自公連立の終焉に思う2026年01月11日

本稿は長いので、下記リンクから全文のpdfファイルをダウンロード出来ます。

https://drive.google.com/file/d/1hDTBjuMoowDa1uYxQCp74STuT-2WClco/view?usp=sharing



〈連立離脱の経緯〉

20251010日、公明党は高市自民党新総裁との第2回目の党首会談で、自公連立政権に区切りをつけると表明し、26年間の自民党との連携を白紙に戻し、政権からの離脱を表明した。2回の新総裁との政策協議において、公明党が総裁選直後の挨拶の段階から伝えていた3点の重要事項(靖国神社参拝にかかわる歴史認識の問題、外国人排斥の風潮への懸念、そして政治と金をめぐる問題)のうち、企業団体献金の規制強化および裏金問題の全容解明について積極的な回答が得られなかったことを、離脱の原因とした。

2024年の衆議院議員総選挙、256月の東京都議会議員選挙、そして7月の参議院議員選挙での連続した敗北を受けて、党存亡の危機にあるとの総括を出した公明党にとって、自民党の裏金議員を何度も推薦したことが、支持者の離反、大きな批判を招いたことが大きな要因との認識にたった決断だったという。連立離脱表明後の記者会見で斉藤代表は、推薦した裏金議員への投票依頼のために支持者が如何に苦労したか、全国から聞いたと語っていた。そのストレスが限界を超えたということである。創価学会学会員の票がなければ落選していた自民党議員は少なくない。先の衆院選での萩生田氏、参院選での京都の西田氏などは、その典型である。こうした公明党および支持者の苦労にまるで無頓着に、自民党新総裁に選ばれた高市早苗氏が党役員人事で萩生田氏を幹事長代行に相談もなく据えたことは、いかに忍耐強い公明党といえども容認できなかったのである。

この点については、私自身も251月公刊の拙稿「政教分離制度下における創価学会の政治参加―宗教的自由の範囲と限界を考える―」『現代宗教202520251月、p.51-76。  https://www.iisr.jp/journal/journal2025 /)において、衆院選の敗北の重要な一因として指摘した。また本稿を紹介する拙facebookでも「政治倫理の厳しさは政界浄化を掲げた結党以来の伝統です。他党候補の推薦においても『人物本位』で判断するのですから、厳しい倫理的条件を課して欲しいと願います。勿論、基本思想や理念において大きく乖離する人物は論外です。玄人政治のような取引きをいつまでも優先しているようでは、足下から崩れることになります。『うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんがごと』(御書新版1435頁)くならないよう願っています。」と記した。

しかし、公明党は7月の参院選において、またもや裏金議員を推薦した。推薦基準を厳しくしたとか、現地の了解があればなど言い訳はあったが、種々の選挙での取引など玄人政治に堕落した公明党および支援組織の首脳部の大誤算であり、支援者の苦労を無視した傲慢さの結果であったといわざるをえない。その結果は惨憺たるものであり、比例区得票数521万票と、3年前より97万票も、6年前より132万票も少なく、改選数7に対して4名しか当選しなかった。得票数の激減は、主たる支持母体の創価学会員の高齢化が要因とされる。しかし、それだけでは、この急激な得票減は説明できない。学会員の公明党への幻滅による支持の減少や他党への投票がもう一つの要因であると考える(後述)。

 

筆者・中野は、2010年の下記論考で明示して以来、さらに遡れば単著『戦後日本の宗教と政治』(大明堂、2003年)で創価学会の政治参加を本格的に論じて以来、自民党と公明党の宗教的思想的異質性および基本政策の相違、さらに支持層の階層分析による利害関係の対立などから、自民党との連携・自公連立政権に内在する矛盾点や問題性を指摘してきた。

中野 毅「民衆宗教としての創価学会 : 社会層と国家との関係から」『宗教と社会』第16巻、2010年。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/religionandsociety/16/0/16_KJ00008159920/_article/-char/ja

 


その問題意識をある程度まとまった形で書いたのが、下記の岩波新書の第3章である。

島薗進編『政治と宗教: 統一教会問題と危機に直面する公共空間』(岩波新書、2023124日)。

序章  公共空間における宗教の位置 島薗進

第1章 統一教会による被害とそれを産んだ要因 島薗進

第2章 統一教会と政治家・有力者の関与 中野昌宏

第3章 自公連立政権と創価学会     中野毅

第4章 フランスのライシテとセクト規制 伊達聖伸

第5章 アメリカ-政教分離国家と宗教的市民 佐藤清子

終章  現代日本における宗教と政治 島薗進

https://www.iwanami.co.jp/book/b618315.html

  岩波新書で創価学会の政治参加、特に自公連立政権について取りあげられるのは初めてなので、戸田会長時代から自公連立にいたる創価学会の政治参加の過程を整理し、自公両党の国家観・憲法観の相違、支持層の社会的経済的、そして宗教文化的相違、衆議院総選挙で少数の小選挙区で当選するための自民党との不公平な選挙協力、結果として補完政党として自民党政治の延命に加担していた事などを、中北浩璽氏や小林良彰氏など政治学者の論を活用しながら、自公連立政権の内在的矛盾と問題点を指摘した。今回の離脱は、大義名分や経緯は色々語られているが、それらの矛盾が限界に達した結果と言えるだろう。今後の党の政策や運動に是非参考にして欲しいと願って書いたので、今回の連立離脱に何らかの貢献をしたなら幸いである。

 なお本書は、安倍元首相の殺害犯とされる山上被告の裁判が始まったことで、旧統一教会と自民党などの政界との関係を改めて考察する上でも有益である。またアメリカではトランプ氏が再び大統領となって国内および世界に混乱を引き起こし、フランスのマクロン政権も混乱を始めた。世界の政治と宗教の現状を再考察する上でも参考になる。

 

今回の連立離脱劇で改めて感じたことは、公明党の存在や役割、その政策などが如何に世間に知られてなかったかという事である。離脱に当たっての斉藤鉄夫・公明党代表の実直な人柄や「政治と金」の問題を徹底的に解決しようとする姿勢に賛同し、公明党の存在を改めて再認識したという多くの声を聞いた。自民党との連立が長期にわたりすぎ、「下駄の雪」と揶揄され、何があっても権力側に従属する政党だと思われて久しく、一般世間ではまるで無視されていたと言える。政治の安定という大義名分の下で、没落しかけた自民党の政権維持にどれだけ(支持者の良心を犠牲にしてまで)手を貸してきたか、他方、小泉・安部政権下での自民党の右傾化に如何に歯止めをかけてきたか、ほとんど知られてなかったし、理解もされてなかったのである。

典型的な一例は、現国会で「台湾有事は存立危機事態になりうる」と高市首相は安易な答弁をして大問題になったこともそうである。右傾化の度合いが強まった第二次安倍内閣(201212月成立)で最も紛糾した安全保障法制問題において、公明党は集団的自衛権の行使に歯止めをかけることに腐心した。結果として「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」にのみ当該自衛権発動を認める厳しい「新三要件」が策定され、20159月、安全保障関連二法が成立した。公明党としては「個別的自衛権の拡大」に抑えこみ、「限定的な集団的自衛権」の行使として自民党を納得させたのである(本書123頁。中北『自公政権とは何か』289299頁)。この条件から見れば、高市氏の言う台湾有事、つまり台湾を中国が軍事的攻撃を始めても、日本の自衛隊や同盟国米軍の基地や艦船、さらには民間施設が直接攻撃されなければ、「存立危機事態」にはなりえない。彼女の不勉強、無理解に猛省を促したい。

不勉強は彼女だけではない。公明党の活動や業績は一般紙やメディアのニュースで流れることもほぼなく、公明新聞を読んでないと分からない。しかし、支援者ですら公明新聞の購読者は少ない。また日常的に街宣活動する議員は少なく、一般市民に公明党の活動・主張を紹介し、対話する機会もほぼない状態である。参院選などでの敗北を受けて出された総括では、それらの点も反省材料としてあげ、一般市民との対話・交流のチャンネルを増やす努力を開始したことは有意義である。しかし、YouTubeなどSNSでの露出は増やしたものの、生身の人間対人間の対話・交流の機会が増えたとは未だ言えないことは胆に命じて欲しい。

 

〈連立離脱後のあり方〉

 今回の自公の連携・連立解消によって、自民党は衆院総選挙での大幅な議席減になる可能性も高く、他方公明党にとっては、小選挙区での全議席を失うことになりかねない。しかし、この連立解消についての評価は肯定的評価が全体として77.0%で、自民支持層では74.4%、公明支持層では80%以上が肯定的だった(産経新聞社・FNN合同世論調査、102526日。産経新聞1028日掲載)。つまり自民および公明支持層の両者とも、26年に及ぶ連携に不満を抱えていたことが分かる。

 ましてや、この度の高市政権は自民党議員および党員の右派を支持基盤とし、高市氏自身も右派的思想・信条をもっている(彼女の右派的保守的信念が本物かどうかについては、大いに疑問もある。斉藤鉄夫・佐藤優、2025年、29-30頁参照)。離脱の公式な理由は高市氏が政治改革に消極的だったことであるが、安倍晋三氏ほど柔軟性を持たず、右派的信念が根底にある高市氏との共存は、そもそも不可能であったと言える。故に、連立解消は妥当であった。

 

私個人は、少なくとも公明党にとっては良かったと考える。その理由と課題を記す。

1. 「公明党らしさ」、または「公明党であること」の復活

 政権離脱表明後の公明党の動き、公明新聞の論調、支持者のSNS投稿などを観察していると、自民党との長い連携で喪失しかけていた公明党の本来のあり方に覚醒し、アイデンティティを再構築していると感じる。記述の拙稿「政教分離制度下における創価学会の政治参加―宗教的自由の範囲と限界を考える―」『現代宗教202520251月公刊、p.51-76https://www.iisr.jp/journal/journal2025/ )の後半(創価学会の政治参加の経緯と課題について記した)でも指摘したように、創価学会が政界に進出した理由は、「国立戒壇の建立」という当時の事情を反映し、しかし現代から見れば時代錯誤的な宗教的目標も掲げていたが、他の重要な目的として「政治に仏法の慈悲の精神を」「政治を庶民の手に」「政界浄化」「政治を監視せよ」などが主張されていた。1970年に「宗教政党」から普通の「国民政党」に脱皮した後も、これらの基本的な精神や方針は失われてはならないはずであった。しかし自民との連立政権をながく続ける間に、政権批判の矛先は鈍り、自民政府の代弁者、尻拭い役に堕していったと言わざるを得ない。公明政治、政界浄化の精神を忘れ、自民の裏金問題を「選挙の取引のためには、ある程度の妥協はしかたがないさ」と、平然と推薦するようなていたらくに堕していたのである。

 公明党のブランド性、つまり「公明党であることの意義・意味」は、政権運営・国家運営の経験の蓄積、各党との調整能力などが強調されているが、それらは他の野党も政権参加など経験を積めば得られる事である。公明党のブランド性は、大衆的仏教運動である「創価学会が生み出した政党」である点にある。初期の宗教政党から普通の国民政党になったとはいえ、立党の基盤には大乗仏教の「慈悲の精神」「一念三千的世界観」「縁起的世界観」などが流れているはずである。そこから導き出される「倫理観」を明確にし、政界浄化など政治倫理の確立、「政治を庶民の手に」戻し、弱者の小さな声を活かす民主主義の再生、単純な人間中心主義ではない「自・他・自然との共生」、桜梅桃李のそれぞれの個性を最大限に尊重し、活かしていくという「多様性の尊重」「多文化共生」などにあると筆者は考えている。そうした独自性を明確にし、発揮して貰いたい。宗教界の良心を代表する政党でもあって欲しい。

 

2. 創価学会員の高齢化と公明離れの加速

2024年の衆院選からの三連敗の要因については、より深く検討しなければならない。257月の参議員比例区得票数は521万票と、3年前より97万票、6年前より132万票も少なく、改選数7に対して4名しか当選しなかった。得票数のこの激減は、主たる支持母体の創価学会員の高齢化が原因とよく言われる。しかし、それだけではない。会員の公明党への幻滅による支持の減少や他党への投票も大きな要因と考える。その点について、筆者は前述の2010年論文で既に指摘した。

 この2010年論文は、20098月の衆議院総選挙で自民党および公明党が歴史的敗北をし、民主党政権に変わったことを受けて、1999年から10年に及んだ自公連立政権の問題点、その影響を、統計的事実をもとに集中的に論じたものである。この敗北の結果、公明党の新代表に選ばれた山口那津男氏は、自公連立の10年間で、公明党らしさが失われた。この期間の功罪をしっかりと総括・反省しなければならないという趣旨のことを述べていた(同論文126頁)。その総括の際に認識していたのか不明であるが、この第一期自公連立の時期に、じつは「公明支持層の公明離れ」が顕著になっていた。にもかかわらず、その後も自民党との連携、連立政権を続けたことによって、傷口を深くしたと言える。

 もちろん連立に、いくつかの利点があったことは事実である。国政選挙では、公明候補のいない小選挙区で公明支持者が自民候補に投票する見返りに、比例区では自民が公明への投票を呼びかける「見返り選挙協力」の恩恵も受けることができた。その結果、少数政党に圧倒的に不利な小選挙区比例代表並立制のもとで、小選挙区で79の議席を確保することができたし、2005年の衆院選では比例区で898万票と過去最多の票を得ることもできた。その他にも、政権に参画しているが故の利点が数多くあったことは言うまでもない。

 しかし基本理念や支持層の経済的基盤の相違から、それまで敵対してきた自民党との連携や連立に違和感をもつ創価学会員が増えてきたことも事実であった。自公連携で小選挙区(衆院選)や選挙区(参院選)で公明支持層が自民党候補を支える仕組みが動き出し、公明党支持層、つまり創価学会員は自民候補の支援活動を懸命にし始めた。他方、自民支持層の公明党候補への支持も徐々に拡大していたが、比例区での自民支持層の公明党への投票率を見る限り、その貢献は限定的と言わざるを得ない状態であった。20098月の衆院選では、自公連携の問題性が早くも露見した。公明候補がいない292小選挙の出口調査では、公明支持層のうちの自民候補への投票は10%減少して68%であり、19%が民主候補に投票していた。また公明候補がいた8小選挙区で自民支持層が公明候補に投票したのは前回(2005)より15%下回る53%にとどまり、民主候補に31%が流れた。比例区での公明支持も1%以上減って6%であった。現場からは、もう二度と公明党への支援活動はやりたくないという自民党後援会関係者の声が報道され、公明党側も自民党との連携には早くも慎重になっていた。

 参院選の選挙区で公明支持層が選挙協力相手ではない民主候補に投票した割合は、2001年の7%から2004年は12%へと大きく増加し、共産候補支持も2%から4%へと伸びた 。また2007年参院選では比例区で8%が他党へ流れ、20098月の衆院選では10%が他党へ流れている。上述の自民候補を支持すべき小選挙区で68%しか自民支持へ回らなかったことと合わせて考えると、すでにこの段階で公明支持層に「公明離れ」が進行していたのである(同論文127-129頁)。この論文は、現在読み返しても、中々良く書けていると自画自賛している(笑)。是非、読んでいただきたい。

 参院選での三連敗を受けて、党存亡の危機にあるとの総括を出した公明党も、自民党の裏金議員を何度も推薦したことが、支持者の離反、大きな批判を招いたと認めた。衆院選での萩生田氏、参院選京都選挙区での西田氏への推薦は、その典型である。この推薦で公明支持者がどの程度他候補に投票したか確認しておく。下図の出口投票によれば、衆院選で東京24区の萩生田候補に投票した公明支持者は65%に留まっている。参院選の京都選挙区で西田候補に投票した公明支持者は顕著であるが、他候補に投票した支持者がいたことも読み取れる。

 

衆院選2024東京24区

  〈朝日新聞デジタル、20241029日掲載〉

 

 参院選京都選挙区得票割合 20257 

   〈京都新聞デジタル、2025721日掲載〉

 

こうした候補は、公明支持層の支援がなければ落選していた可能性が大きい。不本意な候補への推薦が、公明支持者の公明離れを強めたことは明らかである。まさに『うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんがごと』(御書新版1435頁)くなり、足下から崩れていったのである。

 

3. 支持層の経済的、政治的、思想文化的相違

 何度も指摘しているが、公明支持層の階層的位置は、自民党のそれと比べて低い。

国民の経済格差の拡大は深刻である。小泉政権以降の新自由主義的経済政策、その延長のアベノミクスの結果、一部の大企業は活性化したものの、労働者の賃金は上がらず、格差がかつてなく増大した。創価学会員の社会階層は今でも低く、格差拡大の被害をもっとも強く受けている。小林良彰氏による公明党投票者の社会属性調査(20197月)でも、学歴は平均より低く、世帯年収も約半数が400万円未満であり、6割以上が500万円未満である。日本の世帯平均年収が560万円なので、景気悪化の影響を強く受けやすい層であり、70%が将来に不安感をいだいている(*)。小林氏の指摘の元になった「投票行動研究会」によるパネル調査「2019年参院選事前事後調査」データをさらに解析してみると、図のような結果が得られた。自民党の支持層と比較すると、公明党支持層の年収は低い方に偏っている。共産党支持層と比較しても低い方に多い。自民党の支持基盤とは経済的に(また文化的にも)大きく異なることを、公明党はしっかり認識して政策を決めていく必要がある。

 このようなズレや利害対立が鮮明になるにつれ、支援者の精神的ストレスも増大し、選挙活動への意欲を削いでいる可能性も大きい。加えて、ごく少数の衆議院小選挙区で議席を確保するために、種々の政治的駆け引きも行われ、支持者のストレスは増加するばかりである。

野党となった公明党は、その存在意義を改めて問われている。「大衆とともに」という立党精神に立ち返るということは、公明党を支える「大衆」とはどのような人々なのかをしっかり捉え直すことである。前述のように経済的には低い層に多く、これらの階層の経済力を引き上げ、安定し安心な生活を送れるようにすることで、国民全体の底上げも実現する総合的政策の実行が期待される。

 

世帯年収(全体)

公明支持者

1 200万円未満

169

9.66

10

0.57

17.24

2 200300万円未満

192

10.98

4

0.23

6.90

3 300400

244

13.95

10

0.57

17.24

4 400500

233

13.32

8

0.46

13.79

5 500600

201

11.49

10

0.57

17.24

6 600700

166

9.49

7

0.40

12.07

7 700800

153

8.75

3

0.17

5.17

8 8001000未満

162

9.26

4

0.23

6.90

9 10001200 

92

5.26

1

0.06

1.72

10 12001400

41

2.34

0

0.00

0.00

11 14002000

55

3.14

1

0.06

1.72

12 2000万円以上

41

2.34

0

0.00

0.00

 

1749

100.00

58

3.32

100.00

  

 

学歴(全体)

公明支持者

1中学・旧高小

32

1.83

4

0.23

6.90

2高校・旧中学

441

25.21

23

1.32

39.66

3高専・短大

428

24.47

16

0.91

27.59

4大学以上

848

48.48

15

0.86

25.86

合計数

1749

100.00

58

3.32

100.00

 

4.目指すべき社会・国家像を明確に

昨年来の三連敗の要因の一つとして、自民との連携・連立に配慮しすぎて、公明党の独自性、特にいかなる社会や国家を目指すのかが不明となっていたという指摘もでていた。その通りである。野党となった現在は、その時以上に、将来の政権奪取または政権連立をめざす政党として、どのような社会、国家を目指すのか、どのような世界をいかなる外交政策によって目指すのかを、改めて強く問われることとなった。

今回の総括で、責任ある「中道改革勢力の軸」となること、その基本政策として、①世界の平和と安定を図る現実的な外交・安全保障、②信頼を取り戻す政治改革、③科学技術による成長と、経済・エネルギー・食料の安全保障、④選択肢と可能性を広げる教育・ジェンダー・秩序ある共生等の包摂的な社会政策、⑤少子高齢化とインフレに対応した持続可能な新たな社会保障制度改革――という5つの柱をあげた(斉藤・佐藤、2025.12, 53-54101頁から)。

しかし、総花的な主張で、何が公明党の独自性なのかよく分からない。まず中道改革とは何を、どう改革するのだろうか?。中道路線は立憲民主党や国民民主党も掲げている。公明の中道路線の独自性は何か?一説では、右や左の中間と言うことではなく、「道にあたる」「人間中心」という。人間、人間主義という用語は政治的用語としては曖昧すぎて不適当である。従来の「大衆の・・・」という事なのか?

軸になるということは、中道政治を標榜する政党や政治家を統合して政権獲得をめざす中心になるということなのか?立憲、国民に加え、自民党内の中道・左派をも糾合していく必要もある。その覚悟なら、しっかり頑張って貰いたい。

5本の柱も、そのどれを重点的に追求するのか明確にすべきだ。公明らしさの独自性としては、②で政治資金の透明性、清潔な政治の徹底的追求、④移民や異文化を排斥するのではなく、多様性の尊重、多文化共生を推進した包摂性のある社会や文化の構築、⑤でベーシック・サービス論に基づく「弱者を生まない社会の構築」などを強調すべきだろう。

 

5.政党として自立し、自力をつける必要

今回の離脱をめぐる論議において、支持母体である創価学会から自立する必要性についての主張が目についた。今回の連立離脱は、公明党が一人前の政党として自立するチャンスであることは事実である。これまで制限されていた独自の党員組織をさらに強固にし、日常活動の足腰を鍛えることは必要不可欠である。SNSなどによる発信力、広報力の強化も必要ではあるが、もっと多くの議員が日常的に街頭に出て、一般の人びととの対話をする必要がある。支持母体である創価学会内部での広報、政治学習だけでは不十分である。その意味で、この度、従来の党員組織とは別に、公明党に関心をもつ市民対象の公明党SNSサポーター組織「チームRISE(チームライス)」を発足させたことは有意義である。

もはや発足母体である創価学会の組織力のみに依存する政党であってはならず、逆に創価学会にとっても、政治への過度の関与や選挙に明け暮れる事態は、創価学会の理念、信仰を掘り崩すことにもなる。この点は過去の論考で何度も指摘してきた。

しかし同時に、公明党が公明党である意義は、大衆的仏教運動である「創価学会が生み出した政党」である点にあることも忘れてはならない。従って、政党としての自立性の強化といっても、創価学会との関係を切ることではない。安定した支援組織のない政党は容易に崩壊するし、時流を追いすぎてポピュリスム政党に堕してしまう。重要な点は、日常的な政治活動を担える党員やサポーターの制度を整えて、選挙時などの創価学会の負担を減らすことである。そのためには創価学会以外の恒常的な支援団体、組織を増やす必要もあろう。

そのためには、創価学会員以外の議員を増やすことも考慮しなければならない。中北浩璽氏が近共著で指摘したように、自公政権下ではむしろ「宗教政党」化へと振れていた。今回の連立離脱で、再び会員以外の議員を擁立して「国民政党」化の努力を再開するのか、それとも比例代表を中心に宗教政党としての身の丈に合う規模で生き残っていくのか、熟慮が必要である。

宗教団体が作り上げた政党が、国政に関与するまで成長したことは、世界的にも、また歴史的にも希有である。創価学会が「信教の自由」と「政教分離の原則」を踏まえて、公明党を通じての政治参加するという一大実験が、「政界浄化」と「国民のための政治」を如何に実現するか、応援し、見守っていきたい。

202618日脱稿



注* 小林良彰「閉塞感打破する進歩的立案に期待」『公明』201911月号、12-17頁。パネル調査「2019年参院選事前事後調査」は次のサイトで公開部分は閲覧できる。

https://jesproject.wixsite.com/jesproject/jes-3 小林氏からは、この調査の生データを提供していただいた。改めて感謝申し上げる。


【参考資料・文献】

   日本政治、大きな岐路に―『自公政権とは何か』著者・中北浩爾氏、緊急分析51

webちくま(筑摩書房の読みものサイト)20251030 11:36

https://www.webchikuma.com/n/n42f7f5f5af6a?sub_rt=share_sb&fbclid=IwY2xjawN1rvNleHRuA2FlbQIxMQABHrECowjsuaYDeyRvXBxPAljJAwdqhUMh-FsuNCRhFWnG5IxqYVX-j7qoxWCD_aem_oUQIeTCJ3PzNVJa07rMlRA

 

 公明党の斉藤鉄夫代表は20251010日、自民党との連立から離脱することを表明した。自公政権は開始から26年後に終焉を迎えたのである。

 なぜ公明党は連立を解消したのか。

 第一に、自民党の派閥の政治資金収支報告書への不記載という「政治とカネ」をめぐる問題が支持者の不満を高め、蓄積させるなか、それを原因として与党の一角を占める公明党も20241027日の衆院選に続き、25622日の都議選と720日参院選で大敗を喫した。自民党との選挙協力のメリットが薄れたのである。

 第二に、衆院選で自公が過半数を割り込み、少数与党政権に陥ったため、パーシャル連合のかたちで野党の国民民主党や日本維新の会から協力を得て予算や法案を成立させざるを得なくなった。公明党は連立を組んでいるがゆえに、かえって自らの政策実現をアピールできなくなった。

 公明党にとって選挙協力と連立政権の両面で自民党と組むメリットが低下するなか、安倍晋三の後継者を自任する右派で公明党との政策距離が大きい高市早苗が2025104日、石破茂に代わる自民党総裁に選出された。高市は公明党嫌いで知られる麻生太郎元首相を後ろ盾としたばかりか、旧安倍派の幹部で不記載額が多かった萩生田光一を幹事長代行に起用した。しかも、国民民主党との連立拡大を優先し、公明党を軽視した。

 こうした情勢を受けて、公明党は企業・団体献金の規制強化を主張しつつ、連立からの離脱に踏み切ったのであった。もしも自民党総裁選で小泉進次郎や林芳正が勝利していれば、公明党の連立離脱は起こらなかったであろう。

 このように「実利」が失われたばかりでなく、人脈に基づく「情」も失われ、自公政権は終わりを迎えた。かつて自公政権を担った公明党のある重鎮は、「残念だ。パイプがなければ、作ればよかったのに」と嘆いた。

 自民党の高市総裁は最終的に1020日、日本維新の会の吉村洋文代表らと「連立政権合意書」に調印し、翌日、新政権を発足させた。自民・維新両党の政策距離は近く、合計の議席は衆参両院の過半数に接近するので、この組み合わせは連立理論からみてかなりの合理性を有する。

 しかし、現在のところ、自維政権は自公政権ほどの強さを持ちそうにない。

 

名ばかりの「友党」、公明党を犠牲にした自民党のツケである連立解消

大濱崎卓真(選挙コンサルタント・政治アナリスト)10/12() 8:01 Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/df5c3179ea826b31df417e95fb2ea3c1f38b69b5?fbclid=IwY2xjawOC3m1leHRuA2FlbQIxMQBzcnRjBmFwcF9pZBAyMjIwMzkxNzg4MjAwODkyAAEec-9SEO3KTuU_P9kUY4S7KBStBk4Umw4m800P4whfS9Eu9FiOZp2qPZPVzYw_aem_1f75PKD6GfJKvNhNxcLlPw

 

 

③菅原琢の政治分析

公明党は「下駄の雪」ではなく「下駄」である―延命装置が外れた自民党が生き残る道は?

https://sugawarataku.theletter.jp/posts/5081d250-baf2-11f0-886a-eb80e1bf6219?utm_medium=email&fbclid=IwY2xjawOQFQFleHRuA2FlbQIxMQBzcnRjBmFwcF9pZBAyMjIwMzkxNzg4MjAwODkyAAEenWyfHNUo47PY85lbdlFdSF-6icC9hIBHzv0AnL7PjontvXGyz-5TEW_HSVw_aem_vukIRSktjXmoYV1Y9qOJmA

 

④創価学会が連立離脱を総括 JIJI.COM 高橋正光 12/14 14:00配信 Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/84fcd900ab3ed563afcbf4dae7260b2d0eb3967b?fbclid=IwY2xjawOs-MZleHRuA2FlbQIxMQBzcnRjBmFwcF9pZBAyMjIwMzkxNzg4MjAwODkyAAEeyypBu1YqKw8MXUUNBhi_83WfqfeHCX0a4pyB5KbToVw1MDoUOCVnCRQBR7Q_aem_7ATQLZjrE_xIiuKAe7_Geg

 

⑤蔵前勝久・中北浩璽『日本政治と宗教団体』朝日新書、20251130日刊。

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過日、共著者の中北浩璽先生からご恵送いただいた本書を読了した。下記のような章立てで、宗教団体ごとの政治への関わり、選挙での動きなど、新書ではあるが取材に基づいて詳細に纏められている。

序章 公明、26年の連立離脱

1   創価学会

2   旧統一教会

3   神社と日本会議

4   立正佼成会

番外編 創価学会と立正佼成会の違い

コラム123

あとがき

 

『自公政権とは何か』(ちくま新書)で知られた中北氏が書き下ろした創価学会と公明党に関する第1章は、本年10月の公明党が自民党との連携を解消し、連立政権から離脱した事も視野に入って論じており、関心深く何度か読み返した。塚田穂高さんと私の論考や本も冒頭で参照し、その上で、両者とも1970年の「政教分離」期までが主たる関心時期なので、本書では、それ以降の時期を詳細に論じるとしている。確かに、私は「言論問題」以降の展開は荒削りであったので、ご指摘は一部あたっている(笑)。

ともあれ本書で、非自民連立政権の成立、自社さ政権との交代、新進党の結成と崩壊の過程での公明党の複雑な分党と統合のプロセスについての詳細な記述は、極めて参考になった。二見伸明、東祥三各氏が新公明に合流しなかった理由と経緯なども、改めて把握できた。

 公明党全体の過程を「国民政党」化と「宗教政党」化と区分し、自公政権下ではむしろ「宗教政党」化へと振れたこと、今回の連立離脱で、再び「国民政党」化の努力を再開するのか、それとも比例代表を中心に宗教政党としての身の丈に合う規模で生き残っていくのか等の指摘は極めて興味深かった。これらの用語の妥当性には疑問もあるが、大枠の方向性として何を目指すのか考える上では、有益な分析ではある。

 他の章も、部分的には知ってはいるが、宗教団体ごとの政治への向かい方を詳細に論じた文献は最近は多くないので、勉強になった。旧統一教会と自民党との関係についての第2章は蔵前氏が精力的に纏めている。現下の私の関心からは、特に第4章:立正佼成会と番外編が参考になった。彼らの創価学会への対抗意識、政治参加の様態の相違など極めて興味深い。最近は創価学会、SGIも立正佼成会と同席したり、会話する機会も増えているので、今後どのように展開するか関心がある。

 

⑥斉藤鉄夫・佐藤優『公明党の決断ー連立離脱と新たな挑戦』第三文明社、20251231日刊。

 

⑦島薗進編『政治と宗教: 統一教会問題と危機に直面する公共空間』(岩波新書、2023124日)。第3章の要点を参考までに。

拙論の要点を若干紹介する。まず戸田会長時代に国立戒壇建立を政治進出の目的の一つとして掲げたが、池田会長時代に公明党結成した1964年には国立戒壇建立は放棄されている。言論出版事件を受けて公明党と創価学会の分離を徹底したが、その際の19705月の会長講演で国立戒壇建立を「改めて」否定した。

戸田時代の政治進出では政党結成は否定し、会員は無所属や他党から立候補した。地方議会と参議院のみとし、衆議院へは出ないと公言したが、衆議院進出の準備はするようにとの指示はあったと考える。故に公明党結成の段階で『政治の宗教』を出版もできたし、最初の衆院選で一挙に25議席も獲得できた。

その後、公明党は宗教政党として創価と一体不二路線で出発するが、言論問題を受けて1970年に両者の分離を徹底し(それを政教分離と言うのは誤り)、普通の国民政党となる。創価は一支援団体と位置づける。その後の転機は、1993年の非自民連立政権・細川内閣の誕生と、政権参加である。ここまでは結党以来の「反自民」「非自民」路線の展開であった。この政権は短命に終わったが、衆議院選挙制度の改革を行い、941月に、小選挙区300、比例代表20011ブロック単位の比例代表とする「小選挙区比例代表並立制」を成立させた。政権交代が容易な二大政党制をめざしたものであったが、小選挙区制は弱小政党にとっては圧倒的に不利であり、それを補うため比例代表制並立となった。しかしその配分などをめぐって内部分裂し、細川首相の政治資金問題も浮上したことで、内閣は総辞職し、非自民連立政権は短期間で瓦解した。

政権復帰に執念をもやす自民党は社会党委員長を時期首班指名選挙に担ぎ出し、946月に自社さ三党の変則的な連立内閣・村山内閣が誕生した。野党に転じた新生、公明など各党は次期衆院選に向けて一大新党の結成を急ぎ、同年12月に「新進党」が誕生した。しかし公明党は「分党」して参加するにとどまり、非改選の参院議員11人と地方議員、党職員、機関紙などは残留組織「公明」として残り、党本部も引き続き信濃町に置かれた。この分党が後の新進党解党の一因になった[薬師寺、二〇一六、第6章。島田・矢野、二〇一〇]。

 新進党は翌957月の参院選に初挑戦し大躍進した。比例区では当選議席も自民党を上回り、得票数も自民党に比例区で150万票、選挙区でも50万票上回った。このままいけば次回の衆院選では新進党が確実に勝利する見通しとなった。この結果に大きな衝撃を受けた自民党は、新進党躍進の主たる要因を創価学会の組織力とみなし、「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会」(通称「四月会」、946月設立)が中心となって自民党機関紙「自由新報」などで反創価学会キャンペーンを開始し、さらに宗教法人法改正を利用した攻撃を始めた。

1995年は、1月に阪神淡路大震災が起こり、3月にはオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし、それをきっかけにして11月に宗教法人法が改正されるなど激動の一年であった。宗教法人法改正の主要な目的は広域に活動する宗教法人を文部省が監督できるようにする等の監督権限の強化にあったが、参議院での審議に入ると自民党は創価学会の池田名誉会長の参考人招致を要求した。新進党はそれに強硬に反対し、代わりに秋谷栄之助会長を呼ぶことで決着した。秋谷の参考人聴取は同年12月に行われ、冒頭陳述では法改正に込められた政治的意図を批判した上で、創価学会の政治との関わりを「一.国家権力を使って布教しない。一.国家からの特別の保護や特権を求めない。一.支持する政党や候補者が宗教的中立であることを求める。また支援する政党の人事・政策・財政には一切干渉しない。創価学会の支援活動は全体の宗教活動の量からみればごく一部である」などと主張した。

 しかしその後も自民党は創価学会と新進党への攻撃を続け、その効果もあってか199610月の第41回衆院選で新進党は敗北し、翌年には解党してしまった[薬師寺克行、二〇一六、第7章]。

〈自公連立政権の成立〉

 新進党解体後の野党は分立したが、民主党が自民党への対抗軸として浮上した。分党していた公明関連も合流して、9811月に新「公明党」として再結集した。その過程で創価学会と自民党との和解が進展した。いくつかの地方選挙で創価学会は自民党候補を支援し、その見返りに自民党は創価学会への攻撃をやめ、98428日付けの自民党機関紙『自由新報』には、かつての創価学会への攻撃が「池田名誉会長の名誉と人権を傷つけた」とする創価学会の抗議文と、それに対する謝罪文を掲載した。

 その後、自民党は同年7月の参院選で大敗し、橋本龍太郎内閣が総辞職して小渕恵三内閣が誕生した。しかし参議院は少数与党の「ねじれ国会」となったため、山一証券の破綻などバブル崩壊後の金融関連国会を乗り切るため、自民党は連立の相手を求めて公明党にさらに接近してきた。支持母体の創価学会には自民党への強い警戒心が残っており、まずは閣外協力からとの判断であったが、小渕首相が景気対策の一環として公明党が求めていた地域振興券の発行を進めるなど、歩み寄りを強めた。翌991月に始まった第151回通常国会では、公明党も自民党へ協力し、自由党とも連携して新ガイドライン(新しい日米防衛協力のための指針)関連法、憲法調査会設置法、国旗・国歌法、通信傍受法など難しい法案を軒並み成立させ、公明党の協力が有効であることを示した。

 1999105日に、自民・自由・公明の三党連立内閣が発足した。この連立には、両党内部や支持者からの反発や世間の驚きを招き、それまで自民党を支援していた立正佼成会が離反するなど宗教界にも波紋が拡がった。その後、自由党が連立から離脱し(200041日)、その直後に小渕首相が脳梗塞で倒れ、帰らぬ人となった。しかし自公連立は継続した。2009年の民主党による政権奪還の際には自公ともに下野したが、201212月の第46回衆院選で自民党が圧勝して政権に返り咲き、第二次安倍晋三内閣で自公連立も復活し、自公連携は26年間も続くことになった。

〈自公連立政権の問題点〉

(二)政権参画の代償 123-125

 公明党は、自公連立に留まることで代償を払うことにもなる。まずいえることは、自民党政治の補完役となり、自民党政権の施策に共同責任を負わねばならなくなった結果、公明党の方針に疑問を感じる支持者が増えてきたことである。

 小泉政権以降の新自由主義的経済政策、その延長のアベノミクスの結果は、一部企業は活性化したものの、多くの労働者の賃金は上がらず、格差がかつてなく増大した。既に指摘したように、主要な支持者である創価学会員の社会階層は今でも低く、格差拡大の被害をもっとも強く受けている。最近の公明党投票者の社会属性調査でも、学歴は中学卒一二・五%、高校卒一一・四%に対し、短大・高専・専修学校卒五・一%、大学・大学院卒四・四%である。世帯年収も約半数が四〇〇万円未満であり、六割以上が五〇〇万円未満となっている。日本の世帯平均年収が五六〇万円であることから、公明党投票者は景気悪化の影響を強く受けやすい層であり、七〇%が将来の生活に不安感をいだいていることが確認されている[小林、二〇一九]。

 公明党が宗教政党から「国民政党」になったことで、その政策は現実的な政治経済政策が柱となり、理屈の上では、支持者もその善し悪しで判断しなければならなくなった。現実的な政策と、主たる支持者である創価学会員の現実的な利害の対立、さらには理念上のズレが生じる可能性を、筆者は早くに指摘した[中野、二〇〇三、第五章]。また松谷が指摘したように、「公明支持層は支持政党である公明党の立ち位置によって争点態度を決め」ており、価値意識や経済的利害のズレがあっても、党および支持母体を信頼して投票行動を決めてきた。しかし自民党の右傾化や格差拡大によって、それらのズレや利害対立が鮮明になるにつれ、支援者の精神的ストレスも増大し、選挙活動への意欲を削いでいるのではないかと思われる。加えて、ごく少数の衆議院小選挙区で議席を確保するために、種々の政治的駆け引きも行われ、支持者の意欲の低下を招いている。

それを示す現象は、「公明支持層の公明離れ」である[中野、二〇一〇、一二八頁]。自公連立が復活した後もそれは続き、二〇一六年の参院選でも、公明支持層の二四%(朝日新聞出口調査)が野党統一候補に投票した。各選挙での得票数も、二〇〇五年衆院選比例の九〇〇万票弱をピークに減少傾向にあり、二〇二二年参院選比例区では六一八万票まで落ち込んだ。この要因は創価学会員の高齢化、それに伴う組織力の低下といわれることが多いが、支持者の不満や意欲の低下も大きな要因ではないかと考える。衆院小選挙区からの撤退も含め、改めて検討する時期にさしかかっているともいえよう。

 

1.自民と公明の支持層についての社会層分析では、後者は未だに低所得層が多く、前者と大きく異なる。公明支持層は価値意識としては非保守的にも関わらず、新自由主義的または国家主義的諸政策に、自らの価値意識との矛盾を考慮せず支持を与え、結果として保守補完の安全装置として働いている。

2.自民の右傾化や経済格差増大が強まると、支持者の本来の理念との解離が鮮明になり、公明支持層の公明離れや自民候補支持への意欲減退を招いている。会員の高齢化もあって、全体として選挙活動の低下が起こる。様々な点で曲がり角である。

本書は旧統一教会問題を受けて、多様な人々が合意形成して社会を造る場である「公共空間」において、宗教はどう参加すべきか問うた。宗教には、他者が理解可能な共通言語で政治を語ること、他者の人権と自由の尊重、公益性への貢献、公開性と透明性が求められることを、忘れてはならない。結

 


蔵前勝久、中北浩璽著『日本政治と宗教団体 その実像と歴史的変遷』(朝日新書、2025/11/13刊)を読む2025年12月06日

蔵前勝久、中北浩璽著『日本政治と宗教団体 その実像と歴史的変遷』(朝日新書、2025/11/13刊)を読む

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過日、共著者の中北浩璽先生からご恵送いただいた本書を読了した。下記のような章立てで、宗教団体ごとの政治への関わり、選挙での動きなど、新書ではあるが取材に基づいて詳細に纏められている。
序章 公明、26年の連立離脱
第1章 創価学会
第2章 旧統一教会
第3章 神社と日本会議
第4章 立正佼成会
番外編 創価学会と立正佼成会の違い
コラム1、2,3
あとがき

『自公政権とは何か』(ちくま新書)で知られた中北氏が書き下ろした創価学会と公明党に関する第1章は、本年10月の公明党が自民党との連携を解消し、連立政権から離脱した事も視野に入って論じており、関心深く何度か読み返した。塚田穂高さんと私の論考や本も冒頭で参照し、その上で、両者とも1970年の「政教分離」期までが主たる関心時期なので、本書では、それ以降の時期を詳細に論じるとしている。確かに、私は「言論問題」以降の展開は荒削りであったので、ご指摘は一部あたっている(笑)。
ともあれ本書で、非自民連立政権の成立、自社さ政権との交代、新進党の結成と崩壊の過程での公明党の複雑な分党と統合のプロセスについての詳細な記述は、極めて参考になった。二見伸明、東祥三各氏が新公明に合流しなかった理由と経緯なども、改めて把握できた。
 公明党全体の過程を「国民政党」化と「宗教政党」化と区分し、自公政権下ではむしろ「宗教政党」化へと振れたこと、今回の連立離脱で、再び「国民政党」化の努力を再開するのか、それとも比例代表を中心に宗教政党としての身の丈に合う規模で生き残っていくのか等の指摘には、極めて興味深かった。これらの用語の妥当性には疑問もあるが、大枠の方向性として何を目指すのか考える上では、有益な分析ではある。

 他の章も、部分的には知ってはいるが、宗教団体ごとの政治への向かい方を詳細に論じた文献は最近は多くないので、勉強になった。旧統一教会と自民党との関係についての第2章は蔵前氏が精力的に纏めている。現下の私の関心からは、特に第4章:立正佼成会と番外編が参考になった。彼らの創価学会への対抗意識、政治参加の様態の相違など極めて興味深い。最近は創価学会、SGIも立正佼成会と同席したり、会話する機会も増えているので、今後どのように展開するか関心がある。

『創価学会教学要綱』を読む2024年01月16日

『創価学会教学要綱』(池田大作先生監修、創価学会発行、2023年11月18日)について
                      2024年1月13日 中 野  毅

 2023年11月に『創価学会教学要綱』が発刊された。以下、その内容を要約し、意義と課題についてまとめた。長いので、pdf.ファイルをダウンロードできるようにしてあります。

https://drive.google.com/file/d/1v-MIXtyHu1a6uGwa1FVIJoOE0uVKEMPg/view?usp=sharing


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 1991年に日蓮正宗と決別し、以来30数年にわたり、創価学会はその教学の刷新を模索していたが、それが結実したものが、この『教学要綱』と言える。個人的感想を交えてさらに記せば、1977年に第一次宗門問題が起こり、その際は準備不足や一部の首脳の裏切りなどによって短期間で敗北した。その際、片や頑固な僧侶中心主義の正宗と、在家信徒運動体の創価学会という、性質も権威の由来も異なった両者の対立は構造的に不可避であり、次に備えた準備の必要性を痛感した。東洋哲学研究所に関連する分野の研究者に集まってもらい、日蓮研究、宗門研究、仏教学、宗教学・宗教社会学などの研究部門を設置した。そこに集った方々が第二次宗門問題の際に活躍した。この教学要綱の編纂へも幾分かの貢献があったではないかと推察する。それを考えると、約半世紀46年かかって、ここまで辿り着いたかと感無量である。

1.教義変更のプロセス
 2002年の創価学会会則変更で日蓮正宗との関係を削除し、2014年に会則の教義条項を改訂して、「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」(第1章第2条)とし、新しい教義の骨格を示した。創価学会教学部による解説では、「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたもの」であり、等しく「本門の本尊」である」とされた。従来の弘安二年板曼荼羅本尊が唯一の本門の本尊であることを否定したのである。
 2021年の『日蓮大聖人御書全集(新版)』においては、『百六箇抄』『本因妙抄』は日蓮正宗で重要視される『身延相承書』『池上相承書』(二箇相承)とともに、「伝承類」に格下げとなり、代わりに『美作房御返事』『原殿御返事』が「日興上人文書」として付加された。日興の系譜は尊重するが、室町、江戸時代の大石寺教学は尊重しない姿勢をはっきりさせたのである。『百六箇抄』『本因妙抄』を日蓮真撰でないと明示したことにより、日蓮の本尊論は大きく変化することになった。また「三大秘法抄」も「教理書」ではなく、門下への手紙類としてあるのも興味深い。
 このような経緯を経て、今回、『教学要綱』が池田大作先生監修として2023年11月18日付けで発刊された。しかし同日に、池田名誉会長が同月15日に逝去されたことが発表された。2017年のSGI規約の改正、2018年の創価学会会憲の制定、2021年の創価学会社会憲章の制定など、海外の組織も日本の創価学会のもとでコントロールしていく体制を確立したことを含めると、日蓮正宗と分かれた後の創価学会の教学から海外組織におよぶ新体制を全て整備し終えて亡くなられたことは、まことに感慨深い。


2.学問的仏教史研究の活用=脱神秘化 仏教は人間主義の教え

 この教学要綱は学問的な仏教研究、日蓮研究の実証的な成果を可能な限り取り入れ、一般の学者、他の仏教団体にとっても説得力のある教学の確立、後世の学問的批判に耐えられるレベルのものにすることを目指したと聞き及んでいる。必然的に、日蓮の真筆であることが明白な論書を基に、この教学体系は構築されたと考える。
 その点が冒頭から明確に示されている。仏教の歴史を、インドで誕生した釈迦から始まるとした点である(第1章)。従来の日蓮正宗の教学、特に日寛教学では、久遠元初自受用報身如来の再誕が日蓮という意義付けで、日蓮がインドの釈迦の遥か以前に存在する本仏であり、釈迦を迹仏とみなすなど、歴史学的には全く根拠のない論理で、日蓮から仏教は始まると主張していた。そのような奇想天外な論理をよく構築したと感心するし、そのインパクトが大きかったことも事実である。しかし、学術界や海外においては受け入れがたい主張であった。
 釈迦が目指したのは、生老病死などの苦からの解放であり、その道筋として四諦説、十二因縁を説いたとした。また当時の支配的思想であったバラモン教がカルマと輪廻を強調して聖職者バラモン階級の優位と身分制の固定を図っていたのに対し、釈迦はカルマとは日常生活における行為であり、社会的な身分や地位にかかわらず、誰もがその行いによって自身の境涯が定まるという「自業自得」説を説いたとする。これは一個の人間に無限の可能性を認める「人間の尊厳」「生命の尊厳」思想であり、身分などに関わりなく全ての人を尊敬する「万人の尊敬」の思想であるという。
 これら釈迦が展開した「生命の尊厳」「万人の尊敬」の思想を、創価学会は「仏法の人間主義」と捉え、その人間主義の仏教が「法華経」、日蓮を介して創価学会に継承されたと強調する。


3.三大秘法論の新解釈  脱呪物化および内心倫理化

日蓮の法門の骨格をなすのが三大秘法であるが、「末法の衆生が『南無妙法蓮華経』を自身の内に確立し、さらにその環境にまで働きかけていく実践方法として、日蓮が創唱した」とした(74頁~)。

 ①本門の本尊:「南無妙法蓮華経」を「本門の本尊」とする(3頁)。これは新たな展開である。そして、それを文字で表現したものが文字曼荼羅本尊とする。それは大聖人の内面に確立された仏の覚りの境地を顕したもの(77頁)、唱題のための「対境」であり、本質的には本尊は法華経、または南無妙法蓮華経そのものと考えている。本尊を信じて「南無妙法蓮華経」を唱えることで、仏界の働きが顕現する。
仏像などは本尊とせず、日蓮正宗が唱え、創価学会もかつて採用していた、「弘安二年の戒壇本尊」を人法一箇で唯一の「本門の本尊」とする説も否定した。その上で、日興が「富士一跡門徒存知の事」で記した「御筆のご本尊」という記述に依って、日蓮が顕した本尊と、それを書写した本尊をすべて「本門の本尊」として拝するとした。なお、創価学会員が信仰の対象とするのは、創価学会が受持の対象として認定した本尊に限るとした(82頁)。宗教学的には、曼荼羅本尊を「象徴」として捉えたのであり、従来の本尊論からの脱呪物化(物体を特殊な超越的力をもったものと捉える発想からの脱皮)と言える。

②本門の戒壇:戒壇とは一般に出家した僧侶に守るべき戒律を授ける儀式および施設であるが、日蓮が末法には保つべき戒はなく、法華経を持つことを持戒とすると記したことを根拠に、本尊を信受し「南無妙法蓮華経」を唱える実践そのものに戒が充足されており、その場が「本門の戒壇」の意義を有するとして、会員各自が家庭で本尊に向かって題目を唱える場、および総本部の広宣流布大誓堂はじめ国内外の各会館も、「本門の戒壇」の意義を持つとしている(86~87頁)。
 なお日蓮も伝教が比叡山に建立した戒壇を大乗戒壇として評価しているが、それはあくまで「迹門の戒壇」との位置づけだったこと、宗祖滅後に日蓮門下の一部が建造物としての戒壇建立をめざす運動が現れ、日蓮正宗の影響を受けて創価学会も「本門戒壇の建立」を一時目指したが、本教学要綱では、そのような戒壇論は日蓮自身の本意ではないとして廃棄している。
ちなみに、日蓮自身は戒壇建立について余り論究しておらず、「三大秘法抄」も学問的には後世の作であることが現在では明白となっている。日蓮正宗は戦前に田中智学の影響を受けて「本門の戒壇」を「国立戒壇」とし、その建立を教義として掲げていた。その影響で二代会長・戸田城聖は創価学会が広宣流布を成し遂げ、国立戒壇を建立すると決意して、政界進出の目的の一つしたことも事実である。しかし創価学会における国立戒壇の主張は、公明党を結成した1964年段階で廃棄され、言論出版問題を受けた1970年5月の本部総会で池田大作会長(当時)は改めて否定している。創価学会が「本門の戒壇」の意義を含む正本堂を1972年10月に建立寄進したが、会員の寄付による「民衆立」として建立された。

③本門の題目:日蓮は『法華経』の題目である「南無妙法蓮華経」こそ『法華経』の肝心であり、末法の衆生が成仏するための法であると覚知し、立宗の時点で「南無妙法蓮華経」を唱える唱題行を打ち立てた。自行化他にわたって「南無妙法蓮華経」を唱え弘めることが、成仏を可能にする「本門の題目」である(86,90頁)。


4.相対的な日蓮本仏論に立脚 釈迦・日蓮の人間化 凡夫本仏論

 日蓮を「末法の本仏」とする表現は、本教学要綱でも継承されている。しかし、その内容は従来の日蓮正宗における日蓮本仏論からは大きく脱皮した。それを明示した点も、今回の重要な点であろう。従来の本仏論は、既に述べたように、インドで誕生した釈迦をも過去世において教導した超越的存在=久遠元初自受用報身如来が、法滅尽の末法に再誕したのが日蓮という位置づけであった。日寛教学の中心とも言える、この本仏論を「絶対的本仏論」と言うこともある。
 それに対し、日蓮は末法において全ての人々が成道できる万人成仏の方途を三大秘法として明らかにした「教主」という意味において、「末法の本仏」と仰ぎ、「大聖人」と尊称するとした(95頁)。開目抄に「日蓮は日本国の諸人にしゅうし父母なり」と記し、日蓮は末法の日本で唯一の「法華経の行者」であり、人々を成仏に導く主師親三徳具備の仏であること、その慈悲心は広大であると自身で明言していることなどから、「末法の本仏」と言える。
 このように、ある時代、ある場所に出現し、そこの状況に応じた成仏の方途を自ら顕す仏を「本仏」と捉える論を「相対的本仏論」と言うこともできる。その意味で、釈迦はあの時代のインドにおける本仏であり、天台智顗は当時(像法時代)の中国における本仏であったとも言える。このような新たな本仏論に、本要綱は立脚していると考えられる。
 さらに「日蓮は凡夫なり」(選時抄)、「日蓮は名字の凡夫」(顕仏未来記)と記すなど、日蓮は凡夫の身を捨てることなく成仏の姿を現じたという点で、われわれ末法の凡夫全ての万人成仏の道を示したという意味でも、「末法の本仏」と言える。この視点は、日蓮の人間化とも評価できる。釈迦も後世に、次第に超人的な存在にされていったが、本来、歴史上の釈迦は他の人々と変わらぬ一人の人間であり、異なるのは、修行の結果として得た真理への洞察と慈悲が卓越していたことにあった(117頁)。釈迦をあくまで人間として捉えているのと同様に、日蓮も久遠元初仏の再誕とか、上行菩薩の再誕などと神秘化せず、『法華経』の肝心を「南無妙法蓮華経」という根本法として提示し、万人が修行して覚知できるよう、三大秘法を表した「末法の教主」として「末法の本仏」としたことは説得力に富むと言える。


5.一生成仏・人間革命と広宣流布・立正安国

 第三章では、日蓮思想の重要な点を、まず「一生成仏」または「即身成仏」に見いだし、死後や来世ではなく、現世において万人がその身のままで成仏できるとしていることを強調する。「成仏」も、特殊な能力をもった超人的存在になることではなく、釈迦が到達したような、苦悩からの解放と揺るぎない智慧と慈悲の獲得を意味する。この一生成仏、即身成仏の実践を、創価学会は現代的に「人間革命」と呼ぶと、日蓮思想と創価学会の理念との関連を明らかにした。
 また日蓮は、末法における法華経の行者として、または釈迦から末法弘通の付属を受けた上行菩薩を己の役割と捉えて、万人成仏の教えである「法華経」を、その肝心の「南無妙法蓮華経」を広く流布することを自身の使命とした。その日蓮の使命を現代に受け継いで実践しているのが創価学会であると、「日蓮直結」を強調している(124頁)。
 さらに日蓮が「立正安国論」を鎌倉幕府に提出して強調したように、災難を鎮め、国土・社会を安穏の地にするのが、日蓮仏法の目的でもある。人々の苦難は、天災であるとともに、時の為政者が有効な予防策や救援策を講じずに被害を大きくする人災でもある。日蓮は為政者も法華経を信奉し、そこに説かれた平和で安穏に暮らせる社会を建設するように促した。これが「立正安国」の思想であり、広宣流布とは正法を拡げるとともに国土・社会を安穏にすることでもある。創価学会が日蓮仏法を弘めるだけでなく、様々な文化・教育・社会活動を展開するのは、この社会や国土を安泰にするためである。公明党への支援など政治活動を展開する理由の一端も示している。
  

6.在家による万人救済の民衆仏法の確立と展開

 最後の章は、釈迦、法華経、日蓮と展開する仏教の重要な点は、出家者のみでなく在家も平等に成仏することを説いたことと捉え、この根本理念を踏まえて、現代社会で在家者主体の信仰活動を実践してきたのが、創価学会であり、世界192カ国・地域に展開していることを論じている。
 日蓮が在家者の信心を重視したことは、弘安二年に起きた農民信徒三名の殉教(熱原の法難)を「ひとえに只事にあらず」と述べ、彼らを「法華経の行者」として最大に称賛したことに表れている(136頁)。それは日蓮が説く仏法が、広範な民衆に深く定着したことの証しであり、自らの仏法の永続性を確信した事件であった。そこに、日蓮は己の「出世の本懐」を確信したと捉える。この点も、「弘安二年戒壇本尊の建立」を「出世の本懐」とみなす日蓮正宗の主張と決定的に決別した重要な点である。
 創価学会の歴史も、三大会長を中心に「宗教改革の歴史」としてまとめている。日蓮没後の日蓮系教団は僧侶中心主義になり、かつ政治権力への対峙姿勢も失っていった。牧口常三郎は日蓮正宗を通して日蓮仏法に出会ったが、戦時下に宗門合同や神宮大麻授受に反対したため、戸田と共に治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕投獄された。正宗は彼らを登山禁止処分にした。牧口は獄死し、戸田は生き延びて、戦後、創価教育学会を創価学会として再建した。牧口、戸田は宗門興隆に一方では尽力したが、他方で宗門との対決の連続であった。池田も多数の寺院を建立寄進し、戸田時代に創価学会所有だった寺院も正宗に寄贈した。1972年には「本門の戒壇」となるべき正本堂まで建立したが、結局、創価学会は宗門から破門通告をうけ、正本堂は破壊された。こうした宗門との緊張・対立の歴史をたどっている。
 正本堂建立は、その後の方向転換を決定づけた出来事であったと、筆者は推測している。おそらく戒壇本尊への疑義を生じさせ、宗門への貢献はほどほどにして、広布第二章へ進むことを決意させたと思われる。1977年1月の第9回教学部大会で、池田会長は「仏教史観を語る」と題する講演を行い、「宗教のための人間」から「人間のための宗教」への転換こそ仏教の本義であることを強調し、本来の仏法は、在家・出家の別なく、世間の地位や身分も関係なく、万人が仏になる道を説いたものであると強調した(144頁)。この講演を皮切りに宗門改革を目指したが、激しい抵抗に遭い、宗門との対立は決定的になった。その後の第2次対立をへて、創価学会は日蓮正宗と決別し、「御書根本」「大聖人直結」の主張を掲げて、日蓮の万人に開かれた仏法を、在家の教団として現代に蘇らせ運動をさらに展開していこうとしていると述べている。
 なお本章では、創価学会の三宝論についても改めて明確にしている。仏宝は日蓮大聖人、法宝は南無妙法蓮華経、僧宝は創価学会とした(同書156頁)。かつては、仏宝は日蓮大聖人、法宝は戒壇本尊、僧宝は日興上人(『教学の基礎』1988年)としていたことを考えると、これも日蓮正宗と明確に決別したことを表している。ちなみに日蓮宗では三宝として、「仏宝とは法華経寿量品の久遠実成の釈尊であり、法宝とは法華経、更にはその肝心たる妙法五字であり、僧宝とは日蓮および日蓮の意に順ずる僧団である。」となっており、日蓮を筆頭とする僧侶中心主義に立っている(宮崎英修編『日蓮辞典』)。
本章最後に「宗教の五綱」について述べ、日蓮の折伏思想を再解釈して、創価学会は日蓮のように「慈悲の発露としての折伏精神を堅持し、弘教においては、仏法の寛容の精神に基づき、相手の立場や思想を尊重しつつ、智慧を発揮して、共感と納得の対話を貫く・・・それは入会のみを目的とした行為ではなく、自他共の幸福を求め、互いに啓発し合い高め合っていく実践である」(169-170頁)と結んでいる。この折伏論は、従来は摂受とも言われた実践であるが、ともかく、そうあって欲しいと願うところである。

 
おわりに:感想と課題

 以上、筆者の見解や情報を少々交えながら、本要綱の意図したであろうこと、重要と思われる点を纏めてみた。各章で重複している記述もあるが、全体として創価学会の新しい「合理主義的立場に立つ教学」の骨格は示せたと評価する。
 疑問点としては、「南無妙法蓮華経」を全ての根幹として強調しているが、それが鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」の表題への帰依以上に、如何なるものであるのかが判然としない。宇宙を支配する超自然的な法則など、超越的な存在や法などを想定しているならば、ある種の神秘主義への退行であり、残念なことである。ただ会員の実践に近いものである点では了解する。
 日蓮本仏論は、この相対的なもので良いと考えるが、日蓮も凡夫であることを強調し、故に在家も含め全ての人間が現世で成仏が可能という、ある種の凡夫本仏論に立っている。類似の主張も既にあるが、それとの相違点は何か不明である。また日蓮も凡夫とするが、彼は出家者であり、在家とは明らかに異なる。その点は、どのように考えるのであろうか。
 創価学会を僧宝とするのは良いが、創価学会を批判する者は、即、破仏法者として過度に批判する対象となる危険性も孕む。寛容で自他共の幸福を追求する教団として、そういう事態は避けなればならないことは言うまでもない。その歯止めをしっかり掛けて欲しい。また僧宝たる創価学会の三名の「永遠の師匠」を仏法上はどのように意義づけるのかも、今後の課題であろう。
 立正安国を掲げる教団として、文化社会活動、政治支援活動に積極的であることはよいが、具体的には、普通の国民政党となった公明党を選挙支援する理由や根拠を、個々の政策が良いからというだけでは不十分である。ましてや自民党をはじめ他党の候補者を支援する場合、創価学会としては、どのような基準で人物を判断し、支援するのか、創価学会の教義や宗教理念に即しての支援基準をさらに明確にしていく必要がある。また選挙支援活動だけでなく、社会問題や政治問題に創価学会としての意見表明が、もっとあってよいと考える。その場合も、どのように判断するのか、その基準も明確にして欲しいと考える。