植木雅俊 100分de名著『法華経』 (NHK) に学ぶ ― 2018年05月06日
100分で名著『法華経』:植木雅俊氏のこの番組のテキストを読み始め、第1回放送を録画で観た。法華経の各品の概要や解説や思想的意義について分かりやすく参考になった。私も比較宗教学の講義では前半に各一神教の概要を教え、後半では原始仏教から法華経などの大乗仏教と日蓮思想の概要を講義した。他大学の学生はもとより創価大学の学生でさえ、仏教の歴史や法華経という経典の内容をあまり知らない。仏教入門のテキストとしても最適であろう。http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/75_hokekyou/index.html#box01
2018年4月6日 {以下、( )内はテキストの頁番号}
植木氏は、法華経は小乗仏教と大乗仏教の両者を統一し、二乗を含む全ての人々を悟りに導く最上の経典であるとその意義を強調した。これは斬新な捉え方であった。従来は大乗経典の代表とされてきたから、それを越えるものということだが、やや法華経を賛美しすぎる傾向もある。また学問的には、「小乗」という言葉を使うことには疑問もある。
なお植木氏は原始仏教と小乗仏教をも立て分けし、「部派仏教」を「小乗仏教」としている。その上で原始仏教が全ての人の成仏を説いた点を重視し、法華経がそれを復活させたと見なしている。それは興味深い視点で、その後、天台智顗の一念三千論を経て、日蓮が「一生成仏」として再び強調したと私は考えている。しかし植木氏の法華経論は原始仏教拠りに解釈しすぎている印象が拭いえない。中村元先生の影響が大きいのだろう。
法華経に一貫しているのは「原始仏教の原点に還れ」という主張
小乗・大乗それぞれの問題点を浮き彫りにし、それを乗り越えようとして生み出されたのが『法華経』なのです(21)。
法華経の主要部分は、現在では周知のように、釈尊滅後500年頃に北西インド(ガンダーラ)地方で編纂、または創作されたと考えられる経典ですが、作者がどのような人々であったかは未だに解明されていない。また経典の構成は釈尊がインドの霊鷲山において弟子に教えを説くという場面設定になっており、序品第一から法師品第十の前半(従来の教学では「迹門」とも分類されていた)と、見宝塔品第十一から如来神力品第二十までの後半(同「本門」。提婆達多品は後生の作として除く)、そしてその他と区分されてきた。その他は、時代や内容から後生の作とされている。これらを一覧表にしてあるのは参考になる(23頁)。
1回目の後半から2回目にかけて、「三車火宅の譬え」などから三乗を開いて一仏乗を明らからかにし(開三顕一)、声門や縁覚の二乗も「また菩薩なのだ」と説いた(14)。こうして部派に分かれた小乗仏教で生じた差別を克服して、原始仏教の平等思想を回復したとあるが、このあたりが植木さんの独特の解釈と言えよう。
しかし、すべての人々が成仏する平等思想としては声門や縁覚の二乗、つまり知識人の成仏を主張したのみでは不十分なので、悪人成仏と女人成仏を説いた「提婆達多品」が不可欠であり、そのため後から付加されたのだが、今思えばこの品は重要であったことがよく分かる。3回目の放送の冒頭は、この点を明らかにしている。
3回目の重要な部分は、見宝塔品から従地涌出品、如来寿量品へと展開する内容であろう。これまでも法華経前半の表現様式が「比喩」(方便)を用いての説法であるのに対し、後半のこれらの品では象徴的表現を用いてブッダの偉大さや法華経の素晴らしさを賛嘆する点で、作者や創作年代が異なっていると考えられてきた。したがって植木氏の解釈はどのようなものか興味があった。
まず見宝塔品における宝塔の出現であるが、これは実は想像を絶する巨大で絢爛豪華な塔である。植木テキストでは控えめに描かれているが、大きく見積もれば高さは地球の倍、幅は地球と同じ巨大な塔が、金、銀、瑪瑙、瑠璃など七宝で合成され、天から曼荼羅華が舞い散り、音曲が奏でられる中を、大地を割って出現するのである。そして釈尊より年老いて立派な姿の多宝仏が宝塔の中から出現して釈尊を褒め、釈尊が宙を飛んで二仏が並び(二仏並座)、全体が虚空に持ち上げられるなど(虚空会の儀式)など、宇宙大のスケールで、悪く言えば奇想天外でSFもどきの場面設定とドラマには、凄いな~と感心すると共に、違和感を禁じ得ないでいた。植木氏の話を聞いても同じであった。
結局、このような描き方はストゥーパ(釈尊の遺物を納めた仏舎利塔)崇拝をやめさせてブッダに返れという事なのかも知れないが、ブッダの偉大さを強調するあまり、法を重視するより「ブッダ崇拝」を推進することにかわりはない。大乗経典が編纂される同じ頃、「仏像」が製作され、それを崇拝する礼拝様式が生まれるが、その事と無関係ではないだろう。
さらに如来寿量品においては、ブッダはインドに生まれたのが最初ではなく、遥か遠い過去世に菩薩=ブッダとなり、その寿命は未だに尽きていないという、永遠に存在するブッダ(久遠仏)像が述べられる。さらにブッダの死=涅槃も人々に仏法への渇仰の心を起こさせるための方便であって(92頁~)、ブッダは死なず常にこの娑婆世界にあって常住此説法しているという。
植木氏は、永遠のブッダとは、様々な経典に登場する諸仏をもう一度釈尊に統一する意図であるとか、仏教が現実や人間を離れることをいさめている等と解説している(94)。それはそれで成る程と思うが、それでもブッダの永遠性、永遠にこの世に住し、人々を救うという超越的な性質を強調することに変わりはない。
仏教においては絶対者(=仏)は人間の内に存し、人間そのものである。仏教は、人間を原点に見すえて、人間を「真の自己」(人)と法に目覚めさせる人間主義なのです(90)。・・・原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』に「私(釈尊=人)を見るものは法を見る。法を見るものは私を見る」とある。釈尊の生き方の中に「法」が具現されている。その「法」を知りたければ釈尊の生き方を見なさいということ。そしてその「法」は誰にでも開かれている。釈尊が覚った「法」は経典として残った。その経典を読むことで、私たちも「法」をわが身に体現することができる(91)。
この辺が植木氏の結論のようだ。しかし、釈尊が覚った法(ダルマ)は「法華経」なのか?歴史的には法華経は後世の作なので、それはあり得ない。では法華経によって再度明らかにしようとした「法」とは何なのか?上述のように、法が釈尊の生き方に具現しているなら、法華経に説かれた釈尊の生き方、例えば常不軽菩薩のように生きることであり、全ての人々、動物や草木も仏であると敬愛して生きることである。とすれば法華経を読誦するだけでは駄目であり、また南無妙法蓮華経と唱えるだけでもだめであろう。
私が最も深い関心をもって植木講義を聴いたのは、慣れ親しんできた漢訳文の「我本行菩薩道、所成寿命、今猶未尽、復倍上数」の部分を、どのように解釈するかであった。植木氏はサンスクリット原典から「過去における菩薩としての修行をいまなお未だ完成させていないし、寿命の長ささえも、未だに満たされていない」(91)と読んでいる。
この部分を従来の教学では、この文底に成仏得道の本因が秘されていると日蓮が読み解き、釈尊も過去世において法華経を行じて仏になったとして「妙法蓮華経」への帰依を強調したことになっている(本因初住の文底:日寛)。さらに日蓮は法華経の名号を唱えることで法華経を受持読誦することになると易行道としての唱題行を主張した。しかし、釈尊が過去において何を修行してブッダになったかは、法華経の文言からはやはり分からない。植木氏の話でもそこは触れていない。
日寛の文底読みにしても、植木さんの話からも、一種のトートロジーでしかないとの印象は拭いきれない。常不軽菩薩が死を目前にして、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」(法華経)が空中から聞こえてきて悟りを開いた(105)というくだりも、感動的ではあるが、論理的には全てが「法華経」によって仏になるんだという事の繰り返しでしかない。
富永仲基は「法華経はほめる言葉ばかりで中身が何もない」(21)と嘆息したらしいが、その気持ちもよく分かる。
4回目(4/23)は「『人間の尊厳』への賛歌」と題して、主として釈尊滅後の付属(誰に法華経の布教を委託するか)の問題、また常不軽菩薩の生き方を論じて終わっている。付属については、この娑婆世界では「地涌の菩薩」へ委託し、他土では他の菩薩たちに委託した。われわれの生き方としては、全ての人々に但行礼拝して歩く常不軽菩薩を模範とせよと言うことなのだろうか、それとも法華経を賛嘆して布教せよということなのだろうか。両者は同じではない。
放送では絵師・長谷川等伯の水墨画「松林図屏風」(国宝)や、それを描く上での法華経の影響、その絵を観て豊臣秀吉はじめ居並ぶ武将は圧倒されて声も出なかったが、近衛は「等覚一転名字妙覚やなー」と感嘆したとかいう話が出てくるが、テキストにはない。「等覚一転名字妙覚」とは難解な内容ではあるが、平たくいえば「名字即」、すなわち凡夫のありのままの姿、立場で覚りを得られるという事なのだろう。これは出家せずとも在家のままで覚りを得られるという意味で平等思想の表現でもあり、不勉強ではあるが後の「本覚思想」につながる発想であると思われる。
この放送を良い機会として改めて法華経を勉強し、考えたが、あちらこちらにちりばめられている思想、発想には素晴らしいものがあることは確かだ。『法華経』では、悪人成仏や女人成仏も、二乗の成仏も保証されて、誰もが成仏できるという平等思想を説いている(108)点や、私個人としては第2回に出てきた「薬草喩品」での「干天の慈雨」の譬喩、すなわち個性を持った様々な人々、そして草木が、仏が降らす慈雨によって、その個性が大きく花開いていく世界、多様性が多様性のままに花開く世界は、素晴らしいと感じる。
しかし、前述の「永遠のブッダ」論、それによるブッダ崇拝、仏像崇拝、また長い修行の後の成仏(歷劫修行)などからは、原始仏教の復興というより、後の大乗仏教の展開を誘引したとも言えよう。天台の一念三千論は全てが成仏するという思想のさらなる展開であろうし、日蓮の一生成仏論の方はむしろ釈尊自身のインドでの生涯における成道を再興させた論とも言えそうである。仏教の理解には、やはり釈尊の実像、原始仏教の勉強から、仏教の原像を改めてしっかり捉える必要を痛感した。
ともあれ植木雅俊氏が法華経研究の第一人者として活躍されるようになったことは喜ばしいことであり、この放送を機に多くの方が法華経の内容に親しみ、自らの信仰を顧みたり深める機会になれば幸いである。学問的には、法華経を生み出した人々と時代がさらに解明されることを期待してやまない。
2018年4月6日 {以下、( )内はテキストの頁番号}
植木氏は、法華経は小乗仏教と大乗仏教の両者を統一し、二乗を含む全ての人々を悟りに導く最上の経典であるとその意義を強調した。これは斬新な捉え方であった。従来は大乗経典の代表とされてきたから、それを越えるものということだが、やや法華経を賛美しすぎる傾向もある。また学問的には、「小乗」という言葉を使うことには疑問もある。
なお植木氏は原始仏教と小乗仏教をも立て分けし、「部派仏教」を「小乗仏教」としている。その上で原始仏教が全ての人の成仏を説いた点を重視し、法華経がそれを復活させたと見なしている。それは興味深い視点で、その後、天台智顗の一念三千論を経て、日蓮が「一生成仏」として再び強調したと私は考えている。しかし植木氏の法華経論は原始仏教拠りに解釈しすぎている印象が拭いえない。中村元先生の影響が大きいのだろう。
法華経に一貫しているのは「原始仏教の原点に還れ」という主張
小乗・大乗それぞれの問題点を浮き彫りにし、それを乗り越えようとして生み出されたのが『法華経』なのです(21)。
法華経の主要部分は、現在では周知のように、釈尊滅後500年頃に北西インド(ガンダーラ)地方で編纂、または創作されたと考えられる経典ですが、作者がどのような人々であったかは未だに解明されていない。また経典の構成は釈尊がインドの霊鷲山において弟子に教えを説くという場面設定になっており、序品第一から法師品第十の前半(従来の教学では「迹門」とも分類されていた)と、見宝塔品第十一から如来神力品第二十までの後半(同「本門」。提婆達多品は後生の作として除く)、そしてその他と区分されてきた。その他は、時代や内容から後生の作とされている。これらを一覧表にしてあるのは参考になる(23頁)。
1回目の後半から2回目にかけて、「三車火宅の譬え」などから三乗を開いて一仏乗を明らからかにし(開三顕一)、声門や縁覚の二乗も「また菩薩なのだ」と説いた(14)。こうして部派に分かれた小乗仏教で生じた差別を克服して、原始仏教の平等思想を回復したとあるが、このあたりが植木さんの独特の解釈と言えよう。
しかし、すべての人々が成仏する平等思想としては声門や縁覚の二乗、つまり知識人の成仏を主張したのみでは不十分なので、悪人成仏と女人成仏を説いた「提婆達多品」が不可欠であり、そのため後から付加されたのだが、今思えばこの品は重要であったことがよく分かる。3回目の放送の冒頭は、この点を明らかにしている。
3回目の重要な部分は、見宝塔品から従地涌出品、如来寿量品へと展開する内容であろう。これまでも法華経前半の表現様式が「比喩」(方便)を用いての説法であるのに対し、後半のこれらの品では象徴的表現を用いてブッダの偉大さや法華経の素晴らしさを賛嘆する点で、作者や創作年代が異なっていると考えられてきた。したがって植木氏の解釈はどのようなものか興味があった。
まず見宝塔品における宝塔の出現であるが、これは実は想像を絶する巨大で絢爛豪華な塔である。植木テキストでは控えめに描かれているが、大きく見積もれば高さは地球の倍、幅は地球と同じ巨大な塔が、金、銀、瑪瑙、瑠璃など七宝で合成され、天から曼荼羅華が舞い散り、音曲が奏でられる中を、大地を割って出現するのである。そして釈尊より年老いて立派な姿の多宝仏が宝塔の中から出現して釈尊を褒め、釈尊が宙を飛んで二仏が並び(二仏並座)、全体が虚空に持ち上げられるなど(虚空会の儀式)など、宇宙大のスケールで、悪く言えば奇想天外でSFもどきの場面設定とドラマには、凄いな~と感心すると共に、違和感を禁じ得ないでいた。植木氏の話を聞いても同じであった。
結局、このような描き方はストゥーパ(釈尊の遺物を納めた仏舎利塔)崇拝をやめさせてブッダに返れという事なのかも知れないが、ブッダの偉大さを強調するあまり、法を重視するより「ブッダ崇拝」を推進することにかわりはない。大乗経典が編纂される同じ頃、「仏像」が製作され、それを崇拝する礼拝様式が生まれるが、その事と無関係ではないだろう。
さらに如来寿量品においては、ブッダはインドに生まれたのが最初ではなく、遥か遠い過去世に菩薩=ブッダとなり、その寿命は未だに尽きていないという、永遠に存在するブッダ(久遠仏)像が述べられる。さらにブッダの死=涅槃も人々に仏法への渇仰の心を起こさせるための方便であって(92頁~)、ブッダは死なず常にこの娑婆世界にあって常住此説法しているという。
植木氏は、永遠のブッダとは、様々な経典に登場する諸仏をもう一度釈尊に統一する意図であるとか、仏教が現実や人間を離れることをいさめている等と解説している(94)。それはそれで成る程と思うが、それでもブッダの永遠性、永遠にこの世に住し、人々を救うという超越的な性質を強調することに変わりはない。
仏教においては絶対者(=仏)は人間の内に存し、人間そのものである。仏教は、人間を原点に見すえて、人間を「真の自己」(人)と法に目覚めさせる人間主義なのです(90)。・・・原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』に「私(釈尊=人)を見るものは法を見る。法を見るものは私を見る」とある。釈尊の生き方の中に「法」が具現されている。その「法」を知りたければ釈尊の生き方を見なさいということ。そしてその「法」は誰にでも開かれている。釈尊が覚った「法」は経典として残った。その経典を読むことで、私たちも「法」をわが身に体現することができる(91)。
この辺が植木氏の結論のようだ。しかし、釈尊が覚った法(ダルマ)は「法華経」なのか?歴史的には法華経は後世の作なので、それはあり得ない。では法華経によって再度明らかにしようとした「法」とは何なのか?上述のように、法が釈尊の生き方に具現しているなら、法華経に説かれた釈尊の生き方、例えば常不軽菩薩のように生きることであり、全ての人々、動物や草木も仏であると敬愛して生きることである。とすれば法華経を読誦するだけでは駄目であり、また南無妙法蓮華経と唱えるだけでもだめであろう。
私が最も深い関心をもって植木講義を聴いたのは、慣れ親しんできた漢訳文の「我本行菩薩道、所成寿命、今猶未尽、復倍上数」の部分を、どのように解釈するかであった。植木氏はサンスクリット原典から「過去における菩薩としての修行をいまなお未だ完成させていないし、寿命の長ささえも、未だに満たされていない」(91)と読んでいる。
この部分を従来の教学では、この文底に成仏得道の本因が秘されていると日蓮が読み解き、釈尊も過去世において法華経を行じて仏になったとして「妙法蓮華経」への帰依を強調したことになっている(本因初住の文底:日寛)。さらに日蓮は法華経の名号を唱えることで法華経を受持読誦することになると易行道としての唱題行を主張した。しかし、釈尊が過去において何を修行してブッダになったかは、法華経の文言からはやはり分からない。植木氏の話でもそこは触れていない。
日寛の文底読みにしても、植木さんの話からも、一種のトートロジーでしかないとの印象は拭いきれない。常不軽菩薩が死を目前にして、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」(法華経)が空中から聞こえてきて悟りを開いた(105)というくだりも、感動的ではあるが、論理的には全てが「法華経」によって仏になるんだという事の繰り返しでしかない。
富永仲基は「法華経はほめる言葉ばかりで中身が何もない」(21)と嘆息したらしいが、その気持ちもよく分かる。
4回目(4/23)は「『人間の尊厳』への賛歌」と題して、主として釈尊滅後の付属(誰に法華経の布教を委託するか)の問題、また常不軽菩薩の生き方を論じて終わっている。付属については、この娑婆世界では「地涌の菩薩」へ委託し、他土では他の菩薩たちに委託した。われわれの生き方としては、全ての人々に但行礼拝して歩く常不軽菩薩を模範とせよと言うことなのだろうか、それとも法華経を賛嘆して布教せよということなのだろうか。両者は同じではない。
放送では絵師・長谷川等伯の水墨画「松林図屏風」(国宝)や、それを描く上での法華経の影響、その絵を観て豊臣秀吉はじめ居並ぶ武将は圧倒されて声も出なかったが、近衛は「等覚一転名字妙覚やなー」と感嘆したとかいう話が出てくるが、テキストにはない。「等覚一転名字妙覚」とは難解な内容ではあるが、平たくいえば「名字即」、すなわち凡夫のありのままの姿、立場で覚りを得られるという事なのだろう。これは出家せずとも在家のままで覚りを得られるという意味で平等思想の表現でもあり、不勉強ではあるが後の「本覚思想」につながる発想であると思われる。
この放送を良い機会として改めて法華経を勉強し、考えたが、あちらこちらにちりばめられている思想、発想には素晴らしいものがあることは確かだ。『法華経』では、悪人成仏や女人成仏も、二乗の成仏も保証されて、誰もが成仏できるという平等思想を説いている(108)点や、私個人としては第2回に出てきた「薬草喩品」での「干天の慈雨」の譬喩、すなわち個性を持った様々な人々、そして草木が、仏が降らす慈雨によって、その個性が大きく花開いていく世界、多様性が多様性のままに花開く世界は、素晴らしいと感じる。
しかし、前述の「永遠のブッダ」論、それによるブッダ崇拝、仏像崇拝、また長い修行の後の成仏(歷劫修行)などからは、原始仏教の復興というより、後の大乗仏教の展開を誘引したとも言えよう。天台の一念三千論は全てが成仏するという思想のさらなる展開であろうし、日蓮の一生成仏論の方はむしろ釈尊自身のインドでの生涯における成道を再興させた論とも言えそうである。仏教の理解には、やはり釈尊の実像、原始仏教の勉強から、仏教の原像を改めてしっかり捉える必要を痛感した。
ともあれ植木雅俊氏が法華経研究の第一人者として活躍されるようになったことは喜ばしいことであり、この放送を機に多くの方が法華経の内容に親しみ、自らの信仰を顧みたり深める機会になれば幸いである。学問的には、法華経を生み出した人々と時代がさらに解明されることを期待してやまない。
コメント
_ 四方弘道 ― 2018年05月06日 17:07
従来の教学が分かり易くて良いとは思いますが、日寛の示した文底が我本行の文かどうかは、少しだけ疑問に思っています。相承後の六巻抄では本因初住の文底としか述べられておらず、相承前の取要抄文段と合わせ、我本行の文につなげて解釈されていますが、宗学要宗2巻152頁では、日興の解釈との名目で、如来秘密の文をもって本因妙としています。また、同巻132頁、同318頁、同4巻35頁など、上古の大石系は、如来秘密をもって文底としていたことが窺われます。むしろ、我本行とするのは保田日要(興風叢書3巻29頁、同32頁)、日我(同4巻84頁85頁)、要法寺日辰(宗全3巻239頁、同476頁)であり、取要抄文段は、これらの影響を受けているのではないかと思っています。なお、先生の十大部講義の開目抄講義では、序文に日達が御講聞書の如来秘密の部分を引用しています。
_ 中野 毅 ― 2018年05月09日 23:09
四方様
コメントを有り難うございました。本因妙が我本行の文かどうかについて複数の捉え方があるとのご指摘、参考になりました。とりあえずは従来の教学を基礎にして書いてあります。少なくとも2011年頃までは、創価学会教学では、その解釈が続いていました。今後、さらに検討します。
コメントを有り難うございました。本因妙が我本行の文かどうかについて複数の捉え方があるとのご指摘、参考になりました。とりあえずは従来の教学を基礎にして書いてあります。少なくとも2011年頃までは、創価学会教学では、その解釈が続いていました。今後、さらに検討します。
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