アメリカSGIについての最新研究2書への書評2019年06月11日

秋庭裕『アメリカ創価学会<SGI-USA>の55年』新曜社、2017年11月。
川端亮、稲場圭信『アメリカ創価学会における異体同心―二段階の現地化―』新曜社、2018年1月。


この2書への書評を公開します。簡略版は『宗教と社会』第25号(2019年6月8日刊行)に掲載(139-142頁)されました。紙面の字数が限られていたので、本稿は加筆した内容になっています。
なお同誌上には、拙書評に対する著者からのリプライが掲載されているので、参照されたい。現地での調査でGMWの「発見」が困難であったことなど、数知れない苦労があったことが窺われます。

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1.はじめに
両書の著者3名は、2005年8月から2015年3月まで10年をかけて、ハワイやロスアンゼルス、ニューヨーク、シカゴ、マイアミ、ボストンのアメリカ創価学会(以下、アメリカSGI、またはSGIと略記)の会館などを計15回訪問し、70人以上のメンバーにインタヴューを行うなど、アメリカSGIについての長期にわたる調査を行ってきた。両書はその果実であり、アメリカ創価学会の展開を綿密かつ包括的にとらえた刮目すべき研究成果である。また両書は、学問的基礎を踏まえながらも、一般読者とくに多数の会員に読んでもらえるよう平易かつコンパクトに記述することを心がけたと聞いている。
評者は特に、著者たちの「内在的理解」と「濃密で開かれた記述」に基づく分析(秋庭vi)というライフヒストリー法をさらに発展させた学問的方法に注目し、SGIメンバーの信仰のリアリティーがどの程度描き出され、運動の全体的世界が解明されたのかに深い関心と期待を抱いて読み進めた。
両書の内容を詳細に紹介することはできないので、評者の関心をひいた箇所を中心に以下に目次と概要を記す。

2.秋庭裕『アメリカ創価学会<SGI-USA>の55年』の概要
 はじめに
 第1章 ハワイから西海岸へ
 第2章 成熟から停滞へ
 第3章 波濤を越えて―アメリカと日本―
 第4章 広布千年の基礎
 おわりに アメリカ社会と日蓮仏法―その親和性―
 あとがき、注、参考文献一覧

 秋庭氏の本書は、1960年10月の池田第三代会長による初の訪米から2015年にいたるアメリカ合衆国での創価学会55年の通史であるが、時代の変化に影響される日本とアメリカとの社会および創価学会自身の相互関係を視野に入れつつ描いたダイナミックな記述となっている。またその過程で運動の牽引役となった池田大作第三代創価学会会長やジョージ・ウィリアムス理事長(以下、GMW。日本名・貞永昌靖)などリーダーの主張、また信仰に邁進したメンバーの姿をリアルに描きだそうとしている。
 第1章は、池田が会長就任の半年後、初の海外指導としてアメリカに向かった1960(昭35)年から70年代初頭にかけてのアメリカSGIの活動を、背景として全米に起こった公民権運動、ベトナム反戦運動やヒッピーなどの対抗文化運動と関連させつつ描いている。
知る人ぞ知るエピソードだが、池田がホノルル空港に到着した同年10月1日深夜、出迎えたのは22歳の青年トミー・オダただ一人だった。日本からの連絡ミスで生じた出来事だが、やがてハワイ文化会館の初代事務長になるオダの数奇な人生を、初期の日系移民の歴史との関連で詳細に追いかけた。アメリカSGIの初期のメンバーはオダのような日系移民と太平洋戦争後に渡米して苦労した戦争花嫁によって始まった。本書はこのようなメンバーのリアルな人生を丹念に追いながら、信仰との関連を解明しようとしており、その手法の有効性が感じられる。
日本の創価学会は1966年に600万世帯を越えるなど急速に発展していったが、池田の訪米によってアメリカでの組織化がなされ本格的な展開が始まる。60年代後半にはアメリカSGIも9総支部36地区へ、会員数も一説では3万人から17万人へと拡大し、日蓮正宗寺院も2ヶ寺建立された。白人会員が4割を超え、アフリカ系は12%、ラテン・アメリカ系も13%に達したという(44)。
なお、戸田第二代会長は「東洋広布」を主張していたが、その後継者たる池田が、会長就任後は沖縄に続いてアメリカを訪れて海外布教を開始したのは、池田の戦争体験と戦争花嫁の存在が大きな要因であったことが指摘されていて興味深かった(24-25)。

 第2章は、60年代後半から70年代半ばにかけてのアメリカSGIの最初の絶頂期と70年代後半の停滞期への突入を、その諸要因に注目しながら描いている。絶頂期をもたらしたのは、1970年に初代理事長となるGMWの強力なリーダーシップのもと、全米各地の大学で行ったNSAセミナーとストリート折伏運動、毎年の全米総会に並行して行われるようになった大規模なイベント形式のコンベンションによって、対抗文化運動のさなかにあった若者を引きつけたからである。「ヒッピーからハッピーへ」という当時のスローガンが、それを象徴的に物語っている。
 コンベンション路線のピークは1972年10月に行われた静岡県富士市にある日蓮正宗総本山での正本堂落慶大法要と翌年10月の「正本堂コンベンション」であり、アメリカから3千人以上が参加した。その後も数年間はコンベンションが続き、1975年1月にグアムで創価学会インターナショナル(SGI)が設立され、7月にブルー・ハワイ・コンベンションがこれまでにない規模で実施される。しかし、昼夜を問わないストリート折伏と大規模なコンベンション方式の布教活動に家庭生活や経済の面で破綻をきたすメンバーも増え、その路線への不満と見直すべきとの意見が高まっていき、日本の創価学会が「広布第二章」に入るとアメリカでもフェイズ2という大停滞期に突入した。
 日本で1969年から翌年にかけていわゆる「言論出版問題」が生起し、1970年5月3日の第33回本部総会において、池田会長は創価学会の運動方針の大幅な転換を表明した。創価学会の運動は完成期に入ったこと、教勢拡張第一ではなく地域に親しまれる学会をめざして文化・教育・平和運動に邁進する。国立戒壇論を改めて否定し、建設中の民衆による正本堂こそ「本門戒壇」であり、国教化はめざさない。公明党との組織的人的分離を明確にし、会員の政党支持は自由であること、これまでの批判拒否体質を改め、下からの意見を尊重する民主的な教団をめざす等などを宣言した。そして1972年の正本堂完成をまって、民主化・近代化路線とも言われる「広布第二章」に入ったが、この教勢拡大よりも会員の成長を重視する方針がアメリカにおいても採用された結果、メンバーの様々な不満や意見が噴出し、まさに下からの大変革のうねり引き起こした。それがフェイズ2である。それまでの毎日続けられたストリート折伏は中止され、毎年の大規模なコンベンションも行われなくなり、少人数の座談会と教学学習、唱題・勤行を中心とする運動へと大転換した。日本人の幹部をアメリカ人に交代させ、男女に分けて座る会合や制服の廃止など日本的な活動と方式が廃止、男女青年部、あるいは四者が廃止、折伏や組織動員的活動を停止したが、その結果はメンバーの大幅な減少を招いたという(106, 194)

第3章は、フェイズ2によって大幅に停滞し会員の減少に直面したアメリカSGIを再度活性化していった1980年代を描いている。この時期、GMWが復権し、コンベンションとストリート折伏の路線が復活する。1980年秋、池田の訪米に合わせて10月に「第一回SGI総会」が、また「シカゴ文化祭」が開催され、毎年大規模な「世界平和文化祭」と称するコンベンションが行われるようになった。また日本人幹部が返り咲くなど旧来の路線に戻り、結果、減少していた会員数も増え始め、1985年には45万人に達したという174(しかし現実の会員数は、1984年4万2千人、86年8万1千人、88年5万3千人、90年2千700人という記録もある195)。
 この旧来の路線への回帰には、実は日本での創価学会と日蓮正宗との対立問題と密接な関係があった。正本堂建立後に「広布第2章」に入った創価学会は日蓮正宗からの自立と宗門自体の近代化を図ろうとして、いわゆる「52年路線」に向かい「第一次創宗対立」が起きた。この時は創価学会が敗退し、1979年池田は会長を退くことになるが、その後、池田が活路を見いだし、宗門への反転攻勢の契機となったのが、SGI会長として海外組織、特にアメリカSGIの再活性化だった。1981年には池田はヨーロッパと北米を再び訪問し、その過程で第一回世界平和文化祭や第二回SGI総会が開催されるなど、アメリカと日本で新たな「組織の総力戦」が展開し大きく前進することになる。
本章はこれらの連関過程を克明に追うとともに、シカゴのリーズマン夫妻などメンバーの足跡と体験を描いている。興味深い点の一つは、当初失敗した四者組織が会員数の増加とともに機能しはじめ、特に民族的多様性の強いシカゴでは、民族の壁を乗り越え「異体同心」を実感する場として四者組織が機能したという139。

第4章は、1990年に始まった「第二次創宗対立」と日蓮正宗からの自立という日本での激動の時期に、アメリカSGIがコンベンション・ストリート折伏路線を再度停止し、理事長をザイツへ、さらにナガシマへと交代させながらアメリカ社会に根付いた安定した組織として蘇っていく過程を描いている。その出発は1990年2月の池田会長の22回目の訪米と17日間にわたる徹底した指導だったという。その場で入信5原則や合議制による運営、非日系人や女性の積極的登用が定められ、やがてマイノリティーや社会的弱者を配慮するダイバーシティ委員会の設置、タテ線からヨコ線(ブロック制)への組織構成の転換(ジオリオ)などが進められた。そして2015年9月、アメリカ広布55周年を期して第四代理事長に初のアメリカ人アディン・ストラウス氏が就任する。

最終章では、アメリカ社会になぜ日蓮仏法が根付くことができたのかを考察している。ユダヤ人のハンナさんの体験などを通じて(1-226~230)、①各人に内在する仏性が唱題によって顕現するという教え、その実践である「唱題行」によって得られる自己肯定感、自己実現の可能性への確信、②民族や宗教の壁で分断されていた人々が「座談会」で一堂に会する姿に「異体同心」を実感、③絶対神に全てが決定されるのではなく、自分自身で運命と切り開く「一念三千の法門」、現世で幸福をつかむ「一生成仏」「衆生所有楽」の思想などがアメリカに生きる多様な人々に感動と喜び、安心感を与えているからではないかと分析している。

3.川端亮、稲場圭信『アメリカ創価学会における異体同心―二段階の現地化―』の概要
はじめに
序 章 SGI-USAの歴史
第1章 アメリカ合衆国における日蓮仏法
第2章 SGI-USAへの入信と改心過程
第3章 組織のアメリカ化
第4章 二段階のアメリカ化―翻訳の重要性再考―
第5章 アメリカにおける師弟不二
あとがき、年表、注、参考文献一覧、索引

序章:アメリカ創価学会の歴史をコンパクトに紹介。ほぼ秋庭著にそった記述だが、ナガシマ理事長時代(1999~2015年8月)、2004年頃からファイズ2で露見した問題を克服するめどが立ち、新しいアメリカSGIに生まれ変わっていったこと、全米を5ゾーンにまとめ5層レベルの組織構成を確立し、会員数を正確に把握する「統監システム」が運用されはじめ、日本の本部幹部会の中継がアメリカでも見ることができるようになって、池田会長との「師弟不二」が強調・浸透していったこと。また2015年に第四代理事長にアメリカ人のストラウスが就任して、SGIが「アメリカ人の宗教団体」になったと表現している(11)。会員数も1997年頃には35,000人を越え、著者たちの調査では、その後10年間で11万人を越えるようになったという。白人が4割をこえ、アフリカ系が15%を占めるようになったことは、母集団のアメリカ社会での宗教的、エスニシティ的な多様性を反映しており、社会への浸透を示していると述べる。

第1章では、インタヴューした代表的なメンバーを取り上げ、入信の動機、何を願って信仰を続けているのかを明らかにしようとしている。特にアフリカ系アメリカ人やLGBTメンバーを紹介しつつ、多民族のサラダボール社会アメリカにおける「異体同心」の独特の意味合いと創発性を考えている。
 シカゴ市南部で生まれたアフリカ系アフリカ人の一会員は、若い女性に誘われて興味本位で会合に参加したら、「なぜ今自分がここにいるのか、なぜ苦しんでいるのか、一人の人間が世界を変えられるのか」などの日頃の疑問への解答らしきものをえられそうに感じて題目を唱え始めた。失業中で極貧だったが近所の大学教授と出会い、その友人の政治家を紹介され、彼が市長となったことで州政府の事務職に雇われるという「功徳」体験をした。
 ある種の現世利益を得たことが信心のきっかけとなったが、続けていくうちに、「唱題」とは本尊に救ってもらう「手段」ではなく、自分が状況をかえ、目的を達成させていく「決意」であり、その深い決意が人間をエンパワーし、目的を達成させていくのだと気づいたという。またシカゴという典型的な他民族地域でも通常は一つの部屋や集会で一緒になることはない黒人やアジア人、白人、LGBTの人々と一緒に活動し支え合うなかで「異体同心」の教えが、多様な姿をしていても人間はみな同じで平等なんだと心から実感したという。
 アメリカSGIには日本にはない活発な組織がある。言語を中心としたエスニック・グループとLGBTグループである。後者はゲイ・メンバーが増えて行くに伴い、地域で互いにサポートし合うことと、組織内部も含め周囲への理解を高めていくためにニューヨークのメンバーが中心となって組織化が進められ、1996年には各地でLGBTグループが結成されて2001年の第一回全米コンフェレンス開催へと発展した。その後もアメリカ各地で行われるLGBTプライド・セレブレーションにSGIメンバーとして参加したり、様々な活動を展開している51。
 この運動を積極的に牽引しているメンバーたちは、仏法の教える平等は「すべての人をまったく同じにする平等ではなく」、多様な生き方をする人々を、それぞれの個性のままに尊重し合い、意味ある存在と宣揚している思想であること、「自分自身の特徴を活かすことで、個人の生活を幸福にするだけでなく、社会全体を幸せに改善する」52。「本当の自分になる」だけでなく、「宿命を使命に変え」、自分の苦しみは実は「かけがえのない賜物gift」なんだという発見。それは法華経で説く「願兼於業」という苦難を背負って衆生救済のためにこの世に出現する「菩薩の誓願」のゆえなんだとの自覚に達したという54。女性として生きることを決意したメンバーには、また日蓮の「ダイレクトな女人成仏」や「転重軽受」「自行化他」の教えによってエイズの恐怖を克服し、自分がゲイでありながら強く生きていることを他人に伝えていく勇気を得たことなどが生き生きと描かれている。

第2章は、インタヴューした20人の聞き取り調査をまとめ、入信過程を宗教社会学の回心論から考察。特にロフランド・スタークの入信過程論やイギリスで調査したウィルソンらの成果を参照しながら、異文化由来の信仰を継続できる要因を探り、功徳信仰から利他性の涵養という「意味の転換」過程を解明した。
 興味深い点は、ロフランド・スタークの入信の7条件を基準に、SGIとトリラトナ仏教団、ジーザス・アーミーを比較している点であり、また従来は質問票調査による統計的に論議されていることが多い課題に、デプス・インタビューで個別の内面的世界を探求しながら考察していることである。それによって入会者は「緊張」つまり社会的ストレスをより強く感じている人が多いこと、具体的には「貧、病、争」などの問題を強くかかえ、それが唱題による解決、つまり功徳を得て入信していることを示している。しかし、そのことは従来の井上順孝や私の入信動機の研究でも明らかになっており、本書で重要なのは「信仰の継続」がいかになされるかに注目している点である。まずロフランド・スタークの5~7条件に沿って会員同士の「感情的つながり」と「密度の濃い関係」が強化されていることが確認し、それは会員同士の「励ましの共同体」が組織的に形成されたことが要因として大きいことを明らかにした。これはSGIの組織の力である。
 加えて、独自の視点として、信仰を継続していく過程での宗教観および世界観の大転換が起こっていることを突き止めた。すでに記した「宿命は使命である」「苦難は賜物」というのもそうであるが、自分のみの功徳を求める心が他者の幸福を願う「利他心」の涵養へと「転換」していることを指摘した。西谷茂のいう「自利利他転換装置」がSGIでも働いていたということであろう。

第3章は、アメリカ創価学会の組織の変遷を克明に辿り、その変化を生み出した要因を組織論的に考察している。特にフェイズ2における停滞、また「タテ線」から「ヨコ線」の地域単位の組織構成への展開(ジオリオ)について、その要因や結果を組織論的に考察している点に注目したい。
 組織化は1960年の池田会長の初渡米から本格的に始まり、その時、ハワイやサンフランシスコ、シカゴなどに8地区(district)が結成され、ロスアンゼルスとブラジルに支部(chapter)が、全体を統括するアメリカ総支部(general chapter)が置かれた。その後、アメリカとブラジルが独立したり、メンバーの増加に伴って、上位組織として総本部、方面などが作られたりと、基本は日本と同様のタテ線組織として発展していった。
 壮年部、婦人部、男子部、女子部という日本にある四者組織もあることはあったが全米規模で四者組織を整備し、機能させようとしたのが1976年頃顕在化したフェイズ2の時であった。会員同士のケアや人材育成の体制づくりであり、男子部長・女子部長に英語がネイティブなアメリカ人を登用した。しかし現実は、フェイズ2では若者が急減し、地域によって四者組織は全く機能しなかったという(101)。
 皮肉なことに、四者組織が機能し始めるのはフェイズ2路線を停止し、コンベンション中心の布教拡大路線が再開される1980年代であった。1981年に池田がロスを訪問し、アメリカの地域に根ざした組織の再構築をめざし、副理事長を5人に増やして集団指導体制を強化したり、日本人に変えてアメリカ人の若いメンバーを役職者に登用し、若者の活動を再活性化させようとした。しかし経験不足もあって教勢は上向かず、結局、日本人メンバーに役職者を戻すなど、GMW路線へ回帰するなど混迷がしばらく続いたようである。
 コンベンション路線を最終的に放棄し、座談会と教学学習による信仰の深化をはかりつつ地道な布教へ路線へと舵を切り、理事会や中央会議での集団指導体制の実質化ができたのは、1990年2月の池田による22度目の訪米による現地で長期にわたる徹底的な指導と改革を待たなければならなかった。その第一弾はウィリアムズ理事長の降板であり、後任として就任した財津理事長のリーダーシップで大幅な組織原則の変更が行われるが、それがタテ線からヨコ線型の組織原則による「ジオリオ」(Geographical Reorganization, Geo-Reo)である。日本におけるヨコ線中心化は創価学会の政治進出に必要な票割の都合で展開したが、アメリカではいかなる要因で行われたのか、極めて興味深い問題である。1994年に始まり97年に完了したというアメリカSGIのヨコ線化は、①近くの座談会に参加できる、②地区リーダーの長期化と人的資源の抱え込みを防ぐ、③メンバーのケアをしやすくし人事育成に資する、④上部組織のバブル化を防ぐためであった。本章末にかけて、この経緯と結果が詳細に記されている。
 1999年末に第三代理事長として長島氏が就任する。彼の時代に理事会や中央会議、総務会などアメリカSGIの意思決定機構が整備され、それぞれの構成員に非日本人や女性のメンバーが多数登用され、「アメリカ人によるアメリカのSGI」が実体として発展していったと言える。そして2015年9月には、第四代理事長にアメリカ人のストラウスが就任するのである。

第4章では、海外布教において大きな課題である現地語での布教・説教や聖典などの現地語化の問題を取りあげている。従来の研究でも創価学会のアメリカでの成功の要因の一つに、早い段階からの英語使用が確認されていた。しかし、その英語化の変遷や進展について詳細な研究をしたものはない。本章では、英語使用の4つのレベル(①会員間のコミュニケーション・座談会など、②機関紙誌、③SGI会長の著作、④御書・辞典)にわたって詳細に調査し、「日本語の透けて見える英語」から「自然な英語」への「二段階の現地化」があったことを明らかにした。
 詳述は避けるが、例えば④において重要な仏教用語である「異体同心」が、1972年「聖教タイムス」では長い説明文だったのが、2002年『創価学会版 英文仏教辞典』では、Many in body, one in mind となり、現在ではUnity in diversityが使われるという136。
 英語表現の未熟さは、仏教やSGIの理念を理解する上で障害ともなったであろう。フェイズ2における停滞の要因の一つもそこにあったと結論づけている。

第5章では、創価学会における信仰の要とされている「師弟不二」が、アメリカのコンテクストでどのように受容されたのかを、機関誌の分析とインタヴューに基づいて考察している。この章は結論とも言えるほど重要であり、かつ秀逸である。
 師匠―弟子という関係は儒教的倫理でもあり、師匠への服従のように上下関係で捉えられやすい概念であり、日本においてはややその傾向が見られる。個人主義的倫理が根付いているアメリカにおいて、この師弟不二がどのように根付くかは大きな課題でもあり、研究上も興味深いものである。本書においては、その訳語の変遷から追っているが、当初は師匠をmasterと訳していたが、1980年代にはteacherが多く使われるようになり、1991年に初めてmentorが使われ、以後、それが定訳となった。その背景には、アメリカ人にとってmasterには主人と奴隷というニュアンスを感じさせること、ウィリアムズ理事長を媒介としないで池田会長に直に指導を受けたり、講演や著作を学ぶ機会が増えたこと、第二次創宗対立で日蓮正宗と決別し、日本と直結する必要があったこと等による。
 またメンターやメンタリングという言葉が、成熟した年長者が若者との信頼関係を築き、適切な「役割モデル」を示しながら成長や更生を支援するメンタリング・プログラムとして、1980年代に普及したことにもよる。メンターは上から指導する存在ではなく、役割モデルを自ら示すことで人々の模範となる存在である。宗教社会学でいう「模範予言者」モデルに該当する。またリーダーシップのあり方として、権威的に命令するのではなく、一人ひとりを「人」として重視し、説得と対話によって目標を達成する「サーバント・リーダーシップ」が企業や組織の新しい管理方法として普及したことも重要である。
 かくしてアメリカでは、日本の「師弟不二」概念と異なる「会員のために奉仕し、説得と対話によって人々をリードしていく新たなリーダー像」、また「人々の幸福と社会の発展、世界の平和のために全身全霊で行動するロール・モデル」として池田会長が捉えられ、アメリカ的な「師弟不二」が定着していった。これらを解明した点で本章は貴重である。

4.コメント(評価と課題)
 両書を何度か通読し、メンバーの経歴や体験、考えも随所に盛り込まれ、一見すると平易で読みやすく書かれた印象はあるが、秋庭著の通史にしてもアメリカSGIと日本の創価学会、日蓮正宗、そして時代背景などを関連させながら描き、川端・稲場著もインタヴューと社会学的分析を織り交ぜるなど複雑な構成であり、著者諸氏の10年間に及ぶ探究の成果が小型本2冊に凝縮されていて読み応えのある著書であった。全体像を把握するのは容易ではないが、両書を往復しながら精読すると実に多くの情報と示唆に富んだ内容である。日本人の研究者によるSGI研究、また一つの日系新宗教の海外での展開を総合的かつ内在的に捉えようとした近年最も優れた成果であると評価する。
また創価学会についての学問的研究が近年余り進んでいないとも言われるが、海外での展開を捉えることは、それが国内での展開と密接に関連していることから、創価学会研究にも大きく貢献すると言えよう。評者にとっても、個人的にも研究上もアメリカSGIの展開を1990年代前半までは把握していたが、最近に至る動向と日本との相違などを学ぶことができ有益であった。
 特に興味深かった点は、メンバーの信仰世界がインタヴューを通して従来の研究にないほどリアルに描かれ、異国の地で日本の日蓮仏教および創価学会の理念が、どのように受容されていったかを理解することができた点である。それによってフェイズ2での激しい改革の動きがアメリカ人の個人主義や平等意識、民主主義が深く根付いていたことによることも解明できたと思われる。これは逆に言えば、日本で「広布第二章」といいながら民主化が進まなかったのは、日本の会員の上記意識の低さを示している。私見ではさらに、上意下達の組織構造の変革が成されなかったからという社会学的分析にもつながっていくと考えている。
また「異体同心」の定着には同質社会と言われる日本とは想像もつかない民族的またマイノリティー的な多様性が強い社会で、異なった人々が一堂に会することの感動と共感があったこと、また「師弟不二」にしても日本的解釈とは異なる「ロール・モデル」としての師匠(メンター)、そして人々に奉仕する「サーバント・リーダー」という意味合いにおいて受け入れられていることを解明したことである。
 細かい点では、ストリート折伏がメンバー数の一時的増加には寄与したが定着はせず、友人・知人や家族からの勧誘が有効であったことが裏付けられた。

 全ての研究書には課題も欠点もある。本書に評者が期待した一つはメンバーの信仰世界のリアリティーの解明であり、記述のように、これまでになく濃密に描かれていることを高く評価している。しかし、その濃密さは本人の主張を克明に描き出すことに終始しており、学問的には、ハバマスが主張するように、彼らの内的世界の物語を第三者にも理解できる言語にいかに翻訳するかが重要ではないかと考える。彼らの主観的想いがアメリカの文化や社会構造の中で客観的にはどのような意味ともたらすのか、特に秋庭著にはやや欠けているように思われる。
次の問題は、SGIおよび日本の創価学会の主張に沿った捉え方や記述になっている点である。特定の教団調査は、当然のことではあるが、対象となる教団の了解や支援がないと困難である。本調査も長期にわたり様々な地点で多くのインタヴューを重ねるとなると尚更である。情報やデータに偏りが生じる可能性もある。それをいかに克服してより高い客観性を獲得するかが、本書においても課題であると感じる。
既に指摘されていることでもあるが、初代理事長GMWの捉え方にそれは表れている。海外で発展したSGI運動の多くは、自らの意志で各国に移住し、自力で折伏活動を始めた会員から始まっている。当初は日本からの支援もほとんどないまま、いろいろ工夫しながら苦労して布教し拡大していった。そのようなリーダーには親分肌の人物も多く、現地のメンバーに人間的に慕われている面も少なくない。こうして発展した組織が一定程度大きくなると当然ではあるが日本の創価学会からの指導や統制の対象となる。それに対し、現地のことは現場にしか分からない、現地のことは自分が一番知っており、自分に任せて欲しいという主張が出てくるのも自然の成り行きである。またGMWの場合、池田や日本に対する不満とヘゲモニーを維持するために、第二次創宗対立の際、宗門側につきかけたのが解任の直接的原因であったという情報もある。SGIが世界に展開していく過程で、このような両者の確執が様々に生起している。学問的研究においては、一方からの判断や記述に偏らないよう適切な留意が必要となる。
 学問的客観性の担保のためには、さらにインタヴューアがどのように選ばれ、その選出に全体の代表性がどの程度確保されているかも重要である。また信仰をやめた人や批判者の声も考慮する必要もある。方法論が異なるので当然でもあるが、アメリカSGI全体のメンバー数の変遷や民族・人種構成の変化、年齢構成や地域的分布の変遷などの全体的統計データもほしいところではあった。一般向けに書かれたためでもあろうが、これらの点についての情報が全くないか、部分的にしか記されていないのは残念であった。

細かい点での誤りも幾つ指摘しておきたい。他の日系宗教についての目配りの少なさや、海外布教を最初に行ったのはSGIではない点も既に指摘されている通りである。またLGBT組織や外国語グループは、実は日本の創価学会にも公式・非公式ながら存在する。公表されておらず研究もされていないことから当然の情報不足であろうが、今後の研究に期待したい。今後は他の国々に展開したSGI運動についても成果を発表していく予定と伺っている。それらに期待するとともに、もし可能であれば、他の日系新宗教との比較や、欧米で発展したアジア系新宗教、例えば成功事例としてのクリシュナ意識国際協会(ISKCON)との比較研究にも期待するところである。

参考文献
秋庭裕・川端亮、2004、『霊能のリアリティへ』新曜社。
中野毅, 1999,「バクティベダンタ・スワミとクリシュナ意識運動」『創価大学比較文化研究』第16巻,33-50頁(島・坂田編『聖者たちのインド』春秋社,2000年、47-69頁所収)。
ハバマス「『政治的なもの』―政治神学のあいまいな遺産の合理的意味―」、ハバマス他, 2014『公共圏に挑戦する宗教』岩波書店。

佐藤優「『新・人間革命』完結にみる創価学会のゆくえ」について2019年01月20日

  『中央公論』2019年1月号に載っていた佐藤優「『新・人間革命』完結にみる創価学会のゆくえ」についての感想。かねてから彼が何故に創価学会にこれほどコミットしているのか、不思議な方だと思っていたが、この論考で少し分かった。
 彼は日本基督教会に属するプロテスタント・クリスチャンであるが、エキュメニズムというキリスト教諸派を再統一する運動を推進するエキュメニズム神学の立場から、キリスト教の枠を超えて、他宗教や無神論者・無宗教者との対話にも広げようとしている。その立場から創価学会を理解しようとしているが、そのためには創価学会の内在的論理をとらえることが重要だという。あくまでも1人の宗教人として関心だという。この点で、客観性を強調する宗教学者や非難を目的とする創価学会ウォッチャーとは違うと主張する。
  彼が創価学会に敬意を抱くのは、戦時中に国家権力の弾圧に対して徹底的な非暴力抵抗路線を展開したことにあり、そこには戦時体制に積極的に協力した日本基督教団への批判が根底にある。牧口の不屈の精神は今なお不滅であると讃える。
  ゆえに池田会長の『人間革命』『新・人間革命』を、戦争に反対し、平和を希求する創価学会の「精神の正史」と捉えて重視する。また『新・人間革命』の序文に記された「私の足跡を記せる人はいても、私の心までは描けない。私でなければわからない真実の学会の歴史がある。・・・」を引用しつつ、この本は池田会長の足跡のみでなく、「心」が描かれている事が重要で、読者も心で読むことが求められているという。佐藤氏もエキュメニズム神学の方法はまさに他宗教の信者がそのテキストをどう受け止めているかという視座から、この「精神の正史」の本質を捉えることができたと述べる。宗教学者らは、このアプローチができないと批判もしている。
  さらにキリスト教徒のアナロジーで言うならば、日本国内における活動を描いた『人間革命』はイエス・キリスト誕生以前の出来事が記された『旧約聖書』、池田会長による世界宗教化の基盤を整える『新・人間革命』が『新約聖書』で、イエス・キリストの言行録である「福音書」に相当するという。ご丁寧に、今後は弟子たちの信仰継承を描いた新約聖書の使徒言行録のようなものが、創価学会によって編纂されていくことになろうと予見している。
  創価学会の本質は仏法に基づくヒューマニズムであり、キリスト教が説く「神のヒューマニズム」と創価学会の人間主義には共通の基盤があると結んでいる。
  以上、要点を整理したが、このような捉え方をどう評価するか今後検討したい。少なくとも上記のアナロジーはあまりいただけない。これでは池田会長が「神の子・イエス=神」になってしまう。また最近、『(新・)人間革命』を現代の法華経だと評した方がいたようだが、このような捉え方が今後増えるのかもしれないが、慎重に考えたいものである。

赤江達也『「紙上の教会」と日本近代』を読む2019年01月09日

戦後直後に東大総長となり、「人間革命」の必要性を初めて唱えた南原繁の信仰的背景を学ぶため、赤江達也『「紙上の教会」と日本近代-無教会キリスト教の歴史社会学-』(岩波書店、2013年)を読み始めた。内村鑑三の不敬事件の詳細から。読みごたえある良い本だ。
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b261295.html

1917年頃の内村は再び「キリスト教ナショナリズム」を語りだす。娘の死と第一次世界大戦に失望して、再臨信仰と「第2の宗教改革」を日本が担うのだという「日本」が果たすべき世界史的=救済史的な使命を積極的に語るようになる(138前後)。

第3章は特に面白い。南原繁と矢内原忠雄が、キリスト教の普遍性が日本精神によって実現すると考えたり、キリスト教「ナショナリズム」を提唱し、かつそれは敗戦によって日本民族は純化しえたと強い民族主義的色彩を帯び、国家論の中心に民族の宗家としての天皇をおき、それへの忠君愛国を説く。

矢内原は、天皇は日本人の「徳」を体現する存在として全ての日本人を代表しており、「天皇のキリスト教化」による「日本精神のキリスト教化」が、「日本の宗教改革」の一つの道筋と考えていた(236)という。戦前の日蓮主義者が天皇を日蓮に帰依させて国威の発揚を主張したのと同型という印象。

異言や神癒を説く、いわゆるペンテスコテみたいな霊性運動が日本では無教会派の系譜から出てきたことは驚き。手島郁郎の「キリストの幕屋」運動である(262-)。それを無教会主義の成長、または「宗教」として成熟した証として支援したのが塚本虎二、関根正雄。合理主義から強く批判したのが矢内原。

読了して大変勉強になった。戦後の社会科学・社会思想をリードした南原、矢内原、大塚久雄、内田芳明、松田智雄、西村秀夫、安藤英治、住谷一彦などが全て無教会派の人々だった。ウェーバー研究もその信仰との関わりの中でなされていた。宗教学・宗教社会学における「信仰」中心主義の一因もここにあったことが分かる。

本書は、これまで教義や集会を中心に論じられてきた無教会主義運動を「紙上の教会」として講義と雑誌発刊、その読書運動としての「社会性」を解明した点で極めて有益であった。またナショナリズム、民族主義、全体主義との、また天皇制との親和性の解明も刺激的であった。
ただ内村鑑三にしても、南原繁、矢内原にしても、彼らが彼らが何故にそのような強固な信仰を築きえたのか、またどんな内的信仰の世界をもっていたのか、神とイエスとの関係、他の諸派との教義的、神学的相違がよく分からなかった。やはり本人の著作などをもっと勉強しなければならない。