島薗進編『政治と宗教』(岩波新書)出版案内 ― 2023年01月24日
出版のご案内です。島薗進編『政治と宗教: 統一教会問題と危機に直面する公共空間』(岩波新書、1月24日刊)。第3章を担当しました。本書は、安倍元首相の殺害事件により次々と明らかになった旧統一教会と自民党との驚くべき癒着の実体を受けて、政治(家)と宗教団体の関係はどうあるべきなのか問題提起した一書です。多様な個人や集団が合意を形成して社会を形成・運営する場を「公共空間」とすると、現在の日本における公共空間は、旧統一教会や日本会議など右派宗教団体と自民党とのもたれあい、創価学会と公明党との関係などで歪められているのではないかという編者の問題提起が前提となっています。
第1章は宗教学者の島薗進(東京大学名誉教授)氏が、第2章は世耕自民党議員と統一教会をめぐるスラップ訴訟で勝訴的和解を勝ち取った中野昌宏(青山学院大学教授)氏が、教会の歴史、教義、自民党、特に岸信介からの密接な関係、凶悪事件の疑いとそれを握り潰した政治の力を克明かつ簡潔に描いています。文鮮明を現代のメシアとし、韓国はアダム国家で、堕落させた女エバのサタン国家が日本、日本の信者が膨大な金を貢ぐのは植民地支配した過去への贖罪(蕩減)だとか、先祖を地獄から救い出すため(先祖解怨)には高額の献金をせよと恐喝まがいの教えを説くなど、信者を奴隷化し人権を蹂躙する教義を掲げ、なおかつ政治的には文鮮明は天皇を支配する存在であると主張している統一教会が、岸・安倍三代を中心とする自民党右派や自称愛国主義者達が深く結託していた事実が明らかにされてます。それには驚くほかはありません。1970年代には霊感商法で社会からの批判を浴び、その後、静かになっていたと思っていましたが、そうではなかったわけです。
第3章「自公連立政権と創価学会」は私が書きました。戸田時代に政治を庶民の手に、国立戒壇建立などの目標を掲げ無党派で政界に進出し、池田時代に宗教政党・公明党を結成して自民党政権に挑戦し、やがて国民政党に変わり、ついには自公連立にいたる創価学会の政治参加の過程を段階的に整理しました。
さらに自民党との連立に至った諸要因を検討し、自公連立政権への参加は国民の生活支援のための諸政策の実現など利点はあるが、自民の失政に共同責任を取らされたり、右派との妥協など代償も少なくないこと。公明党は支持者に多い階層的に低い人々を上昇させる長期的なマクロ政策を打ち出して自民との相違を明確にする必要性。党組織の確立と主体的な選挙運動、党首選や候補者選定での透明化や公開性の必要性。また信仰と政治的信条は別であり、会員の政党支持は結党以来公式には原則自由とされ、公明党支援は会員の自発的な同意が前提となる、従って異なる政治的見解をもつ会員へさらなる寛容性が必要であることなど、自公連立の利点と代償、今後の課題について書きました。
様々な宗教者や宗教団体が公共空間に参加していくことは歓迎すべき事です。その際には社会の公益性への貢献、基本的人権の重視、自他の相互尊重を大前提とし、公開性と透明性が不可欠です。創価学会の政治参加のプロセスは公共空間への参加の一形態であり、一過程でもあります。今後のさらなる改善と進展を期待しています。
第4章はフランスの政教関係ライシテの専門家である伊達聖伸氏がエホバの証人や統一協会などの「セクト」対策の経緯と特徴、2001年の「反セクト法」の制定とその運営、経緯と課題について論じています。
第5章はアメリカ宗教専門家の佐藤清子氏が、アメリカの政教分離制度、政治家と宗教の深い関係、宗教的理念による活発な市民運動を論じています。統一教会は米でも1970年代後半に問題となり、文鮮明が脱税容疑で逮捕され、岸信介が釈放嘆願書を大統領に送ったことは有名です。なお米国では宗教団体が選挙での支援する運動は禁じられてるが、信徒による政治活動委員会を組織して支援活動をしています。
近年における政治と宗教のあり方を再考察する上で、参考にしていただければ幸甚です。
https://www.iwanami.co.jp/book/b618315.html?fbclid=IwAR2i_ftgIYbv1MIfhQo4V2AVKI8gOGn5YGhD26RPYyXS0qVsTNgvu9Xbgac
第1章は宗教学者の島薗進(東京大学名誉教授)氏が、第2章は世耕自民党議員と統一教会をめぐるスラップ訴訟で勝訴的和解を勝ち取った中野昌宏(青山学院大学教授)氏が、教会の歴史、教義、自民党、特に岸信介からの密接な関係、凶悪事件の疑いとそれを握り潰した政治の力を克明かつ簡潔に描いています。文鮮明を現代のメシアとし、韓国はアダム国家で、堕落させた女エバのサタン国家が日本、日本の信者が膨大な金を貢ぐのは植民地支配した過去への贖罪(蕩減)だとか、先祖を地獄から救い出すため(先祖解怨)には高額の献金をせよと恐喝まがいの教えを説くなど、信者を奴隷化し人権を蹂躙する教義を掲げ、なおかつ政治的には文鮮明は天皇を支配する存在であると主張している統一教会が、岸・安倍三代を中心とする自民党右派や自称愛国主義者達が深く結託していた事実が明らかにされてます。それには驚くほかはありません。1970年代には霊感商法で社会からの批判を浴び、その後、静かになっていたと思っていましたが、そうではなかったわけです。
第3章「自公連立政権と創価学会」は私が書きました。戸田時代に政治を庶民の手に、国立戒壇建立などの目標を掲げ無党派で政界に進出し、池田時代に宗教政党・公明党を結成して自民党政権に挑戦し、やがて国民政党に変わり、ついには自公連立にいたる創価学会の政治参加の過程を段階的に整理しました。
さらに自民党との連立に至った諸要因を検討し、自公連立政権への参加は国民の生活支援のための諸政策の実現など利点はあるが、自民の失政に共同責任を取らされたり、右派との妥協など代償も少なくないこと。公明党は支持者に多い階層的に低い人々を上昇させる長期的なマクロ政策を打ち出して自民との相違を明確にする必要性。党組織の確立と主体的な選挙運動、党首選や候補者選定での透明化や公開性の必要性。また信仰と政治的信条は別であり、会員の政党支持は結党以来公式には原則自由とされ、公明党支援は会員の自発的な同意が前提となる、従って異なる政治的見解をもつ会員へさらなる寛容性が必要であることなど、自公連立の利点と代償、今後の課題について書きました。
様々な宗教者や宗教団体が公共空間に参加していくことは歓迎すべき事です。その際には社会の公益性への貢献、基本的人権の重視、自他の相互尊重を大前提とし、公開性と透明性が不可欠です。創価学会の政治参加のプロセスは公共空間への参加の一形態であり、一過程でもあります。今後のさらなる改善と進展を期待しています。
第4章はフランスの政教関係ライシテの専門家である伊達聖伸氏がエホバの証人や統一協会などの「セクト」対策の経緯と特徴、2001年の「反セクト法」の制定とその運営、経緯と課題について論じています。
第5章はアメリカ宗教専門家の佐藤清子氏が、アメリカの政教分離制度、政治家と宗教の深い関係、宗教的理念による活発な市民運動を論じています。統一教会は米でも1970年代後半に問題となり、文鮮明が脱税容疑で逮捕され、岸信介が釈放嘆願書を大統領に送ったことは有名です。なお米国では宗教団体が選挙での支援する運動は禁じられてるが、信徒による政治活動委員会を組織して支援活動をしています。
近年における政治と宗教のあり方を再考察する上で、参考にしていただければ幸甚です。
https://www.iwanami.co.jp/book/b618315.html?fbclid=IwAR2i_ftgIYbv1MIfhQo4V2AVKI8gOGn5YGhD26RPYyXS0qVsTNgvu9Xbgac
南原繁研究会編『今、南原繁を読む―国家と宗教とをめぐって―』(横濱大氣堂、2020年6月20日)を読む ― 2020年09月21日
本書は2019年11月2日(土)、神田学士会館にて開催された第16回南原繁研究会シンポジウム「今 南原繁を読む―生誕130年に寄せて―」における講演、パネル・ディスカッションを収録したものであり、講演者はイスラム学者の板垣雄三氏、宗教学者の島薗進氏、ディスカッタントには伊藤貴雄、宮崎文彦、晏可佳の各氏ほかが登壇している。
発刊直後にご恵贈いただき、部分的には目を通していたが、ここ数年進めている共同研究【「占領と日本宗教」再考―連合国のアジア戦後処理と宗教についての再検討―(仮)】の共編著出版のための原稿を仕上げるにあたり、全体を把握したいと読破した。いやはや、その内容は痛烈で濃く、久しぶりに感動したので、お礼もかねてご紹介したい。
南原繁(1889-1974)は、ご承知のように香川県で生まれ、1907年に第一高等学校に入学、1914年に東京帝国大学を卒業して内務省に入るが、1921年には東京帝国大学に戻って法学部助教授、その後、教授を経て、敗戦後の1945年12月に東京帝国大学総長に就任し、戦後の教育改革、新憲法の審議や講和問題などで戦後日本の建設に大きな貢献をした人物です。1945年前半の法学部長時代には、高木八尺氏らと英米を介した終戦工作にも携わり(本書136頁~にも詳述)、「天皇の聖断」による戦争終結を主張したのも南原だったと言われています。
思想的には、一高時代の校長だった新渡戸稲造から大きな感化を受け、内村鑑三との親交によって無教会派クリスチャンとしてリベラルな論陣をはりました。フィヒテなどドイツ理想主義の研究を基礎に政治についての哲学的研究を進め、日本の「国体」の疑似宗教性を批判し、その成果を『国家と宗教』(1942年)にまとめました。
かの丸山真男も彼の弟子になるのですが、この南原繁を学問や思想、人生の師と仰ぐ方々によって、南原繁研究会は組織され、長年にわたって研究会やシンポジウム、出版を重ねてきた。それだけも敬意を覚えるが、この種の会がおおむね顕彰や賛嘆する類いのものが多い中で、南原の仕事、思索を内在的に捉え直すと共に、批判的学問的な検証も行うことにもやぶさかではないことが、本書によって示されている点においても、重ねて敬意を表したい。
講師二人の批判的検証はなかなか読み応えがあります。
講演1.板垣雄三氏は、南原が改革した新制東京大学の第一期生で、その後も30年以上東大で教え続けたイスラム学者であります。彼はキリスト教とイスラムの歴史と競合、教理的展開に詳しい立場から、南原の『国家と宗教』を読み直し、彼のヨーロッパ精神史の捉え方がプラトン/アウグスティヌス/トマス/ルター/カント/ヘーゲル/ニーチェの系譜からマルクス主義とナチズムを位置づけ、日本国家・民族の針路を考究するという、現代からすると余りに狭い西欧中心主義の視点に捕らわれている点、イスラム文明との関係性抜きにキリスト教や欧米社会文化の発展を理解できない点、また南原のキリスト教の理解もその多様性やユダヤ教などへの顧慮がまったく欠落している点などを驚くほど鋭く批判しています。
板垣氏の批判は、現在の学的レベルからは当然ですが、それだけでなく、当時すでに進展していた研究への目配りが足りなかったと、内在的批判になっているのが凄い点でした。
講演2.島薗進の「南原繁・無教会・国家神道」も鋭く、驚愕の事実を指摘しています。敗戦当時の日本の指導層が「教育勅語」の廃止に消極的であり、その影響で「政教分離」を指令し、国家神道の廃絶を命じた「神道指令」からも外されたことは周知のことだが、南原も例外ではなく、教育勅語は天地の公道を示したものと肯定的にとらえていた。それにとどまらず、彼は神権的国体論と神聖天皇崇敬もほぼ当時の政府見解に即して受容して、さほどの批判もしていなかった。「玉音放送」を聞いた南原は天皇の心情を思って落涙したとか、「天長節」を祝う演説で、一系の皇室を上に抱く日本が遠き昔から聖別して、天皇の「宝寿の無窮」を祝う日と述べるなど、神権的国体論を無批判に受け入れていたようです。
新憲法の改正に対しても、南原は批判的で、それは余りにも西洋的であり、日本の統治権の独自性は、「日本古来から伝わり、今日に至るまで守られてきました、いわゆる神勅にある」(40頁)と論じ、「肇国以来」、神勅に由来する天皇の地位を尊ぶ国体が存在し続けたという認識をもっていた。国家が始まって以来、一度も変わっていない国体が日本の民族的共同性の核にあるものだというのです。従って、憲法改正によって西洋的な民主国家になるのは行き過ぎで、君民同治の日本民族共同体を形成すべきだという論を展開していたようです。そこには神聖天皇崇拝や神権的国体論が明治維新以降に造られたものという認識はうかがえません。西洋思想に依拠し、近代人としての自律・自由を尊ぶ政治理論を構築してきたはずの南原が、ここまで神権的国体論の立場を深く受け入れてきたのかと驚くような論の展開だと、島薗進氏は指摘しています(42頁)。
そのほか興味深い諸氏の議論が満載です が、もう一つだけ紹介しますと、加藤節「南原繁と丸山真男」(174~184頁)です。丸山真男が南原の弟子筋にあたることは既に記しましたが、加藤氏によると、丸山の思想と学問は南原の対極、もしくは否定性のうえにあるという、これも刺激的な報告でした。南原が政治は「文化創造の業」の一つであり、教育や芸術と並ぶ一つの固有の領域と捉えるのに対し、丸山はそれは「暴力」や「支配階級の搾取の道具」というネガティブなもので、人間活動の諸領域に亘って働く力と考えていました。ファシズムへの批判では共通していましたが、南原は個人を超越すると共に「神の国」に連なり、「世界主義」に結びつく民族共同体の確立に賭けたのに対し、丸山は民族や国家に先立つ主体的な近代的個人の可能性を探究しつづけていました。その延長に、自由な個人の人格を重視する視点から天皇制を否定し、天皇の政治的責任を曖昧にすることを拒否した丸山の態度は、天皇制を容認し、その戦争責任を道徳的な問題に限定した南原とは、決定的に離反しているという(182頁)。そのほかの面も含め、両者の大きな差異を明確に論じた加藤氏の論もまた、熟読をお薦めする報告でした。
ちなみに本書の文脈とは無関係ですが、加藤節氏は成蹊大学名誉教授で、安倍晋三・前総理の学生時代の恩師だった方です。勉強をしない落第学生だと厳しく指摘していたことは、よく知られることになりました(笑)。
さて、そもそも筆者が南原に感心をもったきっかけは、「人間革命」という考え方や発想を戦後最初に表明した人物が南原繁だったからであり、その点について長年研究している伊藤貴雄・創価大学文学部教授が、本シンポジウムに登壇し、その報告を「民主主義を支えるもの―南原繁と「精神革命」「人間革命」の理念―」として寄せています。このテーマについての伊藤氏の早い時期での指摘は、論文「第4 回入学式講演『創造的生命の開花を』とその歴史的背景」(『創価教育』第7号、2014年3、63~76頁、特に73~74頁参照)でした。これらをもとに学んで言えることは、次のような点です(以下、論文用に書いた文章ですので、文体が変わります)。
「人間革命」という用語は、敗戦後の一九四五年一二月に東京帝国大学総長に就任した南原繁によって頻繁に語られ、当時の流行語になっていた。南原は日本が全体主義国家に成り果て、無謀な戦争に突入して破綻したのは、軍閥や一部官僚・政治家の無知と野心によるとしながらも、それらを許したのは「自律と自由」な精神を失って迎合した知識人や国民の「内的欠陥」にあると捉え、戦後における真の民主主義実現のためには日本国民の精神的変革が不可欠であることを敗戦直後から主張した。総長就任後の一九四六年一月一日のラジオ放送「学生に興ふる言葉」一九四六年一月一日)では、戦後の改革には「社会的革命と相並んで、或いは寧ろその前提として人間の革命でなければならぬ。人間の革命―わが国民の精神革命―はいかにして可能であるのか」という問題提起のもとで語った。また一九四七年九月三〇日の卒業式演述「人間革命と第二産業革命」では、人間そのものの革命、すなわち「人間革命」なくしては民主的政治革命も社会的経済革命も空虚となり、失敗に終わると警鐘を鳴らしたのである。
それに刺激されてか、一九四六年の夏頃には日本では「人間革命」を当時の知識人やメディアがこぞって主張しはじた。哲学者・柳田謙十郎や政治学者・中村哲、経済学者・高島義哉のほか、田中美知太郎、清水幾太郎、下村寅太郎、片山正直、恒藤恭、長田新、出口勇蔵)、片山敏彦、新明正道、甘粕石介、 羽仁五郎などである。しかし、一九五〇年代に入ると論壇ではマルクス主義が優勢となりはじめ、時代状況として朝鮮戦争の勃発と警察予備隊の創設、サンフランシスコ講和条約、レッドパージなどを背景に、「人間革命」論は迂遠な主張として顧みられなくなった。
また南原が説く「精神革命」「人間革命」論には、彼が内村鑑三の無教会派クリスチャンであったからであろうが、人間の内面を自省的に突き止めていくことで、人間を越えた超主観的な絶対精神―「神の発見」と、それによる自己克服が必要だと説くように、キリスト教における宗教革命がもたらしたプロテスタント的宗教性によって実現すると考えていた。先の島薗講演はこの点を鋭く摘出し、その一方で南原の国体論や天皇観が明治以来の政府による創作であるにもかかわらず、それを戦後も無批判に受容していたことを明らかにした。
ここに南原の人間革命論の特徴、または限界があったとも言えるが、興味深い点は、日蓮信仰、日蓮主義と結びつけて、日蓮主義による人間革命、社会革命をめざす戦後初の宗教政党「日蓮党」を新妻清一郎なる人物が結成し、その政治理念として唱えられていたことである。この政党はあっという間に消えてしまったが、日蓮信仰と人間革命論を結戦後最初に結び付けた事例である。その後、創価学会第二代会長・戸田城聖は創刊した宗教雑誌『大白蓮華』第二号(一九四九年八月一〇日)の巻頭言において、「かつて、東大の南原総長は、人間革命の必要を説いて、世人の注目をあびたのであったが、われわれも、また、人間革命の必要を痛感する」と語り、自身の小説や教団の中心思想として展開し、今日では海外の創価学会インターナショナルによって世界的に広がったことは、さらに興味深い出来事である。
発刊直後にご恵贈いただき、部分的には目を通していたが、ここ数年進めている共同研究【「占領と日本宗教」再考―連合国のアジア戦後処理と宗教についての再検討―(仮)】の共編著出版のための原稿を仕上げるにあたり、全体を把握したいと読破した。いやはや、その内容は痛烈で濃く、久しぶりに感動したので、お礼もかねてご紹介したい。
南原繁(1889-1974)は、ご承知のように香川県で生まれ、1907年に第一高等学校に入学、1914年に東京帝国大学を卒業して内務省に入るが、1921年には東京帝国大学に戻って法学部助教授、その後、教授を経て、敗戦後の1945年12月に東京帝国大学総長に就任し、戦後の教育改革、新憲法の審議や講和問題などで戦後日本の建設に大きな貢献をした人物です。1945年前半の法学部長時代には、高木八尺氏らと英米を介した終戦工作にも携わり(本書136頁~にも詳述)、「天皇の聖断」による戦争終結を主張したのも南原だったと言われています。
思想的には、一高時代の校長だった新渡戸稲造から大きな感化を受け、内村鑑三との親交によって無教会派クリスチャンとしてリベラルな論陣をはりました。フィヒテなどドイツ理想主義の研究を基礎に政治についての哲学的研究を進め、日本の「国体」の疑似宗教性を批判し、その成果を『国家と宗教』(1942年)にまとめました。
かの丸山真男も彼の弟子になるのですが、この南原繁を学問や思想、人生の師と仰ぐ方々によって、南原繁研究会は組織され、長年にわたって研究会やシンポジウム、出版を重ねてきた。それだけも敬意を覚えるが、この種の会がおおむね顕彰や賛嘆する類いのものが多い中で、南原の仕事、思索を内在的に捉え直すと共に、批判的学問的な検証も行うことにもやぶさかではないことが、本書によって示されている点においても、重ねて敬意を表したい。
講師二人の批判的検証はなかなか読み応えがあります。
講演1.板垣雄三氏は、南原が改革した新制東京大学の第一期生で、その後も30年以上東大で教え続けたイスラム学者であります。彼はキリスト教とイスラムの歴史と競合、教理的展開に詳しい立場から、南原の『国家と宗教』を読み直し、彼のヨーロッパ精神史の捉え方がプラトン/アウグスティヌス/トマス/ルター/カント/ヘーゲル/ニーチェの系譜からマルクス主義とナチズムを位置づけ、日本国家・民族の針路を考究するという、現代からすると余りに狭い西欧中心主義の視点に捕らわれている点、イスラム文明との関係性抜きにキリスト教や欧米社会文化の発展を理解できない点、また南原のキリスト教の理解もその多様性やユダヤ教などへの顧慮がまったく欠落している点などを驚くほど鋭く批判しています。
板垣氏の批判は、現在の学的レベルからは当然ですが、それだけでなく、当時すでに進展していた研究への目配りが足りなかったと、内在的批判になっているのが凄い点でした。
講演2.島薗進の「南原繁・無教会・国家神道」も鋭く、驚愕の事実を指摘しています。敗戦当時の日本の指導層が「教育勅語」の廃止に消極的であり、その影響で「政教分離」を指令し、国家神道の廃絶を命じた「神道指令」からも外されたことは周知のことだが、南原も例外ではなく、教育勅語は天地の公道を示したものと肯定的にとらえていた。それにとどまらず、彼は神権的国体論と神聖天皇崇敬もほぼ当時の政府見解に即して受容して、さほどの批判もしていなかった。「玉音放送」を聞いた南原は天皇の心情を思って落涙したとか、「天長節」を祝う演説で、一系の皇室を上に抱く日本が遠き昔から聖別して、天皇の「宝寿の無窮」を祝う日と述べるなど、神権的国体論を無批判に受け入れていたようです。
新憲法の改正に対しても、南原は批判的で、それは余りにも西洋的であり、日本の統治権の独自性は、「日本古来から伝わり、今日に至るまで守られてきました、いわゆる神勅にある」(40頁)と論じ、「肇国以来」、神勅に由来する天皇の地位を尊ぶ国体が存在し続けたという認識をもっていた。国家が始まって以来、一度も変わっていない国体が日本の民族的共同性の核にあるものだというのです。従って、憲法改正によって西洋的な民主国家になるのは行き過ぎで、君民同治の日本民族共同体を形成すべきだという論を展開していたようです。そこには神聖天皇崇拝や神権的国体論が明治維新以降に造られたものという認識はうかがえません。西洋思想に依拠し、近代人としての自律・自由を尊ぶ政治理論を構築してきたはずの南原が、ここまで神権的国体論の立場を深く受け入れてきたのかと驚くような論の展開だと、島薗進氏は指摘しています(42頁)。
そのほか興味深い諸氏の議論が満載です が、もう一つだけ紹介しますと、加藤節「南原繁と丸山真男」(174~184頁)です。丸山真男が南原の弟子筋にあたることは既に記しましたが、加藤氏によると、丸山の思想と学問は南原の対極、もしくは否定性のうえにあるという、これも刺激的な報告でした。南原が政治は「文化創造の業」の一つであり、教育や芸術と並ぶ一つの固有の領域と捉えるのに対し、丸山はそれは「暴力」や「支配階級の搾取の道具」というネガティブなもので、人間活動の諸領域に亘って働く力と考えていました。ファシズムへの批判では共通していましたが、南原は個人を超越すると共に「神の国」に連なり、「世界主義」に結びつく民族共同体の確立に賭けたのに対し、丸山は民族や国家に先立つ主体的な近代的個人の可能性を探究しつづけていました。その延長に、自由な個人の人格を重視する視点から天皇制を否定し、天皇の政治的責任を曖昧にすることを拒否した丸山の態度は、天皇制を容認し、その戦争責任を道徳的な問題に限定した南原とは、決定的に離反しているという(182頁)。そのほかの面も含め、両者の大きな差異を明確に論じた加藤氏の論もまた、熟読をお薦めする報告でした。
ちなみに本書の文脈とは無関係ですが、加藤節氏は成蹊大学名誉教授で、安倍晋三・前総理の学生時代の恩師だった方です。勉強をしない落第学生だと厳しく指摘していたことは、よく知られることになりました(笑)。
さて、そもそも筆者が南原に感心をもったきっかけは、「人間革命」という考え方や発想を戦後最初に表明した人物が南原繁だったからであり、その点について長年研究している伊藤貴雄・創価大学文学部教授が、本シンポジウムに登壇し、その報告を「民主主義を支えるもの―南原繁と「精神革命」「人間革命」の理念―」として寄せています。このテーマについての伊藤氏の早い時期での指摘は、論文「第4 回入学式講演『創造的生命の開花を』とその歴史的背景」(『創価教育』第7号、2014年3、63~76頁、特に73~74頁参照)でした。これらをもとに学んで言えることは、次のような点です(以下、論文用に書いた文章ですので、文体が変わります)。
「人間革命」という用語は、敗戦後の一九四五年一二月に東京帝国大学総長に就任した南原繁によって頻繁に語られ、当時の流行語になっていた。南原は日本が全体主義国家に成り果て、無謀な戦争に突入して破綻したのは、軍閥や一部官僚・政治家の無知と野心によるとしながらも、それらを許したのは「自律と自由」な精神を失って迎合した知識人や国民の「内的欠陥」にあると捉え、戦後における真の民主主義実現のためには日本国民の精神的変革が不可欠であることを敗戦直後から主張した。総長就任後の一九四六年一月一日のラジオ放送「学生に興ふる言葉」一九四六年一月一日)では、戦後の改革には「社会的革命と相並んで、或いは寧ろその前提として人間の革命でなければならぬ。人間の革命―わが国民の精神革命―はいかにして可能であるのか」という問題提起のもとで語った。また一九四七年九月三〇日の卒業式演述「人間革命と第二産業革命」では、人間そのものの革命、すなわち「人間革命」なくしては民主的政治革命も社会的経済革命も空虚となり、失敗に終わると警鐘を鳴らしたのである。
それに刺激されてか、一九四六年の夏頃には日本では「人間革命」を当時の知識人やメディアがこぞって主張しはじた。哲学者・柳田謙十郎や政治学者・中村哲、経済学者・高島義哉のほか、田中美知太郎、清水幾太郎、下村寅太郎、片山正直、恒藤恭、長田新、出口勇蔵)、片山敏彦、新明正道、甘粕石介、 羽仁五郎などである。しかし、一九五〇年代に入ると論壇ではマルクス主義が優勢となりはじめ、時代状況として朝鮮戦争の勃発と警察予備隊の創設、サンフランシスコ講和条約、レッドパージなどを背景に、「人間革命」論は迂遠な主張として顧みられなくなった。
また南原が説く「精神革命」「人間革命」論には、彼が内村鑑三の無教会派クリスチャンであったからであろうが、人間の内面を自省的に突き止めていくことで、人間を越えた超主観的な絶対精神―「神の発見」と、それによる自己克服が必要だと説くように、キリスト教における宗教革命がもたらしたプロテスタント的宗教性によって実現すると考えていた。先の島薗講演はこの点を鋭く摘出し、その一方で南原の国体論や天皇観が明治以来の政府による創作であるにもかかわらず、それを戦後も無批判に受容していたことを明らかにした。
ここに南原の人間革命論の特徴、または限界があったとも言えるが、興味深い点は、日蓮信仰、日蓮主義と結びつけて、日蓮主義による人間革命、社会革命をめざす戦後初の宗教政党「日蓮党」を新妻清一郎なる人物が結成し、その政治理念として唱えられていたことである。この政党はあっという間に消えてしまったが、日蓮信仰と人間革命論を結戦後最初に結び付けた事例である。その後、創価学会第二代会長・戸田城聖は創刊した宗教雑誌『大白蓮華』第二号(一九四九年八月一〇日)の巻頭言において、「かつて、東大の南原総長は、人間革命の必要を説いて、世人の注目をあびたのであったが、われわれも、また、人間革命の必要を痛感する」と語り、自身の小説や教団の中心思想として展開し、今日では海外の創価学会インターナショナルによって世界的に広がったことは、さらに興味深い出来事である。
平藤喜久子編『ファシズムと聖なるもの/古代的なるもの』を読む ― 2020年07月12日
平藤喜久子編『ファシズムと聖なるもの/古代的なるもの』北海道大学出版会、2020年4月。
http://hup.gr.jp/modules/zox/index.php?main_page=product_book_info&cPath=8_10&products_id=990
近年、北海道大学出版会から宗教学・宗教社会学の好著が相次いで出版されている。国家やナショナリズムと宗教について長年追求してきた筆者が強い関心をもって落手した一冊が、本書である。
なんと言っても、まずタイトルに惹かれた。いまなぜファシズムかとピンとこない人もいようが、現在の世界でも伝統への回帰とマイノリティの否定、独裁的政治手法の復活と強いリーダーへの憧れなど、見渡せばファシズム的現象、状況が跋扈しているのが分かる。そしてそこには古代的なるものを賛嘆し、神聖視するような価値観、視線、態度がつきまとっている。決して過去の現象ではなく、いま、ここでも生起しているのである。
歴史的にはイタリア、ドイツ、日本が戦前のファシズム国家とされるが、急進的ナショナリズム、民族の聖化、全体主義、反共主義などを伴うファシズム運動は、1920年代以降、ヨーロッパが中心ではあったが、南米など世界各地をも席巻した。本書の特徴は、このような政治的運動の背後や中核に、「古代的なるもの」を「聖なるもの」として再発見し、または創造し、称揚して人々を魅了していく宗教的文化的運動があったことを明らかにしようとしたことにある。
章立ては本書の紹介サイトを参照して欲しい。また各章ごとの紹介は省略するが、第1部はファシズム期の日本がどのような自己像・世界像を形成していたかを探究。第2部は、ナチス・ドイツやイタリアで日本の神道や禅、古事記など古代的文献がどのように評価されていたか。第3部はドイツ、ルーマニア、フランス語圏などでのファシズム期の表象を扱っている。
編者執筆の第1章冒頭で、戊辰戦争で自決した白虎隊が眠る飯盛山に、イタリアのムッソリーニが1928年に贈った、ファシスタ党のシンボルである鷲を戴くモニュメントが紹介され、白虎隊が注目された背景として、ナチスの親衛隊(SS)など、ファシズム期における「男性結社」の重視とその民族固有の起源への関心、神話学の興隆など日本との共通点が指摘されるなど、刺激的な内容に満ちている。
さらには、この時代に発展した宗教研究の諸学問、宗教民族学や神話学などが、ファシズムの恩恵を受け、その発展に加担し、その刻印を現在まで消せないでいることを明らかにした点にもある。編者もいみじくも記している。「日本の神話学は、ファシズム期という時代の影響はあまり受けなかった・・・と思っていたが、実際は違った。戦前から戦後にかけて活躍した松村武雄や松本信広、三品彰英、岡正雄など昭和を代表する研究者たちは、1930年代以降、時局を意識し、植民地主義に益するような神話研究を目指し、邁進していたのである」(269頁)。
宗教学をかじり始めた頃、基礎文献として読み込んだ宇野円空『宗教民族学』などの「民族」の発見と強調が、また日本民族学会(1934年、後に日本文化人類学会)や日本宗教学会(1930年)の成立も、「日本型ファシズム」の生成に深く結びついていたことを明らかにした第2章(鈴木)、晩年はシカゴ大学教授として現象学的宗教学ともいえる学派を形成したミルチャ・エリアーデも、1940年代のファシズム国家で文化参事官を務めていたなど、ルーマニアのファシズム期を扱った第8章(新免)も、なかなか衝撃的である。
また比較研究の重要性をも、本書は目の当たりにしてくれる。日本で明治政府の樹立に際して、1867年に出された大号令が「王政復古」であり、それは「諸事神武創業の始に」基づいて国を造り、運営すると宣言したことはよく知られている。日本の近代は、まさに「古代的なるもの」を「聖なるもの」とし、そこへの回帰から始まった。
イタリアとドイツ圏、フランスのファシズム期における神話学の比較を整理した第11章(松村)が参考になるが、イタリアでもこの時期に注目されていたのは、古代ローマだった。ムッソリーニが1919年に「戦闘者ファッシ」(ファシスタ党)を結成したが、このFascisはラテン語で「束」とか「包み」を意味する語だが、そもそもは古代ローマの政務官が使用した権威のシンボルであるファスケス(束桿斧)に由来するという。ファシスタ党はこのファスケスを党の標章に使用した。また制服などに鷲の紋章が使われたが、鷲はローマ神話の主神ユピテルのシンボルであり、古代ローマ帝国の象徴である。
ナチス・ドイツもしかりである。ナチスによるアーリ人神話の創出は有名であるが、古代的な神話的象徴の利用は、古代ローマからギリシャ、さらに古代オリエントにも及び、本書ではナチス・ドイツによるオリエント研究、ファシズム期ドイツの古代イメージの拡がりを明らかにしている。ナチズムも一挙に生まれたのではなく、それを準備した、または萌芽となったドイツ国民主義を生み出したプレファシズム期のフェルキッシュ(volkisch)運動に見いだし、その視覚文化を解明した第9章(深澤)、ナチズム期の古代表象を正面から扱った第10章(久保田)は重厚かつ手堅い論考である。
本書は長年にわたる科研費による学術研究の成果であり、各章ともそれなりにしっかりした論文であるため、読み通すのに時間がかかった。今後、こうした基礎研究をもとに、ファシズムの形成と影響についての、さらに包括的かつ刺激的な成果を期待したい。
特に、今後の課題とも言えるが、古代的なるもの・聖なるものとするシンボル操作やそれによる国民統合は、上記ファシズム国家に限ったことではない。革命によっていち早く近代国家を造り上げたとされるフランス共和国においても、自分達こそが古代ギリシャ・ローマの正統な継承者であることを盛んに宣揚し、その最も進歩した「文明」の担い手であると自己正当化を試みていた。そのフランスのナポレオンに侵略されたドイツが民族(Volk)と「文化」の優越性を強調したのは、一種の対抗ナショナリズムの形成でもあった。フランスや英米が「文明」による啓蒙と称して周辺諸国を侵略し、その流れは第二次世界大戦は「野蛮対文明」の闘いだと鼓舞したルーズベルト大統領の宣言にも見いだされ、戦後の「文明の闘争」論にまで展開している。このようなグローバルな政治的文化的、そして宗教的ダイナミズムの過程として、ファシズムの展開を捉えていって欲しいと願っている。
また、本書の内容は従来の神話学批判、宗教学批判の内容を含んでおり、批判的宗教学とでも言える立場での展開が日本では弱かったので、これを契機に発展してほしいと期待している。
さらには、イスラム世界との関連が抜けているとも言える。大川周明がスーフィズムへ傾倒していたという論考(第3章)は、それ自体として興味深かったが、イスラム世界とファシズム、全体主義・専制主義というテーマも現代ではありうるわけで、この方面への展開も期待したい。
いまだ全編を精読したとは言えないが、紹介したい一書なので投稿する。また、このような地味な学術書を出版してくれる北海道大学出版会に改めて敬意を表したい。
http://hup.gr.jp/modules/zox/index.php?main_page=product_book_info&cPath=8_10&products_id=990
近年、北海道大学出版会から宗教学・宗教社会学の好著が相次いで出版されている。国家やナショナリズムと宗教について長年追求してきた筆者が強い関心をもって落手した一冊が、本書である。
なんと言っても、まずタイトルに惹かれた。いまなぜファシズムかとピンとこない人もいようが、現在の世界でも伝統への回帰とマイノリティの否定、独裁的政治手法の復活と強いリーダーへの憧れなど、見渡せばファシズム的現象、状況が跋扈しているのが分かる。そしてそこには古代的なるものを賛嘆し、神聖視するような価値観、視線、態度がつきまとっている。決して過去の現象ではなく、いま、ここでも生起しているのである。
歴史的にはイタリア、ドイツ、日本が戦前のファシズム国家とされるが、急進的ナショナリズム、民族の聖化、全体主義、反共主義などを伴うファシズム運動は、1920年代以降、ヨーロッパが中心ではあったが、南米など世界各地をも席巻した。本書の特徴は、このような政治的運動の背後や中核に、「古代的なるもの」を「聖なるもの」として再発見し、または創造し、称揚して人々を魅了していく宗教的文化的運動があったことを明らかにしようとしたことにある。
章立ては本書の紹介サイトを参照して欲しい。また各章ごとの紹介は省略するが、第1部はファシズム期の日本がどのような自己像・世界像を形成していたかを探究。第2部は、ナチス・ドイツやイタリアで日本の神道や禅、古事記など古代的文献がどのように評価されていたか。第3部はドイツ、ルーマニア、フランス語圏などでのファシズム期の表象を扱っている。
編者執筆の第1章冒頭で、戊辰戦争で自決した白虎隊が眠る飯盛山に、イタリアのムッソリーニが1928年に贈った、ファシスタ党のシンボルである鷲を戴くモニュメントが紹介され、白虎隊が注目された背景として、ナチスの親衛隊(SS)など、ファシズム期における「男性結社」の重視とその民族固有の起源への関心、神話学の興隆など日本との共通点が指摘されるなど、刺激的な内容に満ちている。
さらには、この時代に発展した宗教研究の諸学問、宗教民族学や神話学などが、ファシズムの恩恵を受け、その発展に加担し、その刻印を現在まで消せないでいることを明らかにした点にもある。編者もいみじくも記している。「日本の神話学は、ファシズム期という時代の影響はあまり受けなかった・・・と思っていたが、実際は違った。戦前から戦後にかけて活躍した松村武雄や松本信広、三品彰英、岡正雄など昭和を代表する研究者たちは、1930年代以降、時局を意識し、植民地主義に益するような神話研究を目指し、邁進していたのである」(269頁)。
宗教学をかじり始めた頃、基礎文献として読み込んだ宇野円空『宗教民族学』などの「民族」の発見と強調が、また日本民族学会(1934年、後に日本文化人類学会)や日本宗教学会(1930年)の成立も、「日本型ファシズム」の生成に深く結びついていたことを明らかにした第2章(鈴木)、晩年はシカゴ大学教授として現象学的宗教学ともいえる学派を形成したミルチャ・エリアーデも、1940年代のファシズム国家で文化参事官を務めていたなど、ルーマニアのファシズム期を扱った第8章(新免)も、なかなか衝撃的である。
また比較研究の重要性をも、本書は目の当たりにしてくれる。日本で明治政府の樹立に際して、1867年に出された大号令が「王政復古」であり、それは「諸事神武創業の始に」基づいて国を造り、運営すると宣言したことはよく知られている。日本の近代は、まさに「古代的なるもの」を「聖なるもの」とし、そこへの回帰から始まった。
イタリアとドイツ圏、フランスのファシズム期における神話学の比較を整理した第11章(松村)が参考になるが、イタリアでもこの時期に注目されていたのは、古代ローマだった。ムッソリーニが1919年に「戦闘者ファッシ」(ファシスタ党)を結成したが、このFascisはラテン語で「束」とか「包み」を意味する語だが、そもそもは古代ローマの政務官が使用した権威のシンボルであるファスケス(束桿斧)に由来するという。ファシスタ党はこのファスケスを党の標章に使用した。また制服などに鷲の紋章が使われたが、鷲はローマ神話の主神ユピテルのシンボルであり、古代ローマ帝国の象徴である。
ナチス・ドイツもしかりである。ナチスによるアーリ人神話の創出は有名であるが、古代的な神話的象徴の利用は、古代ローマからギリシャ、さらに古代オリエントにも及び、本書ではナチス・ドイツによるオリエント研究、ファシズム期ドイツの古代イメージの拡がりを明らかにしている。ナチズムも一挙に生まれたのではなく、それを準備した、または萌芽となったドイツ国民主義を生み出したプレファシズム期のフェルキッシュ(volkisch)運動に見いだし、その視覚文化を解明した第9章(深澤)、ナチズム期の古代表象を正面から扱った第10章(久保田)は重厚かつ手堅い論考である。
本書は長年にわたる科研費による学術研究の成果であり、各章ともそれなりにしっかりした論文であるため、読み通すのに時間がかかった。今後、こうした基礎研究をもとに、ファシズムの形成と影響についての、さらに包括的かつ刺激的な成果を期待したい。
特に、今後の課題とも言えるが、古代的なるもの・聖なるものとするシンボル操作やそれによる国民統合は、上記ファシズム国家に限ったことではない。革命によっていち早く近代国家を造り上げたとされるフランス共和国においても、自分達こそが古代ギリシャ・ローマの正統な継承者であることを盛んに宣揚し、その最も進歩した「文明」の担い手であると自己正当化を試みていた。そのフランスのナポレオンに侵略されたドイツが民族(Volk)と「文化」の優越性を強調したのは、一種の対抗ナショナリズムの形成でもあった。フランスや英米が「文明」による啓蒙と称して周辺諸国を侵略し、その流れは第二次世界大戦は「野蛮対文明」の闘いだと鼓舞したルーズベルト大統領の宣言にも見いだされ、戦後の「文明の闘争」論にまで展開している。このようなグローバルな政治的文化的、そして宗教的ダイナミズムの過程として、ファシズムの展開を捉えていって欲しいと願っている。
また、本書の内容は従来の神話学批判、宗教学批判の内容を含んでおり、批判的宗教学とでも言える立場での展開が日本では弱かったので、これを契機に発展してほしいと期待している。
さらには、イスラム世界との関連が抜けているとも言える。大川周明がスーフィズムへ傾倒していたという論考(第3章)は、それ自体として興味深かったが、イスラム世界とファシズム、全体主義・専制主義というテーマも現代ではありうるわけで、この方面への展開も期待したい。
いまだ全編を精読したとは言えないが、紹介したい一書なので投稿する。また、このような地味な学術書を出版してくれる北海道大学出版会に改めて敬意を表したい。
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