蔵前勝久、中北浩璽著『日本政治と宗教団体 その実像と歴史的変遷』(朝日新書、2025/11/13刊)を読む ― 2025年12月06日
蔵前勝久、中北浩璽著『日本政治と宗教団体 その実像と歴史的変遷』(朝日新書、2025/11/13刊)を読む
https://amzn.asia/d/3krb1yk
過日、共著者の中北浩璽先生からご恵送いただいた本書を読了した。下記のような章立てで、宗教団体ごとの政治への関わり、選挙での動きなど、新書ではあるが取材に基づいて詳細に纏められている。
序章 公明、26年の連立離脱
第1章 創価学会
第2章 旧統一教会
第3章 神社と日本会議
第4章 立正佼成会
番外編 創価学会と立正佼成会の違い
コラム1、2,3
あとがき
『自公政権とは何か』(ちくま新書)で知られた中北氏が書き下ろした創価学会と公明党に関する第1章は、本年10月の公明党が自民党との連携を解消し、連立政権から離脱した事も視野に入って論じており、関心深く何度か読み返した。塚田穂高さんと私の論考や本も冒頭で参照し、その上で、両者とも1970年の「政教分離」期までが主たる関心時期なので、本書では、それ以降の時期を詳細に論じるとしている。確かに、私は「言論問題」以降の展開は荒削りであったので、ご指摘は一部あたっている(笑)。
ともあれ本書で、非自民連立政権の成立、自社さ政権との交代、新進党の結成と崩壊の過程での公明党の複雑な分党と統合のプロセスについての詳細な記述は、極めて参考になった。二見伸明、東祥三各氏が新公明に合流しなかった理由と経緯なども、改めて把握できた。
公明党全体の過程を「国民政党」化と「宗教政党」化と区分し、自公政権下ではむしろ「宗教政党」化へと振れたこと、今回の連立離脱で、再び「国民政党」化の努力を再開するのか、それとも比例代表を中心に宗教政党としての身の丈に合う規模で生き残っていくのか等の指摘には、極めて興味深かった。これらの用語の妥当性には疑問もあるが、大枠の方向性として何を目指すのか考える上では、有益な分析ではある。
他の章も、部分的には知ってはいるが、宗教団体ごとの政治への向かい方を詳細に論じた文献は最近は多くないので、勉強になった。旧統一教会と自民党との関係についての第2章は蔵前氏が精力的に纏めている。現下の私の関心からは、特に第4章:立正佼成会と番外編が参考になった。彼らの創価学会への対抗意識、政治参加の様態の相違など極めて興味深い。最近は創価学会、SGIも立正佼成会と同席したり、会話する機会も増えているので、今後どのように展開するか関心がある。
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過日、共著者の中北浩璽先生からご恵送いただいた本書を読了した。下記のような章立てで、宗教団体ごとの政治への関わり、選挙での動きなど、新書ではあるが取材に基づいて詳細に纏められている。
序章 公明、26年の連立離脱
第1章 創価学会
第2章 旧統一教会
第3章 神社と日本会議
第4章 立正佼成会
番外編 創価学会と立正佼成会の違い
コラム1、2,3
あとがき
『自公政権とは何か』(ちくま新書)で知られた中北氏が書き下ろした創価学会と公明党に関する第1章は、本年10月の公明党が自民党との連携を解消し、連立政権から離脱した事も視野に入って論じており、関心深く何度か読み返した。塚田穂高さんと私の論考や本も冒頭で参照し、その上で、両者とも1970年の「政教分離」期までが主たる関心時期なので、本書では、それ以降の時期を詳細に論じるとしている。確かに、私は「言論問題」以降の展開は荒削りであったので、ご指摘は一部あたっている(笑)。
ともあれ本書で、非自民連立政権の成立、自社さ政権との交代、新進党の結成と崩壊の過程での公明党の複雑な分党と統合のプロセスについての詳細な記述は、極めて参考になった。二見伸明、東祥三各氏が新公明に合流しなかった理由と経緯なども、改めて把握できた。
公明党全体の過程を「国民政党」化と「宗教政党」化と区分し、自公政権下ではむしろ「宗教政党」化へと振れたこと、今回の連立離脱で、再び「国民政党」化の努力を再開するのか、それとも比例代表を中心に宗教政党としての身の丈に合う規模で生き残っていくのか等の指摘には、極めて興味深かった。これらの用語の妥当性には疑問もあるが、大枠の方向性として何を目指すのか考える上では、有益な分析ではある。
他の章も、部分的には知ってはいるが、宗教団体ごとの政治への向かい方を詳細に論じた文献は最近は多くないので、勉強になった。旧統一教会と自民党との関係についての第2章は蔵前氏が精力的に纏めている。現下の私の関心からは、特に第4章:立正佼成会と番外編が参考になった。彼らの創価学会への対抗意識、政治参加の様態の相違など極めて興味深い。最近は創価学会、SGIも立正佼成会と同席したり、会話する機会も増えているので、今後どのように展開するか関心がある。
昔のアメリカ研究 備忘録 ― 2025年06月21日
佐藤清子さんの本『宗教の自由と不寛容のアメリカ史-19世紀の反カトリックとプロテスタント-』(東京大学出版会、2024年3月)の書評をやっと書き上げた。本書は、アメリカ合衆国史における建国期以後から南北戦争(一八六一~一八六五年)までのアンテベラム期に活動したプロテスタントの自発的結社「内外キリスト教連合」(The American and Foreign Christian Union, 以下、AFCUと略記)に焦点を当て、その活動を前史から追うことで、アメリカにおける「宗教の自由」の探求と内外への「輸出」の歴史を反カトリック運動や奴隷反対運動との関わりで解明し、その自由概念の特徴、端的に言えば「偏り」、別言すれば「宗教的不寛容」と表裏一体をなしていることを明らかにした優れたものである。
書評が公開されたら、さらに詳細を紹介します。
そのために昔々書いた拙論を復習した。井門富二夫先生編『アメリカの宗教伝統と文化』(大明堂)、同『アメリカの宗教』(弘文堂)いずれも1992年刊。前者ではアメリカに渡ったピューリタンの宗教思想とその源流を押さえ、後者では、東海岸の植民地時代の各邦ごとの公定教会の由来と状況を整理して、英から独立し、連邦憲法そして修正第一条の成立までを追っている。昔にしてはよく出来てると自画自賛(笑)。
その後、宗門問題やカルト批判などに忙殺されて、アメリカ宗教史をじっくり追う時間がなくなった。アホトラの福音主義など傍流中の傍流だったんだがね、いまや政権と結びついたとは、隔世の感だよ。
上記の1992年の拙論考をpdfにしてあったのアップした。備忘録として。
下記リンクをクリックするとダウンロードできるはずです。
「政教分離社会とプロテスタンティズム」、井門富二夫編『アメリカの宗教伝統と文化』大明堂、1992年、第Ⅰ部第2章。
https://drive.google.com/file/d/1vcw1AMtqJRGaWd4cvgrchDWgy2b1BwoL/view?usp=sharing
「政教分離社会の展開とでのデノミネーショナリズム」、井門富二夫編『アメリカの宗教』弘文堂、1992年、Ⅰ部第2章。
https://drive.google.com/file/d/1S8E8A03FBUadfFOAewDx9ql3nzkMzth6/view?usp=sharing
書評が公開されたら、さらに詳細を紹介します。
そのために昔々書いた拙論を復習した。井門富二夫先生編『アメリカの宗教伝統と文化』(大明堂)、同『アメリカの宗教』(弘文堂)いずれも1992年刊。前者ではアメリカに渡ったピューリタンの宗教思想とその源流を押さえ、後者では、東海岸の植民地時代の各邦ごとの公定教会の由来と状況を整理して、英から独立し、連邦憲法そして修正第一条の成立までを追っている。昔にしてはよく出来てると自画自賛(笑)。
その後、宗門問題やカルト批判などに忙殺されて、アメリカ宗教史をじっくり追う時間がなくなった。アホトラの福音主義など傍流中の傍流だったんだがね、いまや政権と結びついたとは、隔世の感だよ。
上記の1992年の拙論考をpdfにしてあったのアップした。備忘録として。
下記リンクをクリックするとダウンロードできるはずです。
「政教分離社会とプロテスタンティズム」、井門富二夫編『アメリカの宗教伝統と文化』大明堂、1992年、第Ⅰ部第2章。
https://drive.google.com/file/d/1vcw1AMtqJRGaWd4cvgrchDWgy2b1BwoL/view?usp=sharing
「政教分離社会の展開とでのデノミネーショナリズム」、井門富二夫編『アメリカの宗教』弘文堂、1992年、Ⅰ部第2章。
https://drive.google.com/file/d/1S8E8A03FBUadfFOAewDx9ql3nzkMzth6/view?usp=sharing
岡本亮輔『創造論者 vs. 無神論者』(講談社選書メチエ、2023年9月)を読む。 ― 2023年09月30日
著者から本書をご恵送いただいた。この種の専門書にしては面白くて、文書も上手いので、あっという間に通読した。
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000381113
進化生物学・認知科学、脳科学による宗教研究に強い興味をもっているが、関連する多くの出版は難解なものが多く、読むのに苦労する。しかし、本書は岡本さんの筆力に助けられて、科学と宗教の長い論争、教育現場をめぐる戦いを明解に把握することができる。まずは著者にお礼を申し上げる。簡潔に紹介しようとFBで書き始めたが、読みやすいが基本は専門書なので、紹介文をまとめるのに時間がかかった。
第1章は、スパモン宗教やマラドーナ教会などパロディ宗教としか呼べない最近の宗教現象を、これでもかこれでもかと紹介。
第2章では、アメリカで起こった進化論論争の出発点と言える、有名な「スコープス裁判」、別称モンキー裁判(「猿裁判、モンキー・トライアル、1925年、テネシー州)について、「猿の町のエキシビジョンマッチ」として詳細に描く。テネシー州は公立学校で進化論教育を罰則付きで禁止するバトラー法が制定されたばかりであり、それに違反したと告発された新米教師のスコープスと、聖書無謬説の闘志として参戦してきた元大統領候補ブライアン、それを撃破する辣腕弁護士ダロウなどによる裁判劇を議事録などに基づいて克明に描いている。実は田舎町の「街おこし」として企画されたのが、全米に話題と論争を拡げる契機になったとのこと。
スコープス裁判の概要は知っていたが、日本でここまで詳細に書いたものを読んでなかったので、とても楽しい勉強になった。
第3章「ポケモン・タウンの科学者たち」。この事件は知らなかった。カンザス州の州都トピカはペンテコステ運動発祥の地でもあり、グーグル社の事業を招致するためグーグルと改称したり、ポケモンのピカチュウと合体したトピカチュウと改称したりする奇妙な街でもある。その地で2005年に科学教育をめぐる法廷形式の公聴会が開かれた。仕掛けたのはカンザス州の教育委員会であり、その重要な職務の一つである教育基準の策定に際し、進化論を外し、ビッグバン理論もはずそうと前世紀末から画策していた。
この公聴会に登場し、論議になったのは、古い聖書無謬論者ではなく、「創造科学」や「ID論(インテリジェント・デザイン論)」を唱える20人以上の自称科学者たちである。彼らは進化論を否定するが、自然科学の成果を部分的に利用して、聖書で説かれる天地創造説や何ものかに拠る「人間の創造」を説明しようとする。いわく、7日間の神による天地創造は、一日を数万年などど計算すればよい。「神」という言葉を注意深く避けて、地球の誕生から生物、人間の誕生をデザインした知的存在がいる、とかいう主張である。かれらを創造論者と呼ぼう。
この公聴会にも主流派科学者はボイコットして一人も出席しなかったが、やはりイリゴネガライという一人の弁護士が、かれら創造論者を「デザイナーは誰だ?」などど問い詰め、論破していく様子が、ここでも雄弁に描かれている。
第4章「四人の騎士―反撃の新無神論者」で、いよいよ真打ち登場である。
トピカの公聴会とパンダ裁判が行われた2005年頃、創造論者の息の根を止めようとする戦いが始まる。以下の4人が攻撃的無神論者の「四騎士」と呼ばれるという。その主要著書も。
サム・ハリス『信仰の終わり―宗教、テロ、理性の未来』2004年。
リチャード・ドーキンス『神は妄想である―宗教との決別』2006年。
ダニエル・デネット『解明される宗教―進化論的アプローチ』2006年。
クリストファー・ヒッチンス『神は偉大ではない―宗教はいかに全てを毒するか』2007年。
最も有名なのはドーキンスで遺伝学、進化生物学が専門で、オックスフォード大学出身で、そこで教授として教鞭もとる天才肌の学者だ。ハリスはロサンゼルス出身で、認知神経科学の博士号をカリフォルニア大学から取得した著述家。経歴の詳細は本書を読んでいただきたいが、ともかく彼らは科学至上主義の立場から、根拠のない主張は全て否定し、神が存在するというなら、その証拠を出せ!と迫る。共通する主張点は以下の三つ。①宗教は有害で長所は何もなく、②宗教と信仰のメカニズムは進化論をはじめとする科学によって解明された。したがって、③子供たちに宗教を継承してはならず、宗教は滅びるべきである(178頁~)。
スコープス裁判もトピカの公聴会も教室をめぐる攻防だった。学校教育という超強力メディア通じて進化論を否定し、創造論が布教されるようなことになれば、「成長途中の子供たちに刷り込まれた妄説を後から取り除くのは難しい。学校がゾンビの発生源になれば手の施しようがないのだ」(140頁)。これまでも教室をめぐる多くの戦い。公立学校で毎朝行われてきた聖書の朗読や口頭での祈りは、信教の自由と政教分離を定めた合衆国憲法修正第1条に違反するという画期的な判決を最高裁が出した1962年のエンゲル対ヴァイターレ裁判なども、しっかり紹介してある(141-143頁)。
ドーキンスはその著書『悪魔に仕える牧師』の最終章に、娘に宛てた手紙を収録した。その中で、伝統や権威、啓示を理由に何かを信じてはいけないと繰り返す。カトリックとスパモン教会には歴史の長さ以外に何の違いもないのである(173頁)。
刮目した事項としては、ヒッチンスによる徹底的なマザー・テレサ批判である(155-159頁)。テレサを聖女、スターに祭り上げたのはメディアであり、奇跡の捏造までしていると。何よりも問題なのは、テレサが苦しみを愛し、病に苦しむ患者を十字架のイエスに重ねて、病気そのものを直すことをないがしろにしたことだ。彼女が造った「死を待つ人の家」はホスピスとしては余りにも粗末で、医療知識のない修道女やボランティアが患者を診ているだけだった。これでは直る人も直らないと。
国立ヒトゲノム研究所所長としてヒトゲノム計画を成功させ、その後、国立衛生研究所のトップとして新型コロナウィルス対策を指揮した遺伝学者フランシス・コリンズ博士も「神の存在を感じる」とスピーチ(219-224頁)
グールドのNOMA概念の紹介(241頁~)。科学と宗教にはそれぞれ固有の縄張りがあり、それぞれの役割を果たすべしという立場。
終章では、科学と宗教の関係の可能性を、以下の五つにまとめている。
①闘争排他モデル。これは新無神論者の宗教を一切認めない立場。②調和融合モデル。科学と宗教を互いに高め合える仲間とするもの。③分離独立モデル。グールドのNOMAの立場。国立科学教育センターの戦略。以上の①~③は、それぞれ敵、仲間、赤の他人に相当する。筆者はさらに、④境界変動モデル。科学と宗教の教導権を必要に応じて確認・交渉するもの。⑤流用モデル。科学と宗教のどちらかに軸足を置きつつ、必要があれば他方を借用・動員するもの。結婚式や葬式の時に宗教を文化として利用する関係。日本人には馴染みかもしれない。
簡単に紹介するつもりが、長くなってしまった(笑)。基本は専門書なので、やはり簡単には紹介できない。ともあれ、この問題を明解に、かつ引き込ませる文章で書き上げた筆者・岡本亮輔氏には感心するしかない。
先日、藤井修平著『科学で宗教が解明できるか―進化生物学・認知科学に基づく宗教理論の誕生―』(勁草書房、2023年1月)の書評(https://tnakano1947.asablo.jp/blog/2023/09/24/9620197)を紹介したが、この本は博士論文がベースなので難解なのが課題である。
それに比べ、本書は文も巧みで読みやすく、この領域を学ぶ上では格好の入門書かつ専門書だと痛感している。彼は、先の岡本亮輔『宗教と日本人-葬式仏教からスピリチュアル文化まで-』(中公新書、2021年4月)も傑作だと評価しているが、二年ほどで「科学と宗教」問題の最前線を描ききるとは思いもよらなかった。まことに後生畏るべしである。
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000381113
進化生物学・認知科学、脳科学による宗教研究に強い興味をもっているが、関連する多くの出版は難解なものが多く、読むのに苦労する。しかし、本書は岡本さんの筆力に助けられて、科学と宗教の長い論争、教育現場をめぐる戦いを明解に把握することができる。まずは著者にお礼を申し上げる。簡潔に紹介しようとFBで書き始めたが、読みやすいが基本は専門書なので、紹介文をまとめるのに時間がかかった。
第1章は、スパモン宗教やマラドーナ教会などパロディ宗教としか呼べない最近の宗教現象を、これでもかこれでもかと紹介。
第2章では、アメリカで起こった進化論論争の出発点と言える、有名な「スコープス裁判」、別称モンキー裁判(「猿裁判、モンキー・トライアル、1925年、テネシー州)について、「猿の町のエキシビジョンマッチ」として詳細に描く。テネシー州は公立学校で進化論教育を罰則付きで禁止するバトラー法が制定されたばかりであり、それに違反したと告発された新米教師のスコープスと、聖書無謬説の闘志として参戦してきた元大統領候補ブライアン、それを撃破する辣腕弁護士ダロウなどによる裁判劇を議事録などに基づいて克明に描いている。実は田舎町の「街おこし」として企画されたのが、全米に話題と論争を拡げる契機になったとのこと。
スコープス裁判の概要は知っていたが、日本でここまで詳細に書いたものを読んでなかったので、とても楽しい勉強になった。
第3章「ポケモン・タウンの科学者たち」。この事件は知らなかった。カンザス州の州都トピカはペンテコステ運動発祥の地でもあり、グーグル社の事業を招致するためグーグルと改称したり、ポケモンのピカチュウと合体したトピカチュウと改称したりする奇妙な街でもある。その地で2005年に科学教育をめぐる法廷形式の公聴会が開かれた。仕掛けたのはカンザス州の教育委員会であり、その重要な職務の一つである教育基準の策定に際し、進化論を外し、ビッグバン理論もはずそうと前世紀末から画策していた。
この公聴会に登場し、論議になったのは、古い聖書無謬論者ではなく、「創造科学」や「ID論(インテリジェント・デザイン論)」を唱える20人以上の自称科学者たちである。彼らは進化論を否定するが、自然科学の成果を部分的に利用して、聖書で説かれる天地創造説や何ものかに拠る「人間の創造」を説明しようとする。いわく、7日間の神による天地創造は、一日を数万年などど計算すればよい。「神」という言葉を注意深く避けて、地球の誕生から生物、人間の誕生をデザインした知的存在がいる、とかいう主張である。かれらを創造論者と呼ぼう。
この公聴会にも主流派科学者はボイコットして一人も出席しなかったが、やはりイリゴネガライという一人の弁護士が、かれら創造論者を「デザイナーは誰だ?」などど問い詰め、論破していく様子が、ここでも雄弁に描かれている。
第4章「四人の騎士―反撃の新無神論者」で、いよいよ真打ち登場である。
トピカの公聴会とパンダ裁判が行われた2005年頃、創造論者の息の根を止めようとする戦いが始まる。以下の4人が攻撃的無神論者の「四騎士」と呼ばれるという。その主要著書も。
サム・ハリス『信仰の終わり―宗教、テロ、理性の未来』2004年。
リチャード・ドーキンス『神は妄想である―宗教との決別』2006年。
ダニエル・デネット『解明される宗教―進化論的アプローチ』2006年。
クリストファー・ヒッチンス『神は偉大ではない―宗教はいかに全てを毒するか』2007年。
最も有名なのはドーキンスで遺伝学、進化生物学が専門で、オックスフォード大学出身で、そこで教授として教鞭もとる天才肌の学者だ。ハリスはロサンゼルス出身で、認知神経科学の博士号をカリフォルニア大学から取得した著述家。経歴の詳細は本書を読んでいただきたいが、ともかく彼らは科学至上主義の立場から、根拠のない主張は全て否定し、神が存在するというなら、その証拠を出せ!と迫る。共通する主張点は以下の三つ。①宗教は有害で長所は何もなく、②宗教と信仰のメカニズムは進化論をはじめとする科学によって解明された。したがって、③子供たちに宗教を継承してはならず、宗教は滅びるべきである(178頁~)。
スコープス裁判もトピカの公聴会も教室をめぐる攻防だった。学校教育という超強力メディア通じて進化論を否定し、創造論が布教されるようなことになれば、「成長途中の子供たちに刷り込まれた妄説を後から取り除くのは難しい。学校がゾンビの発生源になれば手の施しようがないのだ」(140頁)。これまでも教室をめぐる多くの戦い。公立学校で毎朝行われてきた聖書の朗読や口頭での祈りは、信教の自由と政教分離を定めた合衆国憲法修正第1条に違反するという画期的な判決を最高裁が出した1962年のエンゲル対ヴァイターレ裁判なども、しっかり紹介してある(141-143頁)。
ドーキンスはその著書『悪魔に仕える牧師』の最終章に、娘に宛てた手紙を収録した。その中で、伝統や権威、啓示を理由に何かを信じてはいけないと繰り返す。カトリックとスパモン教会には歴史の長さ以外に何の違いもないのである(173頁)。
刮目した事項としては、ヒッチンスによる徹底的なマザー・テレサ批判である(155-159頁)。テレサを聖女、スターに祭り上げたのはメディアであり、奇跡の捏造までしていると。何よりも問題なのは、テレサが苦しみを愛し、病に苦しむ患者を十字架のイエスに重ねて、病気そのものを直すことをないがしろにしたことだ。彼女が造った「死を待つ人の家」はホスピスとしては余りにも粗末で、医療知識のない修道女やボランティアが患者を診ているだけだった。これでは直る人も直らないと。
国立ヒトゲノム研究所所長としてヒトゲノム計画を成功させ、その後、国立衛生研究所のトップとして新型コロナウィルス対策を指揮した遺伝学者フランシス・コリンズ博士も「神の存在を感じる」とスピーチ(219-224頁)
グールドのNOMA概念の紹介(241頁~)。科学と宗教にはそれぞれ固有の縄張りがあり、それぞれの役割を果たすべしという立場。
終章では、科学と宗教の関係の可能性を、以下の五つにまとめている。
①闘争排他モデル。これは新無神論者の宗教を一切認めない立場。②調和融合モデル。科学と宗教を互いに高め合える仲間とするもの。③分離独立モデル。グールドのNOMAの立場。国立科学教育センターの戦略。以上の①~③は、それぞれ敵、仲間、赤の他人に相当する。筆者はさらに、④境界変動モデル。科学と宗教の教導権を必要に応じて確認・交渉するもの。⑤流用モデル。科学と宗教のどちらかに軸足を置きつつ、必要があれば他方を借用・動員するもの。結婚式や葬式の時に宗教を文化として利用する関係。日本人には馴染みかもしれない。
簡単に紹介するつもりが、長くなってしまった(笑)。基本は専門書なので、やはり簡単には紹介できない。ともあれ、この問題を明解に、かつ引き込ませる文章で書き上げた筆者・岡本亮輔氏には感心するしかない。
先日、藤井修平著『科学で宗教が解明できるか―進化生物学・認知科学に基づく宗教理論の誕生―』(勁草書房、2023年1月)の書評(https://tnakano1947.asablo.jp/blog/2023/09/24/9620197)を紹介したが、この本は博士論文がベースなので難解なのが課題である。
それに比べ、本書は文も巧みで読みやすく、この領域を学ぶ上では格好の入門書かつ専門書だと痛感している。彼は、先の岡本亮輔『宗教と日本人-葬式仏教からスピリチュアル文化まで-』(中公新書、2021年4月)も傑作だと評価しているが、二年ほどで「科学と宗教」問題の最前線を描ききるとは思いもよらなかった。まことに後生畏るべしである。
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