レヴィ・マクローリン著『創価学会の人間革命:近代日本における擬態国家の出現』(ハワイ大学出版会、2019年)を読む2020年08月01日

Levi McLaughlin, "Soka Gakkai’s Human Revolution: The Rise of a Mimetic Nation in Modern Japan", Honolulu: University of Hawai’i Press, 2019. 219 pages. ISBN 978-0-8248-7542-8.
レヴィ・マクローリン著『創価学会の人間革命:近代日本における擬態国家の出現』ハワイ大学出版会、2019年。

Book Review in "Journal of Religion in Japan," Volume 8 (2019): Issue 1-3 (Dec 2019): Special Issue: Secularities in Japan, Brill.
https://brill.com/view/journals/jrj/8/1-3/jrj.8.issue-1-3.xml

(本稿は、表記のレヴィ・マクローリン著について、英文雑誌Journal of Religion in Japan, Vol.8, 2019に掲載された英文書評を日本語版にしたものである。原文は上記のURLを参照して欲しい〈ただし、英文論考は有料〉)

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 創価学会は、現代日本の宗教界のみならず、社会的政治的領域において活発な活動を展開している宗教団体である。本書は、米ノースカロライナ州立大学の准教授であるレヴィ・マクローリン氏が、この在家信徒中心の宗教組織について、日本および他国で20年以上にわたって歴史学的かつ民族誌学的に研究してきた成果である。創価学会の歴史については、第2章を中心に、戦前の初代会長・牧口常三郎が創設した創価教育学会から、戦後の第2代会長・戸田城聖の時代、そして第3代会長・池田大作の就任から2010年代に至るまで概観している。また創価学会の組織構造とその発展、小説『人間革命』『新人間革命』や聖教新聞、その他多数の出版物についての論究、幼稚園から大学に至るまでの教育機関の設立と機能、公明党という政党の創設と連立政権参加など、創価学会に関連する諸組織、諸運動をほぼ網羅している。巨大組織である創価学会を、一冊の単行本で、歴史的かつ構造的に全体を明らかにし、同時に独自の分析枠組みで新たな特徴を解明した本書は、数多くある創価学会についての出版の中でも、優れた研究書の一つと言えよう。
 本書のもととなった研究成果は、2009年に米プリンストン大学に提出した博士論文であるが、その提出に至るまでに同大学の日蓮研究の専門家であるジャッキー・ストーン(Jacqueline Stone)博士に指導を受け、2000年からは日本の東京大学に留学し、島薗進教授ほか多くの宗教学・宗教社会学者から指導を受けている。こうした基礎的研究をもとに博士論文を完成させ、さらにその後の調査と加筆修正をへて、本書は刊行された。
 日本人による総合的でかつ学術的価値のある創価学会研究書は少なく、むしろ外国人による日本の創価学会についての総合的な研究書の方が多い。代表的なものとしては、1970年のホワイト・レポート(邦訳1971年)が最も包括的であり、他にBrannen (1968), Dator (1969), Metraux (1994) などがある。本書は、それらに比しても近年まれにみる多くの特徴と独自性を有する優れた一書である。以下本書の特徴と評価する点を列挙する。

 第一に、調査方法の独自性である。従来の創価学会研究の多くが、創価学会発行の新聞や代々の会長の指導や講演などの文献資料と、会員に関する統計学的なデータをもとに論じているものが多いのに対し、本書は著者自身が2000年から2017年の間に、北は岩手から南は九州にいたる200人以上の会員と会話し、また本人自身が創価学会の諸活動に参加して得た知見や経験、情報を基盤に分析と議論が展開していることである。しかも、それらの人々は創価学会の本部や幹部から紹介された人物ではなく、著者が初めて日本に住んだ千葉県の地域会員を訪ねて知り合った人々のような一般の会員である。また著者はバイオリンのプロ奏者でもあるので、それを活かして、創価学会の男子部員によって構成されている交響楽団の一員となって練習や演奏会を行った経験と出会った会員たち、またある時は、創価学会の会員教育の一システムである教学試験(任用試験)に挑戦し、その学習と受験のためにある会員宅に泊まり込むなどしている(第5章)。
 このような調査は一般に参与観察(participant observation)と言われているが、著者の方法は、それを一歩深めたスタイルとも言えるので、ディープな参与観察(deep participant observation)と称してもよいくらいである。著者は従って、出会った会員たちを情報提供者(informants)とは言わず、友人(friends)と呼ぶ。これらの観察から、例えば熱心な学会員の母親と批判する息子の対立、しかし批判する息子も創価学会の家族の中に生まれてきたので、自分が困った時や友人の不幸に接したときは唱題するしかないという、二律背反的な状況などが生々しく描かれている(143-145頁)。
 このような調査対象の世界に親密に参与する調査方法は、研究対象との距離の取り方が難しくなり、客観性に問題が生じる危険性もある。しかし著者は、こうした調査方法で得たデータや発見が、むしろ批判的な距離をみいだし、理論的枠組みの中に位置づけることができたと論じている(x頁)。
 
 第二に、創価学会を日蓮仏教と、19世紀末に発展した西欧的個人主義・合理主義思想という「二つの伝統の継承者」と捉える点である。創価学会はしばしば近代日本社会で発展した「新宗教」と見なされ、また系譜的には日蓮系、もしくは法華系の在家仏教運動として捉えられている。確かに、かつては日蓮系教団の一つである日蓮正宗の信者集団であったし、会員は法華経の一部読誦と日蓮が提唱した唱題行に日々いそしんでいる。著者は、しかし、この教団の名称が「学会」であることに注目し、前身はリベラルな教育学者であった牧口常三郎の「創価教育学会」であったことを重視する。つまり牧口教育理論の学習と普及、教育改革をめざした「学会」が出発点であり、その痕跡として「学会」という名称が残っている。第二代会長の戸田城聖は、戦前の失敗は法華経を中心としなかったことだと反省したと言われているが、その戸田でさえ、日蓮仏教の終末論的理想と結果重視のプラグマティズムとを結びつけた主張で改宗者を魅了したと、著者は捉えている(5頁)。
 評者も、牧口の教育論にはデユーイなどのアメリカ・プラグマティズム哲学が重要な要素としてあると考えている。信仰を生活における有益な結果をもたらすか否かを重視する点などは、明らかにデューイのプラグマティズム的信仰論である。それと日蓮仏教が結合し、罰や功徳などの功利的主張として展開されたと考えている。
 西欧思想の影響は第三代会長・池田大作のもとでさらに展開し、鼓笛隊や音楽隊の結成に始まり、文化芸術運動を重視する方針に変わりはない。公明党を結成して政治に積極的に参加していく場合も、ヨーロッパにおける宗教的背景をもとにした政党などを参考にしている。このような日蓮仏教からの大きな飛躍、または逸脱が、後に1991年の日蓮正宗との分裂につながっていったともいえる(7頁)。

 第三に、創価学会を近代国民国家の類似形態または擬態であるというメタファー(隠喩)(The mimetic nation-state metaphor)で論じる点である。第一章の後半で詳細に論じているが、創価学会は確かに外形的には、池田名誉会長を頂点とする重層的な組織構造を有し、かつては人脈中心のタテ線組織だったが、現在は日本国家の行政単位とほぼ同じ区域わけで、方面から地区、グループにいたる組織を全国的に展開している。全国に渡る行政機構を管理運営する熟練した官僚組織と類似の本部職員組織もある。創価学会独自の教学勉強のシステムに加えて幼稚園から大学までの一般的教育機関も完備し、民音など文化芸術を振興する団体、また政党をもって選挙活動もする。独自の新聞と多数の出版を行うマスメディアももっている。
 これらだけでも擬態国家として十分捉えられるが、著者はさらに「独自の旗」「独自のカレンダー」「独自の財産と経済活動」をもち、「独自の墓」、さらにも「独自の正典」などももっていることから、「近代国民国家の擬態」であると強調する。
 これまでも、創価学会は現代日本の縮図であるとか、国家内国家である、国家の中の独自の柱構造体(pillar)であると論じられたことはあった。また著者自身も以前は補助国家(an adjunct nation)として論じたこともあったが、創価学会が日本国家の補助機関であると捉えられてしまう恐れがあるので、その用語をいまは使用しない(20頁)。創価学会を近代国家の擬態と捉えるメタファーは、なぜ創価学会がそのように見え、行動するのか、なぜこれほど多くの改宗者を動員できるのかを説明できる。近代国家が国民に新たな社会建設という「使命感」(a sense of mission)を与えて鼓舞したように、創価学会がこれほど発展し得た最大の要因は、会員に世界史的に重要な活動に参加しているという「使命感」を与えるのに成功したからである。また国家におけるナショナリズムが国民の意識高揚と団結、対外的進出を進めたように、創価学会も会内ナショナリズムを生みだし、リーダーや組織への忠誠心を生みだした。また哲学者ルイ・アルチュセールのRSAs-ISAs論を活用して、創価学会は政治を宗教化、聖化したと論じている(23頁)。このような近代国家擬態論は、さらに論議や検討を要する点もあるが、創価学会をより深く理解していくために興味深い、また刺激的な立論であると考える。

 第四は、上記の点に関連しているが、近代国民国家の形成過程においてナショナリズムを鼓舞するために新聞やパンフレットなど「印刷資本主義」(print-capitalism)が大きな役割を果たした歴史に注目し、その視点から創価学会の運動を分析している点である。創価学会は、宗教団体としては希有といえる日刊紙『聖教新聞』を発刊し、さらに長編小説『人間革命』などの膨大な出版がなされ、創価学会および会員が自身を語る際の拠り所になっている。著者はそこに重大な関心を寄せ、第3章、第4章で、このような創価学会の「出版帝国」(publication empire)ぶりを分析して、創価学会独自の世界観の形成、会員の使命感やリーダーと組織に対する忠誠心の醸成に、これら出版物が果たした重要な役割を明らかにしている。
 著者は、創価学会の出発を、ある出版物、すなわち初代会長・牧口常三郎の著作『創価学会教育学大系』が発刊された1930年11月18日としていることに注目する。第3章の冒頭で、著者が初めて八王子の牧口記念会館を訪れた2007年11月15日のエピソードは興味深い。牧口記念会館は1993年5月3日に開館したが、その年は創価学会が日蓮正宗と分かれた2年後であった。応対したある副会長は、「牧口記念館のヨーロッパ・ルネサンス風の城のような豪華な大理石建築は、これまでは権力者による権力の象徴であったが、この記念館は民衆の力によって建てられたものであり、それは民衆こそが権力の主体であることを象徴している」と語ったという。「権力」対「民衆」、そして日蓮正宗という古い宗教権力に民衆が勝利した「栄光の物語」こそ、創価学会が出版物を通して語る壮大な物語の中心的テーマである。
 ここでも著者はまず、近代初頭におけるヒューマニズムの勝利と日蓮仏教の結合という「二つの伝統的遺産の結合」を見いだしている(70頁)。さらにフランス革命に代表される近代国民国家の誕生に目を向け、そこでは、民族や国民の起源神話、王権・専制君主との闘いと勝利、その国家を率いる指導者と民衆による国民国家の誕生と発展、周辺諸国へ革命を拡げなければという「比類なき使命」などが、物語や詩、歌曲によって高らかに謳われ、その支配の正当性が強調されていったことが示される。ベネディクト・アンダーソンが主張した近代国家形成における印刷資本主義による「想像の共同体」(imagined community)の形成であり、その過程で「言語の共通化」「物語の共有化」などが進展していく。それはまたエルンスト・ルナンのいう「国家とは豊かな諸記憶の遺産」(nation as a rich legacy of memories)でもあり、過去の経験を取捨選択して大規模な団結を作り上げていく過程でもあった(72頁)。
 著者は、これら近代国民国家形成における現象と類似な過程が、創価学会の出版帝国にも見ることができと指摘し、その代表例として小説『人間革命』『新人間革命』を取りあげている。これらの物語は、中世における宗教的課題と現代の問題を巧みに結びつけている。それらは一方では、日蓮が堕落した鎌倉幕府に対して正しい宗教に立つよう諌言した行為を英雄的勝利として祝福する物語であり、他方では、とりもなおさず現代の創価学会の運動に正当性を付与する小説として構成されている。この小説は創価学会の指導者とその正義の人々(地涌の菩薩)の物語である。
 小説『人間革命』は第二代会長・戸田城聖と第三代会長・池田大作による創価学会草創期からのエピソードなどを小説化したものであり、戸田版『人間革命』は1951年4月20日『聖教新聞』創刊号から妙悟空という執筆者名で連載が始まり、単行本としては1957年に出版された。池田版『人間革命』は法悟空という執筆者名で、同新聞の1965年元旦号から連載され、戸田城聖による創価学会の再建から戸田の死、池田大作(山本伸一)の第三代会長就任までを描いている。全12巻であるが、第10巻は1978(S53)年で完結し、その後、2年間のブランクの後、1980~1993年にかけて第11~12巻が書かれている。 また『新人間革命』は山本伸一の会長就任から日蓮正宗との決別までを描いていて、1993年8月6日から2018年8月6日に渡って連載された。全30巻であるが最終刊は上下巻として刊行されたため、単行本は実質全31巻となる。
この一連の小説に関する評論や研究は多いが、本書における重要な点は、執筆の時期が日蓮正宗との関係に緊張が生まれた時期と結びついていることを明らかにした点、また創価学会が日蓮仏教の正統な継承者であり、さらに池田大作が戸田城聖の唯一正統な後継者であることが強調されていることを明らかにした点である。

 第五には、『(新)人間革命』の「正典化」と「正典形成過程への会員の参画」という独特の捉え方をあげなければならない。これらの出版は創価学会の公式の歴史(正史)、また池田自身が述べているように創価学会の「精神の歴史」である。従って、全ての会員が学習すべき教科書となっていることはいうまでもないが、著者はさらに踏み込んで、『(新)人間革命』は『法華経』および日蓮の遺文集『御書』と並んで、場合によってはそれを越える、ある種の「正典」(canon)になっていると、極めて重要な指摘をしている。1970年から任用試験の教材に、御書ともに『人間革命』が使われ始め、大石寺における夏期講習会での教材ともなり、婦人部が読了運動を展開した事などを、その根拠として詳しく論じている。
 さらに重要なのは、これらの小説が創価学会が急速に大きくなっていく最中に書かれ、かつ正典の形成(canon formation)に多くの会員が仮名であるが登場し、参加している事実に注目した点である。その視点を著者は第4章で「正典への参加:ある新宗教における聖なるテキストの形成」と題して論じている。『(新)人間革命』が執筆された数十年間、会員は彼らが正典と見なす公式記録の中に登場することに喜びを見いだしていた。換言すれば、創価学会は公式な正典と認められる文書の中で、多くの会員が聖なる存在として祀られる(enshrined)機会を提供していたのである(93頁)。法華経など、様々な仏典にも多くの菩薩や在家が登場するが、そのような形式とパラレルなスタイルであると言える。
 この分析視角は特に重要で注目に値する。何故なら、この正典形成過程への参加という視点は、宗教研究における永遠のテーマ、すなわち、ある人が何故、様々な論争を起こしている新宗教に入信するのか、彼らの人生をその組織に捧げるのか、という問いへの新たな解答を提供するからである。正典の形成過程で、会員たちの実際の活動、彼らの献身と経験が聖化され、彼らや家族、友人たちが創価学会の歴史や使命と一体化する。そして組織への忠誠、指導者への忠誠心も高められていく。この分析が妥当か否かは、他の新宗教への研究によって確証されなければならないが、極めて興味深い分析視角であることはいうまでもない。

 他にも興味深い内容が多くあるが、詳細な紹介は割愛する。著者自身も音楽家(バイオリニスト)として創価学会青年部のオーケストラに参加した経験、創価中学校の生徒たちと池田会長との出会いが運命的なものとして『人間革命』に描かれ、彼らが師弟の道を歩むという正典形成についての事例研究、第5章「青年をいかに教化するか」では、国の公立教育とパラレルに強調される教学試験の重要性を描き、終章である第6章では、家庭を守り、子供を育て、かつ最前線の歩兵として期待される創価学会婦人部の困難さと葛藤を描き、戦前の国防婦人会との相似点を論じている。また「あとがき」では、著者が2000年に日本で最初に住み始めた千葉県習志野市で出会った会員たちとの葛藤、しかし、彼らがパートナーの病気回復を願って唱題し続けていたことを後に知った時の感動が綴られている。

〈おわりに〉
 マクローリン氏による本書は、日本創価学会についての総合的で、かつ優れた研究であり、刺激的な分析が多数含まれている。それは、まず筆者がディープな参与観察と呼んだ、会員に密着した詳細な調査に基づいているからであり、さらに「近代国家擬態論」や「正典形成への参画と聖化」などの独特な分析枠組みによるものである。著者はわれわれに、創価学会の一般会員が実際にどのように考え、悩み、日常生活の中で如何に多くのジレンマを抱えているかを明らかにしてくれる。本書を読みながら、評者は社会学的宗教研究において重要な視点である「共感的デタッチメント」という分析態度を思い出した。これは評者の恩師でもあるオックスフォード大学の故ブライアン・ウィルソン教授がかつて強調していた点である(Wilson, 1982)。
 もちろん、いかなる優れた研究書であっても限界と欠点はある。第一に、彼の「近代国家擬態論」についても、創価学会の組織構造と運動の特徴を明らかにする上で有効であることは認めるが、その分析枠組みが類似の官僚制的組織を有するモルモン教会やサイエントロジーなど、他の新宗教に適用できるか否かが問われることはいうまでもない。それらの運動との比較研究が、今後必要である。同様のことは「正典形成への参画」という点にも言える。近代国家擬態論について更に言えば、創価学会は戦後のそれより、聖なる天皇に支配された専制国家であった戦前の日本国家により類似していると言えまいか?著者の見解を伺いたいものである。
 本書はこの数十年間で、日本の創価学会について書かれた最良の研究書であると評価したい。日本語訳が出版されることを願ってやまない。


《参考文献》
Brannen, Noah S. 1968. Sōka Gakkai: Japan’s Militant Buddhism. Virginia: John Knox Press.
Dator, James Allen. 1969. SŌKA GAKKAI, Builders of the Third Civilization: American and Japanese Members. Seattle: University of Washington Press.
McLaughlin, Levi. 2004. “Shinkō to ongaku no yūwa o motomete: Watashi no deatta Sōka Gakkai ōkesutora”(邦訳、2004年、「信仰と音楽の融和を求めて:私の出会った創価学会オーケストラ」(堀江宗正訳)『世界』6月号、182-189頁).
Metraux, Daniel. 1994. The Sōka Gakkai Revolution. Lanham, MD: University Press of America.
White, James W. 1970. The Sōkagakkai and Mass Society. California: Stanford University Press(邦訳、1971年『ホワイト調査班の創価学会レポート』宗教社会学研究会訳、雄渾社).
Wilson, Bryan R. 1982. Religion in Sociological Perspective. Oxford: Oxford University Press(邦訳、2002年、『宗教の社会学』(中野毅・栗原淑江訳)、法政大学出版会).

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