れた研究書の一つと言えよう。
 本書のもととなった研究成果は、2009年に米プリンストン大学に提出した博士論文であるが、その提出に至るまでに同大学の日蓮研究の専門家であるジャッキー・ストーン(Jacqueline Stone)博士に指導を受け、2000年からは日本の東京大学に留学し、島薗進教授ほか多くの宗教学・宗教社会学者から指導を受けている。こうした基礎的研究をもとに博士論文を完成させ、さらにその後の調査と加筆修正をへて、本書は刊行された。
 日本人による総合的でかつ学術的価値のある創価学会研究書は少なく、むしろ外国人による日本の創価学会についての総合的な研究書の方が多い。代表的なものとしては、1970年のホワイト・レポート(邦訳1971年)が最も包括的であり、他にBrannen (1968), Dator (1969), Metraux (1994) などがある。本書は、それらに比しても近年まれにみる多くの特徴と独自性を有する優れた一書である。以下本書の特徴と評価する点を列挙する。

 第一に、調査方法の独自性である。従来の創価学会研究の多くが、創価学会発行の新聞や代々の会長の指導や講演などの文献資料と、会員に関する統計学的なデータをもとに論じているものが多いのに対し、本書は著者自身が2000年から2017年の間に、北は岩手から南は九州にいたる200人以上の会員と会話し、また本人自身が創価学会の諸活動に参加して得た知見や経験、情報を基盤に分析と議論が展開していることである。しかも、それらの人々は創価学会の本部や幹部から紹介された人物ではなく、著者が初めて日本に住んだ千葉県の地域会員を訪ねて知り合った人々のような一般の会員である。また著者はバイオリンのプロ奏者でもあるので、それを活かして、創価学会の男子部員によって構成されている交響楽団の一員となって練習や演奏会を行った経験と出会った会員たち、またある時は、創価学会の会員教育の一システムである教学試験(任用試験)に挑戦し、その学習と受験のためにある会員宅に泊まり込むなどしている(第5章)。
 このような調査は一般に参与観察(participant observation)と言われているが、著者の方法は、それを一歩深めたスタイルとも言えるので、ディープな参与観察(deep participant observation)と称してもよいくらいである。著者は従って、出会った会員たちを情報提供者(informants)とは言わず、友人(friends)と呼ぶ。これらの観察から、例えば熱心な学会員の母親と批判する息子の対立、しかし批判する息子も創価学会の家族の中に生まれてきたので、自分が困った時や友人の不幸に接したときは唱題するしかないという、二律背反的な状況などが生々しく描かれている(143-145頁)。
 このような調査対象の世界に親密に参与する調査方法は、研究対象との距離の取り方が難しくなり、客観性に問題が生じる危険性もある。しかし著者は、こうした調査方法で得たデータや発見が、むしろ批判的な距離をみいだし、理論的枠組みの中に位置づけることができたと論じている(x頁)。
 
 第二に、創価学会を日蓮仏教と、19世紀末に発展した西欧的個人主義・合理主義思想という「二つの伝統の継承者」と捉える点である。創価学会はしばしば近代日本社会で発展した「新宗教」と見なされ、また系譜的には日蓮系、もしくは法華系の在家仏教運動として捉えられている。確かに、かつては日蓮系教団の一つである日蓮正宗の信者集団であったし、会員は法華経の一部読誦と日蓮が提唱した唱題行に日々いそしんでいる。著者は、しかし、この教団の名称が「学会」であることに注目し、前身はリベラルな教育学者であった牧口常三郎の「創価教育学会」であったことを重視する。つまり牧口教育理論の学習と普及、教育改革をめざした「学会」が出発点であり、その痕跡として「学会」という名称が残っている。第二代会長の戸田城聖は、戦前の失敗は法華経を中心としなかったことだと反省したと言われているが、その戸田でさえ、日蓮仏教の終末論的理想と結果重視のプラグマティズムとを結びつけた主張で改宗者を魅了したと、著者は捉えている(5頁)。
 評者も、牧口の教育論にはデユーイなどのアメリカ・プラグマティズム哲学が重要な要素としてあると考えている。信仰を生活における有益な結果をもたらすか否かを重視する点などは、明らかにデューイのプラグマティズム的信仰論である。それと日蓮仏教が結合し、罰や功徳などの功利的主張として展開されたと考えている。
 西欧思想の影響は第三代会長・池田大作のもとでさらに展開し、鼓笛隊や音楽隊の結成に始まり、文化芸術運動を重視する方針に変わりはない。公明党を結成して政治に積極的に参加していく場合も、ヨーロッパにおける宗教的背景をもとにした政党などを参考にしている。このような日蓮仏教からの大きな飛躍、または逸脱が、後に1991年の日蓮正宗との分裂につながっていったともいえる(7頁)。

 第三に、創価学会を近代国民国家の類似形態または擬態であるというメタファー(隠喩)(The mimetic nation-state metaphor)で論じる点である。第一章の後半で詳細に論じているが、創価学会は確かに外形的には、池田名誉会長を頂点とする重層的な組織構造を有し、かつては人脈中心のタテ線組織だったが、現在は日本国家の行政単位とほぼ同じ区域わけで、方面から地区、グループにいたる組織を全国的に展開している。全国に渡る行政機構を管理運営する熟練した官僚組織と類似の本部職員組織もある。創価学会独自の教学勉強のシステムに加えて幼稚園から大学までの一般的教育機関も完備し、民音など文化芸術を振興する団体、また政党をもって選挙活動もする。独自の新聞と多数の出版を行うマスメディアももっている。
 これらだけでも擬態国家として十分捉えられるが、著者はさらに「独自の旗」「独自のカレンダー」「独自の財産と経済活動」をもち、「独自の墓」、さらにも「独自の正典」などももっていることから、「近代国民国家の擬態」であると強調する。
 これまでも、創価学会は現代日本の縮図であるとか、国家内国家である、国家の中の独自の柱構造体(pillar)であると論じられたことはあった。また著者自身も以前は補助国家(an adjunct nation)として論じたこともあったが、創価学会が日本国家の補助機関であると捉えられてしまう恐れがあるので、その用語をいまは使用しない(20頁)。創価学会を近代国家の擬態と捉えるメタファーは、なぜ創価学会がそのように見え、行動するのか、なぜこれほど多くの改宗者を動員できるのかを説明できる。近代国家が国民に新たな社会建設という「使命感」(a sense of mission)を与えて鼓舞したように、創価学会がこれほど発展し得た最大の要因は、会員に世界史的に重要な活動に参加しているという「使命感」を与えるのに成功したからである。また国家におけるナショナリズムが国民の意識高揚と団結、対外的進出を進めたように、創価学会も会内ナショナリズムを生みだし、リーダーや組織への忠誠心を生みだした。また哲学者ルイ・アルチュセールのRSAs-ISAs論を活用して、創価学会は政治を宗教化、聖化したと論じている(23頁)。このような近代国家擬態論は、さらに論議や検討を要する点もあるが、創価学会をより深く理解していくために興味深い、また刺激的な立論であると考える。

 第四は、上記の点に関連しているが、近代国民国家の形成過程においてナショナリズムを鼓舞するために新聞やパンフレットなど「印刷資本主義」(print-capitalism)が大きな役割を果たした歴史に注目し、その視点から創価学会の運動を分析している点である。創価学会は、宗教団体としては希有といえる日刊紙『聖教新聞』を発刊し、さらに長編小説『人間革命』などの膨大な出版がなされ、創価学会および会員が自身を語る際の拠り所になっている。著者はそこに重大な関心を寄せ、第3章、第4章で、このような創価学会の「出版帝国」(publication empire)ぶりを分析して、創価学会独自の世界観の形成、会員の使命感やリーダーと組織に対する忠誠心の醸成に、これら出版物が果たした重要な役割を明らかにしている。
 著者は、創価学会の出発を、ある出版物、すなわち初代会長・牧口常三郎の著作『創価学会教育学大系』が発刊された1930年11月18日としていることに注目する。第3章の冒頭で、著者が初めて八王子の牧口記念会館を訪れた2007年11月15日のエピソードは興味深い。牧口記念会館は1993年5月3日に開館したが、その年は創価学会が日蓮正宗と分かれた2年後であった。応対したある副会長は、「牧口記念館のヨーロッパ・ルネサンス風の城のような豪華な大理石建築は、これまでは権力者による権力の象徴であったが、この記念館は民衆の力によって建てられたものであり、それは民衆こそが権力の主体であることを象徴している」と語ったという。「権力」対「民衆」、そして日蓮正宗という古い宗教権力に民衆が勝利した「栄光の物語」こそ、創価学会が出版物を通して語る壮大な物語の中心的テーマである。
 ここでも著者はまず、近代初頭におけるヒューマニズムの勝利と日蓮仏教の結合という「二つの伝統的遺産の結合」を見いだしている(70頁)。さらにフランス革命に代表される近代国民国家の誕生に目を向け、そこでは、民族や国民の起源神話、王権・専制君主との闘いと勝利、その国家を率いる指導者と民衆による国民国家の誕生と発展、周辺諸国へ革命を拡げなければという「比類なき使命」などが、物語や詩、歌曲によって高らかに謳われ、その支配の正当性が強調されていったことが示される。ベネディクト・アンダーソンが主張した近代国家形成における印刷資本主義による「想像の共同体」(imagined community)の形成であり、その過程で「言語の共通化」「物語の共有化」などが進展していく。それはまたエルンスト・ルナンのいう「国家とは豊かな諸記憶の遺産」(nation as a rich legacy of memories)でもあり、過去の経験を取捨選択して大規模な団結を作り上げていく過程でもあった(72頁)。
 著者は、これら近代国民国家形成における現象と類似な過程が、創価学会の出版帝国にも見ることができと指摘し、その代表例として小説『人間革命』『新人間革命』を取りあげている。これらの物語は、中世における宗教的課題と現代の問題を巧みに結びつけている。それらは一方では、日蓮が堕落した鎌倉幕府に対して正しい宗教に立つよう諌言した行為を英雄的勝利として祝福する物語であり、他方では、とりもなおさず現代の創価学会の運動に正当性を付与する小説として構成されている。この小説は創価学会の指導者とその正義の人々(地涌の菩薩)の物語である。
 小説『人間革命』は第二代会長・戸田城聖と第三代会長・池田大作による創価学会草創期からのエピソードなどを小説化したものであり、戸田版『人間革命』は1951年4月20日『聖教新聞』創刊号から妙悟空という執筆者名で連載が始まり、単行本としては1957年に出版された。池田版『人間革命』は法悟空という執筆者名で、同新聞の1965年元旦号から連載され、戸田城聖による創価学会の再建から戸田の死、池田大作(山本伸一)の第三代会長就任までを描いている。全12巻であるが、第10巻は1978(S53)年で完結し、その後、2年間のブランクの後、1980~1993年にかけて第11~12巻が書かれている。 また『新人間革命』は山本伸一の会長就任から日蓮正宗との決別までを描いていて、1993年8月6日から2018年8月6日に渡って連載された。全30巻であるが最終刊は上下巻として刊行されたため、単行本は実質全31巻となる。
この一連の小説に関する評論や研究は多いが、本書における重要な点は、執筆の時期が日蓮正宗との関係に緊張が生まれた時期と結びついていることを明らかにした点、また創価学会が日蓮仏教の正統な継承者であり、さらに池田大作が戸田城聖の唯一正統な後継者であることが強調されていることを明らかにした点である。

 第五には、『(新)人間革命』の「正典化」と「正典形成過程への会員の参画」という独特の捉え方をあげなければならない。これらの出版は創価学会の公式の歴史(正史)、また池田自身が述べているように創価学会の「精神の歴史」である。従って、全ての会員が学習すべき教科書となっていることはいうまでもないが、著者はさらに踏み込んで、『(新)人間革命』は『法華経』および日蓮の遺文集『御書』と並んで、場合によってはそれを越える、ある種の「正典」(canon)になっていると、極めて重要な指摘をしている。1970年から任用試験の教材に、御書ともに『人間革命』が使われ始め、大石寺における夏期講習会での教材ともなり、婦人部が読了運動を展開した事などを、その根拠として詳しく論じている。
 さらに重要なのは、これらの小説が創価学会が急速に大きくなっていく最中に書かれ、かつ正典の形成(canon formation)に多くの会員が仮名であるが登場し、参加している事実に注目した点である。その視点を著者は第4章で「正典への参加:ある新宗教における聖なるテキストの形成」と題して論じている。『(新)人間革命』が執筆された数十年間、会員は彼らが正典と見なす公式記録の中に登場することに喜びを見いだしていた。換言すれば、創価学会は公式な正典と認められる文書の中で、多くの会員が聖なる存在として祀られる(enshrined)機会を提供していたのである(93頁)。法華経など、様々な仏典にも多くの菩薩や在家が登場するが、そのような形式とパラレルなスタイルであると言える。
 この分析視角は特に重要で注目に値する。何故なら、この正典形成過程への参加という視点は、宗教研究における永遠のテーマ、すなわち、ある人が何故、様々な論争を起こしている新宗教に入信するのか、彼らの人生をその組織に捧げるのか、という問いへの新たな解答を提供するからである。正典の形成過程で、会員たちの実際の活動、彼らの献身と経験が聖化され、彼らや家族、友人たちが創価学会の歴史や使命と一体化する。そして組織への忠誠、指導者への忠誠心も高められていく。この分析が妥当か否かは、他の新宗教への研究によって確証されなければならないが、極めて興味深い分析視角であることはいうまでもない。

 他にも興味深い内容が多くあるが、詳細な紹介は割愛する。著者自身も音楽家(バイオリニスト)として創価学会青年部のオーケストラに参加した経験、創価中学校の生徒たちと池田会長との出会いが運命的なものとして『人間革命』に描かれ、彼らが師弟の道を歩むという正典形成についての事例研究、第5章「青年をいかに教化するか」では、国の公立教育とパラレルに強調される教学試験の重要性を描き、終章である第6章では、家庭を守り、子供を育て、かつ最前線の歩兵として期待される創価学会婦人部の困難さと葛藤を描き、戦前の国防婦人会との相似点を論じている。また「あとがき」では、著者が2000年に日本で最初に住み始めた千葉県習志野市で出会った会員たちとの葛藤、しかし、彼らがパートナーの病気回復を願って唱題し続けていたことを後に知った時の感動が綴られている。

〈おわりに〉
 マクローリン氏による本書は、日本創価学会についての総合的で、かつ優れた研究であり、刺激的な分析が多数含まれている。それは、まず筆者がディープな参与観察と呼んだ、会員に密着した詳細な調査に基づいているからであり、さらに「近代国家擬態論」や「正典形成への参画と聖化」などの独特な分析枠組みによるものである。著者はわれわれに、創価学会の一般会員が実際にどのように考え、悩み、日常生活の中で如何に多くのジレンマを抱えているかを明らかにしてくれる。本書を読みながら、評者は社会学的宗教研究において重要な視点である「共感的デタッチメント」という分析態度を思い出した。これは評者の恩師でもあるオックスフォード大学の故ブライアン・ウィルソン教授がかつて強調していた点である(Wilson, 1982)。
 もちろん、いかなる優れた研究書であっても限界と欠点はある。第一に、彼の「近代国家擬態論」についても、創価学会の組織構造と運動の特徴を明らかにする上で有効であることは認めるが、その分析枠組みが類似の官僚制的組織を有するモルモン教会やサイエントロジーなど、他の新宗教に適用できるか否かが問われることはいうまでもない。それらの運動との比較研究が、今後必要である。同様のことは「正典形成への参画」という点にも言える。近代国家擬態論について更に言えば、創価学会は戦後のそれより、聖なる天皇に支配された専制国家であった戦前の日本国家により類似していると言えまいか?著者の見解を伺いたいものである。
 本書はこの数十年間で、日本の創価学会について書かれた最良の研究書であると評価したい。日本語訳が出版されることを願ってやまない。


《参考文献》
Brannen, Noah S. 1968. Sōka Gakkai: Japan’s Militant Buddhism. Virginia: John Knox Press.
Dator, James Allen. 1969. SŌKA GAKKAI, Builders of the Third Civilization: American and Japanese Members. Seattle: University of Washington Press.
McLaughlin, Levi. 2004. “Shinkō to ongaku no yūwa o motomete: Watashi no deatta Sōka Gakkai ōkesutora”(邦訳、2004年、「信仰と音楽の融和を求めて:私の出会った創価学会オーケストラ」(堀江宗正訳)『世界』6月号、182-189頁).
Metraux, Daniel. 1994. The Sōka Gakkai Revolution. Lanham, MD: University Press of America.
White, James W. 1970. The Sōkagakkai and Mass Society. California: Stanford University Press(邦訳、1971年『ホワイト調査班の創価学会レポート』宗教社会学研究会訳、雄渾社).
Wilson, Bryan R. 1982. Religion in Sociological Perspective. Oxford: Oxford University Press(邦訳、2002年、『宗教の社会学』(中野毅・栗原淑江訳)、法政大学出版会).

*なお本稿を一括して読みたい方は、下記のURLからもダウンロード出来ます。
https://drive.google.com/file/d/1h3DWlZL4kWLBmiopCCKKm0jUfbU_30fB/view?usp=sharing

アメリカSGIについての最新研究2書への書評2019年06月11日

秋庭裕『アメリカ創価学会<SGI-USA>の55年』新曜社、2017年11月。
川端亮、稲場圭信『アメリカ創価学会における異体同心―二段階の現地化―』新曜社、2018年1月。


この2書への書評を公開します。簡略版は『宗教と社会』第25号(2019年6月8日刊行)に掲載(139-142頁)されました。紙面の字数が限られていたので、本稿は加筆した内容になっています。
なお同誌上には、拙書評に対する著者からのリプライが掲載されているので、参照されたい。現地での調査でGMWの「発見」が困難であったことなど、数知れない苦労があったことが窺われます。

本書評のpdf版は、下記からダウンロードできます。
https://1drv.ms/b/s!AgxuAU--OroagvpeTJ0qPTP9w2aLRA

1.はじめに
両書の著者3名は、2005年8月から2015年3月まで10年をかけて、ハワイやロスアンゼルス、ニューヨーク、シカゴ、マイアミ、ボストンのアメリカ創価学会(以下、アメリカSGI、またはSGIと略記)の会館などを計15回訪問し、70人以上のメンバーにインタヴューを行うなど、アメリカSGIについての長期にわたる調査を行ってきた。両書はその果実であり、アメリカ創価学会の展開を綿密かつ包括的にとらえた刮目すべき研究成果である。また両書は、学問的基礎を踏まえながらも、一般読者とくに多数の会員に読んでもらえるよう平易かつコンパクトに記述することを心がけたと聞いている。
評者は特に、著者たちの「内在的理解」と「濃密で開かれた記述」に基づく分析(秋庭vi)というライフヒストリー法をさらに発展させた学問的方法に注目し、SGIメンバーの信仰のリアリティーがどの程度描き出され、運動の全体的世界が解明されたのかに深い関心と期待を抱いて読み進めた。
両書の内容を詳細に紹介することはできないので、評者の関心をひいた箇所を中心に以下に目次と概要を記す。

2.秋庭裕『アメリカ創価学会<SGI-USA>の55年』の概要
 はじめに
 第1章 ハワイから西海岸へ
 第2章 成熟から停滞へ
 第3章 波濤を越えて―アメリカと日本―
 第4章 広布千年の基礎
 おわりに アメリカ社会と日蓮仏法―その親和性―
 あとがき、注、参考文献一覧

 秋庭氏の本書は、1960年10月の池田第三代会長による初の訪米から2015年にいたるアメリカ合衆国での創価学会55年の通史であるが、時代の変化に影響される日本とアメリカとの社会および創価学会自身の相互関係を視野に入れつつ描いたダイナミックな記述となっている。またその過程で運動の牽引役となった池田大作第三代創価学会会長やジョージ・ウィリアムス理事長(以下、GMW。日本名・貞永昌靖)などリーダーの主張、また信仰に邁進したメンバーの姿をリアルに描きだそうとしている。
 第1章は、池田が会長就任の半年後、初の海外指導としてアメリカに向かった1960(昭35)年から70年代初頭にかけてのアメリカSGIの活動を、背景として全米に起こった公民権運動、ベトナム反戦運動やヒッピーなどの対抗文化運動と関連させつつ描いている。
知る人ぞ知るエピソードだが、池田がホノルル空港に到着した同年10月1日深夜、出迎えたのは22歳の青年トミー・オダただ一人だった。日本からの連絡ミスで生じた出来事だが、やがてハワイ文化会館の初代事務長になるオダの数奇な人生を、初期の日系移民の歴史との関連で詳細に追いかけた。アメリカSGIの初期のメンバーはオダのような日系移民と太平洋戦争後に渡米して苦労した戦争花嫁によって始まった。本書はこのようなメンバーのリアルな人生を丹念に追いながら、信仰との関連を解明しようとしており、その手法の有効性が感じられる。
日本の創価学会は1966年に600万世帯を越えるなど急速に発展していったが、池田の訪米によってアメリカでの組織化がなされ本格的な展開が始まる。60年代後半にはアメリカSGIも9総支部36地区へ、会員数も一説では3万人から17万人へと拡大し、日蓮正宗寺院も2ヶ寺建立された。白人会員が4割を超え、アフリカ系は12%、ラテン・アメリカ系も13%に達したという(44)。
なお、戸田第二代会長は「東洋広布」を主張していたが、その後継者たる池田が、会長就任後は沖縄に続いてアメリカを訪れて海外布教を開始したのは、池田の戦争体験と戦争花嫁の存在が大きな要因であったことが指摘されていて興味深かった(24-25)。

 第2章は、60年代後半から70年代半ばにかけてのアメリカSGIの最初の絶頂期と70年代後半の停滞期への突入を、その諸要因に注目しながら描いている。絶頂期をもたらしたのは、1970年に初代理事長となるGMWの強力なリーダーシップのもと、全米各地の大学で行ったNSAセミナーとストリート折伏運動、毎年の全米総会に並行して行われるようになった大規模なイベント形式のコンベンションによって、対抗文化運動のさなかにあった若者を引きつけたからである。「ヒッピーからハッピーへ」という当時のスローガンが、それを象徴的に物語っている。
 コンベンション路線のピークは1972年10月に行われた静岡県富士市にある日蓮正宗総本山での正本堂落慶大法要と翌年10月の「正本堂コンベンション」であり、アメリカから3千人以上が参加した。その後も数年間はコンベンションが続き、1975年1月にグアムで創価学会インターナショナル(SGI)が設立され、7月にブルー・ハワイ・コンベンションがこれまでにない規模で実施される。しかし、昼夜を問わないストリート折伏と大規模なコンベンション方式の布教活動に家庭生活や経済の面で破綻をきたすメンバーも増え、その路線への不満と見直すべきとの意見が高まっていき、日本の創価学会が「広布第二章」に入るとアメリカでもフェイズ2という大停滞期に突入した。
 日本で1969年から翌年にかけていわゆる「言論出版問題」が生起し、1970年5月3日の第33回本部総会において、池田会長は創価学会の運動方針の大幅な転換を表明した。創価学会の運動は完成期に入ったこと、教勢拡張第一ではなく地域に親しまれる学会をめざして文化・教育・平和運動に邁進する。国立戒壇論を改めて否定し、建設中の民衆による正本堂こそ「本門戒壇」であり、国教化はめざさない。公明党との組織的人的分離を明確にし、会員の政党支持は自由であること、これまでの批判拒否体質を改め、下からの意見を尊重する民主的な教団をめざす等などを宣言した。そして1972年の正本堂完成をまって、民主化・近代化路線とも言われる「広布第二章」に入ったが、この教勢拡大よりも会員の成長を重視する方針がアメリカにおいても採用された結果、メンバーの様々な不満や意見が噴出し、まさに下からの大変革のうねり引き起こした。それがフェイズ2である。それまでの毎日続けられたストリート折伏は中止され、毎年の大規模なコンベンションも行われなくなり、少人数の座談会と教学学習、唱題・勤行を中心とする運動へと大転換した。日本人の幹部をアメリカ人に交代させ、男女に分けて座る会合や制服の廃止など日本的な活動と方式が廃止、男女青年部、あるいは四者が廃止、折伏や組織動員的活動を停止したが、その結果はメンバーの大幅な減少を招いたという(106, 194)

第3章は、フェイズ2によって大幅に停滞し会員の減少に直面したアメリカSGIを再度活性化していった1980年代を描いている。この時期、GMWが復権し、コンベンションとストリート折伏の路線が復活する。1980年秋、池田の訪米に合わせて10月に「第一回SGI総会」が、また「シカゴ文化祭」が開催され、毎年大規模な「世界平和文化祭」と称するコンベンションが行われるようになった。また日本人幹部が返り咲くなど旧来の路線に戻り、結果、減少していた会員数も増え始め、1985年には45万人に達したという174(しかし現実の会員数は、1984年4万2千人、86年8万1千人、88年5万3千人、90年2千700人という記録もある195)。
 この旧来の路線への回帰には、実は日本での創価学会と日蓮正宗との対立問題と密接な関係があった。正本堂建立後に「広布第2章」に入った創価学会は日蓮正宗からの自立と宗門自体の近代化を図ろうとして、いわゆる「52年路線」に向かい「第一次創宗対立」が起きた。この時は創価学会が敗退し、1979年池田は会長を退くことになるが、その後、池田が活路を見いだし、宗門への反転攻勢の契機となったのが、SGI会長として海外組織、特にアメリカSGIの再活性化だった。1981年には池田はヨーロッパと北米を再び訪問し、その過程で第一回世界平和文化祭や第二回SGI総会が開催されるなど、アメリカと日本で新たな「組織の総力戦」が展開し大きく前進することになる。
本章はこれらの連関過程を克明に追うとともに、シカゴのリーズマン夫妻などメンバーの足跡と体験を描いている。興味深い点の一つは、当初失敗した四者組織が会員数の増加とともに機能しはじめ、特に民族的多様性の強いシカゴでは、民族の壁を乗り越え「異体同心」を実感する場として四者組織が機能したという139。

第4章は、1990年に始まった「第二次創宗対立」と日蓮正宗からの自立という日本での激動の時期に、アメリカSGIがコンベンション・ストリート折伏路線を再度停止し、理事長をザイツへ、さらにナガシマへと交代させながらアメリカ社会に根付いた安定した組織として蘇っていく過程を描いている。その出発は1990年2月の池田会長の22回目の訪米と17日間にわたる徹底した指導だったという。その場で入信5原則や合議制による運営、非日系人や女性の積極的登用が定められ、やがてマイノリティーや社会的弱者を配慮するダイバーシティ委員会の設置、タテ線からヨコ線(ブロック制)への組織構成の転換(ジオリオ)などが進められた。そして2015年9月、アメリカ広布55周年を期して第四代理事長に初のアメリカ人アディン・ストラウス氏が就任する。

最終章では、アメリカ社会になぜ日蓮仏法が根付くことができたのかを考察している。ユダヤ人のハンナさんの体験などを通じて(1-226~230)、①各人に内在する仏性が唱題によって顕現するという教え、その実践である「唱題行」によって得られる自己肯定感、自己実現の可能性への確信、②民族や宗教の壁で分断されていた人々が「座談会」で一堂に会する姿に「異体同心」を実感、③絶対神に全てが決定されるのではなく、自分自身で運命と切り開く「一念三千の法門」、現世で幸福をつかむ「一生成仏」「衆生所有楽」の思想などがアメリカに生きる多様な人々に感動と喜び、安心感を与えているからではないかと分析している。

3.川端亮、稲場圭信『アメリカ創価学会における異体同心―二段階の現地化―』の概要
はじめに
序 章 SGI-USAの歴史
第1章 アメリカ合衆国における日蓮仏法
第2章 SGI-USAへの入信と改心過程
第3章 組織のアメリカ化
第4章 二段階のアメリカ化―翻訳の重要性再考―
第5章 アメリカにおける師弟不二
あとがき、年表、注、参考文献一覧、索引

序章:アメリカ創価学会の歴史をコンパクトに紹介。ほぼ秋庭著にそった記述だが、ナガシマ理事長時代(1999~2015年8月)、2004年頃からファイズ2で露見した問題を克服するめどが立ち、新しいアメリカSGIに生まれ変わっていったこと、全米を5ゾーンにまとめ5層レベルの組織構成を確立し、会員数を正確に把握する「統監システム」が運用されはじめ、日本の本部幹部会の中継がアメリカでも見ることができるようになって、池田会長との「師弟不二」が強調・浸透していったこと。また2015年に第四代理事長にアメリカ人のストラウスが就任して、SGIが「アメリカ人の宗教団体」になったと表現している(11)。会員数も1997年頃には35,000人を越え、著者たちの調査では、その後10年間で11万人を越えるようになったという。白人が4割をこえ、アフリカ系が15%を占めるようになったことは、母集団のアメリカ社会での宗教的、エスニシティ的な多様性を反映しており、社会への浸透を示していると述べる。

第1章では、インタヴューした代表的なメンバーを取り上げ、入信の動機、何を願って信仰を続けているのかを明らかにしようとしている。特にアフリカ系アメリカ人やLGBTメンバーを紹介しつつ、多民族のサラダボール社会アメリカにおける「異体同心」の独特の意味合いと創発性を考えている。
 シカゴ市南部で生まれたアフリカ系アフリカ人の一会員は、若い女性に誘われて興味本位で会合に参加したら、「なぜ今自分がここにいるのか、なぜ苦しんでいるのか、一人の人間が世界を変えられるのか」などの日頃の疑問への解答らしきものをえられそうに感じて題目を唱え始めた。失業中で極貧だったが近所の大学教授と出会い、その友人の政治家を紹介され、彼が市長となったことで州政府の事務職に雇われるという「功徳」体験をした。
 ある種の現世利益を得たことが信心のきっかけとなったが、続けていくうちに、「唱題」とは本尊に救ってもらう「手段」ではなく、自分が状況をかえ、目的を達成させていく「決意」であり、その深い決意が人間をエンパワーし、目的を達成させていくのだと気づいたという。またシカゴという典型的な他民族地域でも通常は一つの部屋や集会で一緒になることはない黒人やアジア人、白人、LGBTの人々と一緒に活動し支え合うなかで「異体同心」の教えが、多様な姿をしていても人間はみな同じで平等なんだと心から実感したという。
 アメリカSGIには日本にはない活発な組織がある。言語を中心としたエスニック・グループとLGBTグループである。後者はゲイ・メンバーが増えて行くに伴い、地域で互いにサポートし合うことと、組織内部も含め周囲への理解を高めていくためにニューヨークのメンバーが中心となって組織化が進められ、1996年には各地でLGBTグループが結成されて2001年の第一回全米コンフェレンス開催へと発展した。その後もアメリカ各地で行われるLGBTプライド・セレブレーションにSGIメンバーとして参加したり、様々な活動を展開している51。
 この運動を積極的に牽引しているメンバーたちは、仏法の教える平等は「すべての人をまったく同じにする平等ではなく」、多様な生き方をする人々を、それぞれの個性のままに尊重し合い、意味ある存在と宣揚している思想であること、「自分自身の特徴を活かすことで、個人の生活を幸福にするだけでなく、社会全体を幸せに改善する」52。「本当の自分になる」だけでなく、「宿命を使命に変え」、自分の苦しみは実は「かけがえのない賜物gift」なんだという発見。それは法華経で説く「願兼於業」という苦難を背負って衆生救済のためにこの世に出現する「菩薩の誓願」のゆえなんだとの自覚に達したという54。女性として生きることを決意したメンバーには、また日蓮の「ダイレクトな女人成仏」や「転重軽受」「自行化他」の教えによってエイズの恐怖を克服し、自分がゲイでありながら強く生きていることを他人に伝えていく勇気を得たことなどが生き生きと描かれている。

第2章は、インタヴューした20人の聞き取り調査をまとめ、入信過程を宗教社会学の回心論から考察。特にロフランド・スタークの入信過程論やイギリスで調査したウィルソンらの成果を参照しながら、異文化由来の信仰を継続できる要因を探り、功徳信仰から利他性の涵養という「意味の転換」過程を解明した。
 興味深い点は、ロフランド・スタークの入信の7条件を基準に、SGIとトリラトナ仏教団、ジーザス・アーミーを比較している点であり、また従来は質問票調査による統計的に論議されていることが多い課題に、デプス・インタビューで個別の内面的世界を探求しながら考察していることである。それによって入会者は「緊張」つまり社会的ストレスをより強く感じている人が多いこと、具体的には「貧、病、争」などの問題を強くかかえ、それが唱題による解決、つまり功徳を得て入信していることを示している。しかし、そのことは従来の井上順孝や私の入信動機の研究でも明らかになっており、本書で重要なのは「信仰の継続」がいかになされるかに注目している点である。まずロフランド・スタークの5~7条件に沿って会員同士の「感情的つながり」と「密度の濃い関係」が強化されていることが確認し、それは会員同士の「励ましの共同体」が組織的に形成されたことが要因として大きいことを明らかにした。これはSGIの組織の力である。
 加えて、独自の視点として、信仰を継続していく過程での宗教観および世界観の大転換が起こっていることを突き止めた。すでに記した「宿命は使命である」「苦難は賜物」というのもそうであるが、自分のみの功徳を求める心が他者の幸福を願う「利他心」の涵養へと「転換」していることを指摘した。西谷茂のいう「自利利他転換装置」がSGIでも働いていたということであろう。

第3章は、アメリカ創価学会の組織の変遷を克明に辿り、その変化を生み出した要因を組織論的に考察している。特にフェイズ2における停滞、また「タテ線」から「ヨコ線」の地域単位の組織構成への展開(ジオリオ)について、その要因や結果を組織論的に考察している点に注目したい。
 組織化は1960年の池田会長の初渡米から本格的に始まり、その時、ハワイやサンフランシスコ、シカゴなどに8地区(district)が結成され、ロスアンゼルスとブラジルに支部(chapter)が、全体を統括するアメリカ総支部(general chapter)が置かれた。その後、アメリカとブラジルが独立したり、メンバーの増加に伴って、上位組織として総本部、方面などが作られたりと、基本は日本と同様のタテ線組織として発展していった。
 壮年部、婦人部、男子部、女子部という日本にある四者組織もあることはあったが全米規模で四者組織を整備し、機能させようとしたのが1976年頃顕在化したフェイズ2の時であった。会員同士のケアや人材育成の体制づくりであり、男子部長・女子部長に英語がネイティブなアメリカ人を登用した。しかし現実は、フェイズ2では若者が急減し、地域によって四者組織は全く機能しなかったという(101)。
 皮肉なことに、四者組織が機能し始めるのはフェイズ2路線を停止し、コンベンション中心の布教拡大路線が再開される1980年代であった。1981年に池田がロスを訪問し、アメリカの地域に根ざした組織の再構築をめざし、副理事長を5人に増やして集団指導体制を強化したり、日本人に変えてアメリカ人の若いメンバーを役職者に登用し、若者の活動を再活性化させようとした。しかし経験不足もあって教勢は上向かず、結局、日本人メンバーに役職者を戻すなど、GMW路線へ回帰するなど混迷がしばらく続いたようである。
 コンベンション路線を最終的に放棄し、座談会と教学学習による信仰の深化をはかりつつ地道な布教へ路線へと舵を切り、理事会や中央会議での集団指導体制の実質化ができたのは、1990年2月の池田による22度目の訪米による現地で長期にわたる徹底的な指導と改革を待たなければならなかった。その第一弾はウィリアムズ理事長の降板であり、後任として就任した財津理事長のリーダーシップで大幅な組織原則の変更が行われるが、それがタテ線からヨコ線型の組織原則による「ジオリオ」(Geographical Reorganization, Geo-Reo)である。日本におけるヨコ線中心化は創価学会の政治進出に必要な票割の都合で展開したが、アメリカではいかなる要因で行われたのか、極めて興味深い問題である。1994年に始まり97年に完了したというアメリカSGIのヨコ線化は、①近くの座談会に参加できる、②地区リーダーの長期化と人的資源の抱え込みを防ぐ、③メンバーのケアをしやすくし人事育成に資する、④上部組織のバブル化を防ぐためであった。本章末にかけて、この経緯と結果が詳細に記されている。
 1999年末に第三代理事長として長島氏が就任する。彼の時代に理事会や中央会議、総務会などアメリカSGIの意思決定機構が整備され、それぞれの構成員に非日本人や女性のメンバーが多数登用され、「アメリカ人によるアメリカのSGI」が実体として発展していったと言える。そして2015年9月には、第四代理事長にアメリカ人のストラウスが就任するのである。

第4章では、海外布教において大きな課題である現地語での布教・説教や聖典などの現地語化の問題を取りあげている。従来の研究でも創価学会のアメリカでの成功の要因の一つに、早い段階からの英語使用が確認されていた。しかし、その英語化の変遷や進展について詳細な研究をしたものはない。本章では、英語使用の4つのレベル(①会員間のコミュニケーション・座談会など、②機関紙誌、③SGI会長の著作、④御書・辞典)にわたって詳細に調査し、「日本語の透けて見える英語」から「自然な英語」への「二段階の現地化」があったことを明らかにした。
 詳述は避けるが、例えば④において重要な仏教用語である「異体同心」が、1972年「聖教タイムス」では長い説明文だったのが、2002年『創価学会版 英文仏教辞典』では、Many in body, one in mind となり、現在ではUnity in diversityが使われるという136。
 英語表現の未熟さは、仏教やSGIの理念を理解する上で障害ともなったであろう。フェイズ2における停滞の要因の一つもそこにあったと結論づけている。

第5章では、創価学会における信仰の要とされている「師弟不二」が、アメリカのコンテクストでどのように受容されたのかを、機関誌の分析とインタヴューに基づいて考察している。この章は結論とも言えるほど重要であり、かつ秀逸である。
 師匠―弟子という関係は儒教的倫理でもあり、師匠への服従のように上下関係で捉えられやすい概念であり、日本においてはややその傾向が見られる。個人主義的倫理が根付いているアメリカにおいて、この師弟不二がどのように根付くかは大きな課題でもあり、研究上も興味深いものである。本書においては、その訳語の変遷から追っているが、当初は師匠をmasterと訳していたが、1980年代にはteacherが多く使われるようになり、1991年に初めてmentorが使われ、以後、それが定訳となった。その背景には、アメリカ人にとってmasterには主人と奴隷というニュアンスを感じさせること、ウィリアムズ理事長を媒介としないで池田会長に直に指導を受けたり、講演や著作を学ぶ機会が増えたこと、第二次創宗対立で日蓮正宗と決別し、日本と直結する必要があったこと等による。
 またメンターやメンタリングという言葉が、成熟した年長者が若者との信頼関係を築き、適切な「役割モデル」を示しながら成長や更生を支援するメンタリング・プログラムとして、1980年代に普及したことにもよる。メンターは上から指導する存在ではなく、役割モデルを自ら示すことで人々の模範となる存在である。宗教社会学でいう「模範予言者」モデルに該当する。またリーダーシップのあり方として、権威的に命令するのではなく、一人ひとりを「人」として重視し、説得と対話によって目標を達成する「サーバント・リーダーシップ」が企業や組織の新しい管理方法として普及したことも重要である。
 かくしてアメリカでは、日本の「師弟不二」概念と異なる「会員のために奉仕し、説得と対話によって人々をリードしていく新たなリーダー像」、また「人々の幸福と社会の発展、世界の平和のために全身全霊で行動するロール・モデル」として池田会長が捉えられ、アメリカ的な「師弟不二」が定着していった。これらを解明した点で本章は貴重である。

4.コメント(評価と課題)
 両書を何度か通読し、メンバーの経歴や体験、考えも随所に盛り込まれ、一見すると平易で読みやすく書かれた印象はあるが、秋庭著の通史にしてもアメリカSGIと日本の創価学会、日蓮正宗、そして時代背景などを関連させながら描き、川端・稲場著もインタヴューと社会学的分析を織り交ぜるなど複雑な構成であり、著者諸氏の10年間に及ぶ探究の成果が小型本2冊に凝縮されていて読み応えのある著書であった。全体像を把握するのは容易ではないが、両書を往復しながら精読すると実に多くの情報と示唆に富んだ内容である。日本人の研究者によるSGI研究、また一つの日系新宗教の海外での展開を総合的かつ内在的に捉えようとした近年最も優れた成果であると評価する。
また創価学会についての学問的研究が近年余り進んでいないとも言われるが、海外での展開を捉えることは、それが国内での展開と密接に関連していることから、創価学会研究にも大きく貢献すると言えよう。評者にとっても、個人的にも研究上もアメリカSGIの展開を1990年代前半までは把握していたが、最近に至る動向と日本との相違などを学ぶことができ有益であった。
 特に興味深かった点は、メンバーの信仰世界がインタヴューを通して従来の研究にないほどリアルに描かれ、異国の地で日本の日蓮仏教および創価学会の理念が、どのように受容されていったかを理解することができた点である。それによってフェイズ2での激しい改革の動きがアメリカ人の個人主義や平等意識、民主主義が深く根付いていたことによることも解明できたと思われる。これは逆に言えば、日本で「広布第二章」といいながら民主化が進まなかったのは、日本の会員の上記意識の低さを示している。私見ではさらに、上意下達の組織構造の変革が成されなかったからという社会学的分析にもつながっていくと考えている。
また「異体同心」の定着には同質社会と言われる日本とは想像もつかない民族的またマイノリティー的な多様性が強い社会で、異なった人々が一堂に会することの感動と共感があったこと、また「師弟不二」にしても日本的解釈とは異なる「ロール・モデル」としての師匠(メンター)、そして人々に奉仕する「サーバント・リーダー」という意味合いにおいて受け入れられていることを解明したことである。
 細かい点では、ストリート折伏がメンバー数の一時的増加には寄与したが定着はせず、友人・知人や家族からの勧誘が有効であったことが裏付けられた。

 全ての研究書には課題も欠点もある。本書に評者が期待した一つはメンバーの信仰世界のリアリティーの解明であり、記述のように、これまでになく濃密に描かれていることを高く評価している。しかし、その濃密さは本人の主張を克明に描き出すことに終始しており、学問的には、ハバマスが主張するように、彼らの内的世界の物語を第三者にも理解できる言語にいかに翻訳するかが重要ではないかと考える。彼らの主観的想いがアメリカの文化や社会構造の中で客観的にはどのような意味ともたらすのか、特に秋庭著にはやや欠けているように思われる。
次の問題は、SGIおよび日本の創価学会の主張に沿った捉え方や記述になっている点である。特定の教団調査は、当然のことではあるが、対象となる教団の了解や支援がないと困難である。本調査も長期にわたり様々な地点で多くのインタヴューを重ねるとなると尚更である。情報やデータに偏りが生じる可能性もある。それをいかに克服してより高い客観性を獲得するかが、本書においても課題であると感じる。
既に指摘されていることでもあるが、初代理事長GMWの捉え方にそれは表れている。海外で発展したSGI運動の多くは、自らの意志で各国に移住し、自力で折伏活動を始めた会員から始まっている。当初は日本からの支援もほとんどないまま、いろいろ工夫しながら苦労して布教し拡大していった。そのようなリーダーには親分肌の人物も多く、現地のメンバーに人間的に慕われている面も少なくない。こうして発展した組織が一定程度大きくなると当然ではあるが日本の創価学会からの指導や統制の対象となる。それに対し、現地のことは現場にしか分からない、現地のことは自分が一番知っており、自分に任せて欲しいという主張が出てくるのも自然の成り行きである。またGMWの場合、池田や日本に対する不満とヘゲモニーを維持するために、第二次創宗対立の際、宗門側につきかけたのが解任の直接的原因であったという情報もある。SGIが世界に展開していく過程で、このような両者の確執が様々に生起している。学問的研究においては、一方からの判断や記述に偏らないよう適切な留意が必要となる。
 学問的客観性の担保のためには、さらにインタヴューアがどのように選ばれ、その選出に全体の代表性がどの程度確保されているかも重要である。また信仰をやめた人や批判者の声も考慮する必要もある。方法論が異なるので当然でもあるが、アメリカSGI全体のメンバー数の変遷や民族・人種構成の変化、年齢構成や地域的分布の変遷などの全体的統計データもほしいところではあった。一般向けに書かれたためでもあろうが、これらの点についての情報が全くないか、部分的にしか記されていないのは残念であった。

細かい点での誤りも幾つ指摘しておきたい。他の日系宗教についての目配りの少なさや、海外布教を最初に行ったのはSGIではない点も既に指摘されている通りである。またLGBT組織や外国語グループは、実は日本の創価学会にも公式・非公式ながら存在する。公表されておらず研究もされていないことから当然の情報不足であろうが、今後の研究に期待したい。今後は他の国々に展開したSGI運動についても成果を発表していく予定と伺っている。それらに期待するとともに、もし可能であれば、他の日系新宗教との比較や、欧米で発展したアジア系新宗教、例えば成功事例としてのクリシュナ意識国際協会(ISKCON)との比較研究にも期待するところである。

参考文献
秋庭裕・川端亮、2004、『霊能のリアリティへ』新曜社。
中野毅, 1999,「バクティベダンタ・スワミとクリシュナ意識運動」『創価大学比較文化研究』第16巻,33-50頁(島・坂田編『聖者たちのインド』春秋社,2000年、47-69頁所収)。
ハバマス「『政治的なもの』―政治神学のあいまいな遺産の合理的意味―」、ハバマス他, 2014『公共圏に挑戦する宗教』岩波書店。