佐藤優「『新・人間革命』完結にみる創価学会のゆくえ」について2019年01月20日

  『中央公論』2019年1月号に載っていた佐藤優「『新・人間革命』完結にみる創価学会のゆくえ」についての感想。かねてから彼が何故に創価学会にこれほどコミットしているのか、不思議な方だと思っていたが、この論考で少し分かった。
 彼は日本基督教会に属するプロテスタント・クリスチャンであるが、エキュメニズムというキリスト教諸派を再統一する運動を推進するエキュメニズム神学の立場から、キリスト教の枠を超えて、他宗教や無神論者・無宗教者との対話にも広げようとしている。その立場から創価学会を理解しようとしているが、そのためには創価学会の内在的論理をとらえることが重要だという。あくまでも1人の宗教人として関心だという。この点で、客観性を強調する宗教学者や非難を目的とする創価学会ウォッチャーとは違うと主張する。
  彼が創価学会に敬意を抱くのは、戦時中に国家権力の弾圧に対して徹底的な非暴力抵抗路線を展開したことにあり、そこには戦時体制に積極的に協力した日本基督教団への批判が根底にある。牧口の不屈の精神は今なお不滅であると讃える。
  ゆえに池田会長の『人間革命』『新・人間革命』を、戦争に反対し、平和を希求する創価学会の「精神の正史」と捉えて重視する。また『新・人間革命』の序文に記された「私の足跡を記せる人はいても、私の心までは描けない。私でなければわからない真実の学会の歴史がある。・・・」を引用しつつ、この本は池田会長の足跡のみでなく、「心」が描かれている事が重要で、読者も心で読むことが求められているという。佐藤氏もエキュメニズム神学の方法はまさに他宗教の信者がそのテキストをどう受け止めているかという視座から、この「精神の正史」の本質を捉えることができたと述べる。宗教学者らは、このアプローチができないと批判もしている。
  さらにキリスト教徒のアナロジーで言うならば、日本国内における活動を描いた『人間革命』はイエス・キリスト誕生以前の出来事が記された『旧約聖書』、池田会長による世界宗教化の基盤を整える『新・人間革命』が『新約聖書』で、イエス・キリストの言行録である「福音書」に相当するという。ご丁寧に、今後は弟子たちの信仰継承を描いた新約聖書の使徒言行録のようなものが、創価学会によって編纂されていくことになろうと予見している。
  創価学会の本質は仏法に基づくヒューマニズムであり、キリスト教が説く「神のヒューマニズム」と創価学会の人間主義には共通の基盤があると結んでいる。
  以上、要点を整理したが、このような捉え方をどう評価するか今後検討したい。少なくとも上記のアナロジーはあまりいただけない。これでは池田会長が「神の子・イエス=神」になってしまう。また最近、『(新・)人間革命』を現代の法華経だと評した方がいたようだが、このような捉え方が今後増えるのかもしれないが、慎重に考えたいものである。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://tnakano1947.asablo.jp/blog/2019/01/20/9027126/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。