『創価学会教学要綱』を読む ― 2024年01月16日
『創価学会教学要綱』(池田大作先生監修、創価学会発行、2023年11月18日)について
2024年1月13日 中 野 毅
2023年11月に『創価学会教学要綱』が発刊された。以下、その内容を要約し、意義と課題についてまとめた。長いので、pdf.ファイルをダウンロードできるようにしてあります。
https://drive.google.com/file/d/1v-MIXtyHu1a6uGwa1FVIJoOE0uVKEMPg/view?usp=sharing
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1991年に日蓮正宗と決別し、以来30数年にわたり、創価学会はその教学の刷新を模索していたが、それが結実したものが、この『教学要綱』と言える。個人的感想を交えてさらに記せば、1977年に第一次宗門問題が起こり、その際は準備不足や一部の首脳の裏切りなどによって短期間で敗北した。その際、片や頑固な僧侶中心主義の正宗と、在家信徒運動体の創価学会という、性質も権威の由来も異なった両者の対立は構造的に不可避であり、次に備えた準備の必要性を痛感した。東洋哲学研究所に関連する分野の研究者に集まってもらい、日蓮研究、宗門研究、仏教学、宗教学・宗教社会学などの研究部門を設置した。そこに集った方々が第二次宗門問題の際に活躍した。この教学要綱の編纂へも幾分かの貢献があったではないかと推察する。それを考えると、約半世紀46年かかって、ここまで辿り着いたかと感無量である。
1.教義変更のプロセス
2002年の創価学会会則変更で日蓮正宗との関係を削除し、2014年に会則の教義条項を改訂して、「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」(第1章第2条)とし、新しい教義の骨格を示した。創価学会教学部による解説では、「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたもの」であり、等しく「本門の本尊」である」とされた。従来の弘安二年板曼荼羅本尊が唯一の本門の本尊であることを否定したのである。
2021年の『日蓮大聖人御書全集(新版)』においては、『百六箇抄』『本因妙抄』は日蓮正宗で重要視される『身延相承書』『池上相承書』(二箇相承)とともに、「伝承類」に格下げとなり、代わりに『美作房御返事』『原殿御返事』が「日興上人文書」として付加された。日興の系譜は尊重するが、室町、江戸時代の大石寺教学は尊重しない姿勢をはっきりさせたのである。『百六箇抄』『本因妙抄』を日蓮真撰でないと明示したことにより、日蓮の本尊論は大きく変化することになった。また「三大秘法抄」も「教理書」ではなく、門下への手紙類としてあるのも興味深い。
このような経緯を経て、今回、『教学要綱』が池田大作先生監修として2023年11月18日付けで発刊された。しかし同日に、池田名誉会長が同月15日に逝去されたことが発表された。2017年のSGI規約の改正、2018年の創価学会会憲の制定、2021年の創価学会社会憲章の制定など、海外の組織も日本の創価学会のもとでコントロールしていく体制を確立したことを含めると、日蓮正宗と分かれた後の創価学会の教学から海外組織におよぶ新体制を全て整備し終えて亡くなられたことは、まことに感慨深い。
2.学問的仏教史研究の活用=脱神秘化 仏教は人間主義の教え
この教学要綱は学問的な仏教研究、日蓮研究の実証的な成果を可能な限り取り入れ、一般の学者、他の仏教団体にとっても説得力のある教学の確立、後世の学問的批判に耐えられるレベルのものにすることを目指したと聞き及んでいる。必然的に、日蓮の真筆であることが明白な論書を基に、この教学体系は構築されたと考える。
その点が冒頭から明確に示されている。仏教の歴史を、インドで誕生した釈迦から始まるとした点である(第1章)。従来の日蓮正宗の教学、特に日寛教学では、久遠元初自受用報身如来の再誕が日蓮という意義付けで、日蓮がインドの釈迦の遥か以前に存在する本仏であり、釈迦を迹仏とみなすなど、歴史学的には全く根拠のない論理で、日蓮から仏教は始まると主張していた。そのような奇想天外な論理をよく構築したと感心するし、そのインパクトが大きかったことも事実である。しかし、学術界や海外においては受け入れがたい主張であった。
釈迦が目指したのは、生老病死などの苦からの解放であり、その道筋として四諦説、十二因縁を説いたとした。また当時の支配的思想であったバラモン教がカルマと輪廻を強調して聖職者バラモン階級の優位と身分制の固定を図っていたのに対し、釈迦はカルマとは日常生活における行為であり、社会的な身分や地位にかかわらず、誰もがその行いによって自身の境涯が定まるという「自業自得」説を説いたとする。これは一個の人間に無限の可能性を認める「人間の尊厳」「生命の尊厳」思想であり、身分などに関わりなく全ての人を尊敬する「万人の尊敬」の思想であるという。
これら釈迦が展開した「生命の尊厳」「万人の尊敬」の思想を、創価学会は「仏法の人間主義」と捉え、その人間主義の仏教が「法華経」、日蓮を介して創価学会に継承されたと強調する。
3.三大秘法論の新解釈 脱呪物化および内心倫理化
日蓮の法門の骨格をなすのが三大秘法であるが、「末法の衆生が『南無妙法蓮華経』を自身の内に確立し、さらにその環境にまで働きかけていく実践方法として、日蓮が創唱した」とした(74頁~)。
①本門の本尊:「南無妙法蓮華経」を「本門の本尊」とする(3頁)。これは新たな展開である。そして、それを文字で表現したものが文字曼荼羅本尊とする。それは大聖人の内面に確立された仏の覚りの境地を顕したもの(77頁)、唱題のための「対境」であり、本質的には本尊は法華経、または南無妙法蓮華経そのものと考えている。本尊を信じて「南無妙法蓮華経」を唱えることで、仏界の働きが顕現する。
仏像などは本尊とせず、日蓮正宗が唱え、創価学会もかつて採用していた、「弘安二年の戒壇本尊」を人法一箇で唯一の「本門の本尊」とする説も否定した。その上で、日興が「富士一跡門徒存知の事」で記した「御筆のご本尊」という記述に依って、日蓮が顕した本尊と、それを書写した本尊をすべて「本門の本尊」として拝するとした。なお、創価学会員が信仰の対象とするのは、創価学会が受持の対象として認定した本尊に限るとした(82頁)。宗教学的には、曼荼羅本尊を「象徴」として捉えたのであり、従来の本尊論からの脱呪物化(物体を特殊な超越的力をもったものと捉える発想からの脱皮)と言える。
②本門の戒壇:戒壇とは一般に出家した僧侶に守るべき戒律を授ける儀式および施設であるが、日蓮が末法には保つべき戒はなく、法華経を持つことを持戒とすると記したことを根拠に、本尊を信受し「南無妙法蓮華経」を唱える実践そのものに戒が充足されており、その場が「本門の戒壇」の意義を有するとして、会員各自が家庭で本尊に向かって題目を唱える場、および総本部の広宣流布大誓堂はじめ国内外の各会館も、「本門の戒壇」の意義を持つとしている(86~87頁)。
なお日蓮も伝教が比叡山に建立した戒壇を大乗戒壇として評価しているが、それはあくまで「迹門の戒壇」との位置づけだったこと、宗祖滅後に日蓮門下の一部が建造物としての戒壇建立をめざす運動が現れ、日蓮正宗の影響を受けて創価学会も「本門戒壇の建立」を一時目指したが、本教学要綱では、そのような戒壇論は日蓮自身の本意ではないとして廃棄している。
ちなみに、日蓮自身は戒壇建立について余り論究しておらず、「三大秘法抄」も学問的には後世の作であることが現在では明白となっている。日蓮正宗は戦前に田中智学の影響を受けて「本門の戒壇」を「国立戒壇」とし、その建立を教義として掲げていた。その影響で二代会長・戸田城聖は創価学会が広宣流布を成し遂げ、国立戒壇を建立すると決意して、政界進出の目的の一つしたことも事実である。しかし創価学会における国立戒壇の主張は、公明党を結成した1964年段階で廃棄され、言論出版問題を受けた1970年5月の本部総会で池田大作会長(当時)は改めて否定している。創価学会が「本門の戒壇」の意義を含む正本堂を1972年10月に建立寄進したが、会員の寄付による「民衆立」として建立された。
③本門の題目:日蓮は『法華経』の題目である「南無妙法蓮華経」こそ『法華経』の肝心であり、末法の衆生が成仏するための法であると覚知し、立宗の時点で「南無妙法蓮華経」を唱える唱題行を打ち立てた。自行化他にわたって「南無妙法蓮華経」を唱え弘めることが、成仏を可能にする「本門の題目」である(86,90頁)。
4.相対的な日蓮本仏論に立脚 釈迦・日蓮の人間化 凡夫本仏論
日蓮を「末法の本仏」とする表現は、本教学要綱でも継承されている。しかし、その内容は従来の日蓮正宗における日蓮本仏論からは大きく脱皮した。それを明示した点も、今回の重要な点であろう。従来の本仏論は、既に述べたように、インドで誕生した釈迦をも過去世において教導した超越的存在=久遠元初自受用報身如来が、法滅尽の末法に再誕したのが日蓮という位置づけであった。日寛教学の中心とも言える、この本仏論を「絶対的本仏論」と言うこともある。
それに対し、日蓮は末法において全ての人々が成道できる万人成仏の方途を三大秘法として明らかにした「教主」という意味において、「末法の本仏」と仰ぎ、「大聖人」と尊称するとした(95頁)。開目抄に「日蓮は日本国の諸人にしゅうし父母なり」と記し、日蓮は末法の日本で唯一の「法華経の行者」であり、人々を成仏に導く主師親三徳具備の仏であること、その慈悲心は広大であると自身で明言していることなどから、「末法の本仏」と言える。
このように、ある時代、ある場所に出現し、そこの状況に応じた成仏の方途を自ら顕す仏を「本仏」と捉える論を「相対的本仏論」と言うこともできる。その意味で、釈迦はあの時代のインドにおける本仏であり、天台智顗は当時(像法時代)の中国における本仏であったとも言える。このような新たな本仏論に、本要綱は立脚していると考えられる。
さらに「日蓮は凡夫なり」(選時抄)、「日蓮は名字の凡夫」(顕仏未来記)と記すなど、日蓮は凡夫の身を捨てることなく成仏の姿を現じたという点で、われわれ末法の凡夫全ての万人成仏の道を示したという意味でも、「末法の本仏」と言える。この視点は、日蓮の人間化とも評価できる。釈迦も後世に、次第に超人的な存在にされていったが、本来、歴史上の釈迦は他の人々と変わらぬ一人の人間であり、異なるのは、修行の結果として得た真理への洞察と慈悲が卓越していたことにあった(117頁)。釈迦をあくまで人間として捉えているのと同様に、日蓮も久遠元初仏の再誕とか、上行菩薩の再誕などと神秘化せず、『法華経』の肝心を「南無妙法蓮華経」という根本法として提示し、万人が修行して覚知できるよう、三大秘法を表した「末法の教主」として「末法の本仏」としたことは説得力に富むと言える。
5.一生成仏・人間革命と広宣流布・立正安国
第三章では、日蓮思想の重要な点を、まず「一生成仏」または「即身成仏」に見いだし、死後や来世ではなく、現世において万人がその身のままで成仏できるとしていることを強調する。「成仏」も、特殊な能力をもった超人的存在になることではなく、釈迦が到達したような、苦悩からの解放と揺るぎない智慧と慈悲の獲得を意味する。この一生成仏、即身成仏の実践を、創価学会は現代的に「人間革命」と呼ぶと、日蓮思想と創価学会の理念との関連を明らかにした。
また日蓮は、末法における法華経の行者として、または釈迦から末法弘通の付属を受けた上行菩薩を己の役割と捉えて、万人成仏の教えである「法華経」を、その肝心の「南無妙法蓮華経」を広く流布することを自身の使命とした。その日蓮の使命を現代に受け継いで実践しているのが創価学会であると、「日蓮直結」を強調している(124頁)。
さらに日蓮が「立正安国論」を鎌倉幕府に提出して強調したように、災難を鎮め、国土・社会を安穏の地にするのが、日蓮仏法の目的でもある。人々の苦難は、天災であるとともに、時の為政者が有効な予防策や救援策を講じずに被害を大きくする人災でもある。日蓮は為政者も法華経を信奉し、そこに説かれた平和で安穏に暮らせる社会を建設するように促した。これが「立正安国」の思想であり、広宣流布とは正法を拡げるとともに国土・社会を安穏にすることでもある。創価学会が日蓮仏法を弘めるだけでなく、様々な文化・教育・社会活動を展開するのは、この社会や国土を安泰にするためである。公明党への支援など政治活動を展開する理由の一端も示している。
6.在家による万人救済の民衆仏法の確立と展開
最後の章は、釈迦、法華経、日蓮と展開する仏教の重要な点は、出家者のみでなく在家も平等に成仏することを説いたことと捉え、この根本理念を踏まえて、現代社会で在家者主体の信仰活動を実践してきたのが、創価学会であり、世界192カ国・地域に展開していることを論じている。
日蓮が在家者の信心を重視したことは、弘安二年に起きた農民信徒三名の殉教(熱原の法難)を「ひとえに只事にあらず」と述べ、彼らを「法華経の行者」として最大に称賛したことに表れている(136頁)。それは日蓮が説く仏法が、広範な民衆に深く定着したことの証しであり、自らの仏法の永続性を確信した事件であった。そこに、日蓮は己の「出世の本懐」を確信したと捉える。この点も、「弘安二年戒壇本尊の建立」を「出世の本懐」とみなす日蓮正宗の主張と決定的に決別した重要な点である。
創価学会の歴史も、三大会長を中心に「宗教改革の歴史」としてまとめている。日蓮没後の日蓮系教団は僧侶中心主義になり、かつ政治権力への対峙姿勢も失っていった。牧口常三郎は日蓮正宗を通して日蓮仏法に出会ったが、戦時下に宗門合同や神宮大麻授受に反対したため、戸田と共に治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕投獄された。正宗は彼らを登山禁止処分にした。牧口は獄死し、戸田は生き延びて、戦後、創価教育学会を創価学会として再建した。牧口、戸田は宗門興隆に一方では尽力したが、他方で宗門との対決の連続であった。池田も多数の寺院を建立寄進し、戸田時代に創価学会所有だった寺院も正宗に寄贈した。1972年には「本門の戒壇」となるべき正本堂まで建立したが、結局、創価学会は宗門から破門通告をうけ、正本堂は破壊された。こうした宗門との緊張・対立の歴史をたどっている。
正本堂建立は、その後の方向転換を決定づけた出来事であったと、筆者は推測している。おそらく戒壇本尊への疑義を生じさせ、宗門への貢献はほどほどにして、広布第二章へ進むことを決意させたと思われる。1977年1月の第9回教学部大会で、池田会長は「仏教史観を語る」と題する講演を行い、「宗教のための人間」から「人間のための宗教」への転換こそ仏教の本義であることを強調し、本来の仏法は、在家・出家の別なく、世間の地位や身分も関係なく、万人が仏になる道を説いたものであると強調した(144頁)。この講演を皮切りに宗門改革を目指したが、激しい抵抗に遭い、宗門との対立は決定的になった。その後の第2次対立をへて、創価学会は日蓮正宗と決別し、「御書根本」「大聖人直結」の主張を掲げて、日蓮の万人に開かれた仏法を、在家の教団として現代に蘇らせ運動をさらに展開していこうとしていると述べている。
なお本章では、創価学会の三宝論についても改めて明確にしている。仏宝は日蓮大聖人、法宝は南無妙法蓮華経、僧宝は創価学会とした(同書156頁)。かつては、仏宝は日蓮大聖人、法宝は戒壇本尊、僧宝は日興上人(『教学の基礎』1988年)としていたことを考えると、これも日蓮正宗と明確に決別したことを表している。ちなみに日蓮宗では三宝として、「仏宝とは法華経寿量品の久遠実成の釈尊であり、法宝とは法華経、更にはその肝心たる妙法五字であり、僧宝とは日蓮および日蓮の意に順ずる僧団である。」となっており、日蓮を筆頭とする僧侶中心主義に立っている(宮崎英修編『日蓮辞典』)。
本章最後に「宗教の五綱」について述べ、日蓮の折伏思想を再解釈して、創価学会は日蓮のように「慈悲の発露としての折伏精神を堅持し、弘教においては、仏法の寛容の精神に基づき、相手の立場や思想を尊重しつつ、智慧を発揮して、共感と納得の対話を貫く・・・それは入会のみを目的とした行為ではなく、自他共の幸福を求め、互いに啓発し合い高め合っていく実践である」(169-170頁)と結んでいる。この折伏論は、従来は摂受とも言われた実践であるが、ともかく、そうあって欲しいと願うところである。
おわりに:感想と課題
以上、筆者の見解や情報を少々交えながら、本要綱の意図したであろうこと、重要と思われる点を纏めてみた。各章で重複している記述もあるが、全体として創価学会の新しい「合理主義的立場に立つ教学」の骨格は示せたと評価する。
疑問点としては、「南無妙法蓮華経」を全ての根幹として強調しているが、それが鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」の表題への帰依以上に、如何なるものであるのかが判然としない。宇宙を支配する超自然的な法則など、超越的な存在や法などを想定しているならば、ある種の神秘主義への退行であり、残念なことである。ただ会員の実践に近いものである点では了解する。
日蓮本仏論は、この相対的なもので良いと考えるが、日蓮も凡夫であることを強調し、故に在家も含め全ての人間が現世で成仏が可能という、ある種の凡夫本仏論に立っている。類似の主張も既にあるが、それとの相違点は何か不明である。また日蓮も凡夫とするが、彼は出家者であり、在家とは明らかに異なる。その点は、どのように考えるのであろうか。
創価学会を僧宝とするのは良いが、創価学会を批判する者は、即、破仏法者として過度に批判する対象となる危険性も孕む。寛容で自他共の幸福を追求する教団として、そういう事態は避けなればならないことは言うまでもない。その歯止めをしっかり掛けて欲しい。また僧宝たる創価学会の三名の「永遠の師匠」を仏法上はどのように意義づけるのかも、今後の課題であろう。
立正安国を掲げる教団として、文化社会活動、政治支援活動に積極的であることはよいが、具体的には、普通の国民政党となった公明党を選挙支援する理由や根拠を、個々の政策が良いからというだけでは不十分である。ましてや自民党をはじめ他党の候補者を支援する場合、創価学会としては、どのような基準で人物を判断し、支援するのか、創価学会の教義や宗教理念に即しての支援基準をさらに明確にしていく必要がある。また選挙支援活動だけでなく、社会問題や政治問題に創価学会としての意見表明が、もっとあってよいと考える。その場合も、どのように判断するのか、その基準も明確にして欲しいと考える。
2024年1月13日 中 野 毅
2023年11月に『創価学会教学要綱』が発刊された。以下、その内容を要約し、意義と課題についてまとめた。長いので、pdf.ファイルをダウンロードできるようにしてあります。
https://drive.google.com/file/d/1v-MIXtyHu1a6uGwa1FVIJoOE0uVKEMPg/view?usp=sharing
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1991年に日蓮正宗と決別し、以来30数年にわたり、創価学会はその教学の刷新を模索していたが、それが結実したものが、この『教学要綱』と言える。個人的感想を交えてさらに記せば、1977年に第一次宗門問題が起こり、その際は準備不足や一部の首脳の裏切りなどによって短期間で敗北した。その際、片や頑固な僧侶中心主義の正宗と、在家信徒運動体の創価学会という、性質も権威の由来も異なった両者の対立は構造的に不可避であり、次に備えた準備の必要性を痛感した。東洋哲学研究所に関連する分野の研究者に集まってもらい、日蓮研究、宗門研究、仏教学、宗教学・宗教社会学などの研究部門を設置した。そこに集った方々が第二次宗門問題の際に活躍した。この教学要綱の編纂へも幾分かの貢献があったではないかと推察する。それを考えると、約半世紀46年かかって、ここまで辿り着いたかと感無量である。
1.教義変更のプロセス
2002年の創価学会会則変更で日蓮正宗との関係を削除し、2014年に会則の教義条項を改訂して、「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」(第1章第2条)とし、新しい教義の骨格を示した。創価学会教学部による解説では、「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたもの」であり、等しく「本門の本尊」である」とされた。従来の弘安二年板曼荼羅本尊が唯一の本門の本尊であることを否定したのである。
2021年の『日蓮大聖人御書全集(新版)』においては、『百六箇抄』『本因妙抄』は日蓮正宗で重要視される『身延相承書』『池上相承書』(二箇相承)とともに、「伝承類」に格下げとなり、代わりに『美作房御返事』『原殿御返事』が「日興上人文書」として付加された。日興の系譜は尊重するが、室町、江戸時代の大石寺教学は尊重しない姿勢をはっきりさせたのである。『百六箇抄』『本因妙抄』を日蓮真撰でないと明示したことにより、日蓮の本尊論は大きく変化することになった。また「三大秘法抄」も「教理書」ではなく、門下への手紙類としてあるのも興味深い。
このような経緯を経て、今回、『教学要綱』が池田大作先生監修として2023年11月18日付けで発刊された。しかし同日に、池田名誉会長が同月15日に逝去されたことが発表された。2017年のSGI規約の改正、2018年の創価学会会憲の制定、2021年の創価学会社会憲章の制定など、海外の組織も日本の創価学会のもとでコントロールしていく体制を確立したことを含めると、日蓮正宗と分かれた後の創価学会の教学から海外組織におよぶ新体制を全て整備し終えて亡くなられたことは、まことに感慨深い。
2.学問的仏教史研究の活用=脱神秘化 仏教は人間主義の教え
この教学要綱は学問的な仏教研究、日蓮研究の実証的な成果を可能な限り取り入れ、一般の学者、他の仏教団体にとっても説得力のある教学の確立、後世の学問的批判に耐えられるレベルのものにすることを目指したと聞き及んでいる。必然的に、日蓮の真筆であることが明白な論書を基に、この教学体系は構築されたと考える。
その点が冒頭から明確に示されている。仏教の歴史を、インドで誕生した釈迦から始まるとした点である(第1章)。従来の日蓮正宗の教学、特に日寛教学では、久遠元初自受用報身如来の再誕が日蓮という意義付けで、日蓮がインドの釈迦の遥か以前に存在する本仏であり、釈迦を迹仏とみなすなど、歴史学的には全く根拠のない論理で、日蓮から仏教は始まると主張していた。そのような奇想天外な論理をよく構築したと感心するし、そのインパクトが大きかったことも事実である。しかし、学術界や海外においては受け入れがたい主張であった。
釈迦が目指したのは、生老病死などの苦からの解放であり、その道筋として四諦説、十二因縁を説いたとした。また当時の支配的思想であったバラモン教がカルマと輪廻を強調して聖職者バラモン階級の優位と身分制の固定を図っていたのに対し、釈迦はカルマとは日常生活における行為であり、社会的な身分や地位にかかわらず、誰もがその行いによって自身の境涯が定まるという「自業自得」説を説いたとする。これは一個の人間に無限の可能性を認める「人間の尊厳」「生命の尊厳」思想であり、身分などに関わりなく全ての人を尊敬する「万人の尊敬」の思想であるという。
これら釈迦が展開した「生命の尊厳」「万人の尊敬」の思想を、創価学会は「仏法の人間主義」と捉え、その人間主義の仏教が「法華経」、日蓮を介して創価学会に継承されたと強調する。
3.三大秘法論の新解釈 脱呪物化および内心倫理化
日蓮の法門の骨格をなすのが三大秘法であるが、「末法の衆生が『南無妙法蓮華経』を自身の内に確立し、さらにその環境にまで働きかけていく実践方法として、日蓮が創唱した」とした(74頁~)。
①本門の本尊:「南無妙法蓮華経」を「本門の本尊」とする(3頁)。これは新たな展開である。そして、それを文字で表現したものが文字曼荼羅本尊とする。それは大聖人の内面に確立された仏の覚りの境地を顕したもの(77頁)、唱題のための「対境」であり、本質的には本尊は法華経、または南無妙法蓮華経そのものと考えている。本尊を信じて「南無妙法蓮華経」を唱えることで、仏界の働きが顕現する。
仏像などは本尊とせず、日蓮正宗が唱え、創価学会もかつて採用していた、「弘安二年の戒壇本尊」を人法一箇で唯一の「本門の本尊」とする説も否定した。その上で、日興が「富士一跡門徒存知の事」で記した「御筆のご本尊」という記述に依って、日蓮が顕した本尊と、それを書写した本尊をすべて「本門の本尊」として拝するとした。なお、創価学会員が信仰の対象とするのは、創価学会が受持の対象として認定した本尊に限るとした(82頁)。宗教学的には、曼荼羅本尊を「象徴」として捉えたのであり、従来の本尊論からの脱呪物化(物体を特殊な超越的力をもったものと捉える発想からの脱皮)と言える。
②本門の戒壇:戒壇とは一般に出家した僧侶に守るべき戒律を授ける儀式および施設であるが、日蓮が末法には保つべき戒はなく、法華経を持つことを持戒とすると記したことを根拠に、本尊を信受し「南無妙法蓮華経」を唱える実践そのものに戒が充足されており、その場が「本門の戒壇」の意義を有するとして、会員各自が家庭で本尊に向かって題目を唱える場、および総本部の広宣流布大誓堂はじめ国内外の各会館も、「本門の戒壇」の意義を持つとしている(86~87頁)。
なお日蓮も伝教が比叡山に建立した戒壇を大乗戒壇として評価しているが、それはあくまで「迹門の戒壇」との位置づけだったこと、宗祖滅後に日蓮門下の一部が建造物としての戒壇建立をめざす運動が現れ、日蓮正宗の影響を受けて創価学会も「本門戒壇の建立」を一時目指したが、本教学要綱では、そのような戒壇論は日蓮自身の本意ではないとして廃棄している。
ちなみに、日蓮自身は戒壇建立について余り論究しておらず、「三大秘法抄」も学問的には後世の作であることが現在では明白となっている。日蓮正宗は戦前に田中智学の影響を受けて「本門の戒壇」を「国立戒壇」とし、その建立を教義として掲げていた。その影響で二代会長・戸田城聖は創価学会が広宣流布を成し遂げ、国立戒壇を建立すると決意して、政界進出の目的の一つしたことも事実である。しかし創価学会における国立戒壇の主張は、公明党を結成した1964年段階で廃棄され、言論出版問題を受けた1970年5月の本部総会で池田大作会長(当時)は改めて否定している。創価学会が「本門の戒壇」の意義を含む正本堂を1972年10月に建立寄進したが、会員の寄付による「民衆立」として建立された。
③本門の題目:日蓮は『法華経』の題目である「南無妙法蓮華経」こそ『法華経』の肝心であり、末法の衆生が成仏するための法であると覚知し、立宗の時点で「南無妙法蓮華経」を唱える唱題行を打ち立てた。自行化他にわたって「南無妙法蓮華経」を唱え弘めることが、成仏を可能にする「本門の題目」である(86,90頁)。
4.相対的な日蓮本仏論に立脚 釈迦・日蓮の人間化 凡夫本仏論
日蓮を「末法の本仏」とする表現は、本教学要綱でも継承されている。しかし、その内容は従来の日蓮正宗における日蓮本仏論からは大きく脱皮した。それを明示した点も、今回の重要な点であろう。従来の本仏論は、既に述べたように、インドで誕生した釈迦をも過去世において教導した超越的存在=久遠元初自受用報身如来が、法滅尽の末法に再誕したのが日蓮という位置づけであった。日寛教学の中心とも言える、この本仏論を「絶対的本仏論」と言うこともある。
それに対し、日蓮は末法において全ての人々が成道できる万人成仏の方途を三大秘法として明らかにした「教主」という意味において、「末法の本仏」と仰ぎ、「大聖人」と尊称するとした(95頁)。開目抄に「日蓮は日本国の諸人にしゅうし父母なり」と記し、日蓮は末法の日本で唯一の「法華経の行者」であり、人々を成仏に導く主師親三徳具備の仏であること、その慈悲心は広大であると自身で明言していることなどから、「末法の本仏」と言える。
このように、ある時代、ある場所に出現し、そこの状況に応じた成仏の方途を自ら顕す仏を「本仏」と捉える論を「相対的本仏論」と言うこともできる。その意味で、釈迦はあの時代のインドにおける本仏であり、天台智顗は当時(像法時代)の中国における本仏であったとも言える。このような新たな本仏論に、本要綱は立脚していると考えられる。
さらに「日蓮は凡夫なり」(選時抄)、「日蓮は名字の凡夫」(顕仏未来記)と記すなど、日蓮は凡夫の身を捨てることなく成仏の姿を現じたという点で、われわれ末法の凡夫全ての万人成仏の道を示したという意味でも、「末法の本仏」と言える。この視点は、日蓮の人間化とも評価できる。釈迦も後世に、次第に超人的な存在にされていったが、本来、歴史上の釈迦は他の人々と変わらぬ一人の人間であり、異なるのは、修行の結果として得た真理への洞察と慈悲が卓越していたことにあった(117頁)。釈迦をあくまで人間として捉えているのと同様に、日蓮も久遠元初仏の再誕とか、上行菩薩の再誕などと神秘化せず、『法華経』の肝心を「南無妙法蓮華経」という根本法として提示し、万人が修行して覚知できるよう、三大秘法を表した「末法の教主」として「末法の本仏」としたことは説得力に富むと言える。
5.一生成仏・人間革命と広宣流布・立正安国
第三章では、日蓮思想の重要な点を、まず「一生成仏」または「即身成仏」に見いだし、死後や来世ではなく、現世において万人がその身のままで成仏できるとしていることを強調する。「成仏」も、特殊な能力をもった超人的存在になることではなく、釈迦が到達したような、苦悩からの解放と揺るぎない智慧と慈悲の獲得を意味する。この一生成仏、即身成仏の実践を、創価学会は現代的に「人間革命」と呼ぶと、日蓮思想と創価学会の理念との関連を明らかにした。
また日蓮は、末法における法華経の行者として、または釈迦から末法弘通の付属を受けた上行菩薩を己の役割と捉えて、万人成仏の教えである「法華経」を、その肝心の「南無妙法蓮華経」を広く流布することを自身の使命とした。その日蓮の使命を現代に受け継いで実践しているのが創価学会であると、「日蓮直結」を強調している(124頁)。
さらに日蓮が「立正安国論」を鎌倉幕府に提出して強調したように、災難を鎮め、国土・社会を安穏の地にするのが、日蓮仏法の目的でもある。人々の苦難は、天災であるとともに、時の為政者が有効な予防策や救援策を講じずに被害を大きくする人災でもある。日蓮は為政者も法華経を信奉し、そこに説かれた平和で安穏に暮らせる社会を建設するように促した。これが「立正安国」の思想であり、広宣流布とは正法を拡げるとともに国土・社会を安穏にすることでもある。創価学会が日蓮仏法を弘めるだけでなく、様々な文化・教育・社会活動を展開するのは、この社会や国土を安泰にするためである。公明党への支援など政治活動を展開する理由の一端も示している。
6.在家による万人救済の民衆仏法の確立と展開
最後の章は、釈迦、法華経、日蓮と展開する仏教の重要な点は、出家者のみでなく在家も平等に成仏することを説いたことと捉え、この根本理念を踏まえて、現代社会で在家者主体の信仰活動を実践してきたのが、創価学会であり、世界192カ国・地域に展開していることを論じている。
日蓮が在家者の信心を重視したことは、弘安二年に起きた農民信徒三名の殉教(熱原の法難)を「ひとえに只事にあらず」と述べ、彼らを「法華経の行者」として最大に称賛したことに表れている(136頁)。それは日蓮が説く仏法が、広範な民衆に深く定着したことの証しであり、自らの仏法の永続性を確信した事件であった。そこに、日蓮は己の「出世の本懐」を確信したと捉える。この点も、「弘安二年戒壇本尊の建立」を「出世の本懐」とみなす日蓮正宗の主張と決定的に決別した重要な点である。
創価学会の歴史も、三大会長を中心に「宗教改革の歴史」としてまとめている。日蓮没後の日蓮系教団は僧侶中心主義になり、かつ政治権力への対峙姿勢も失っていった。牧口常三郎は日蓮正宗を通して日蓮仏法に出会ったが、戦時下に宗門合同や神宮大麻授受に反対したため、戸田と共に治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕投獄された。正宗は彼らを登山禁止処分にした。牧口は獄死し、戸田は生き延びて、戦後、創価教育学会を創価学会として再建した。牧口、戸田は宗門興隆に一方では尽力したが、他方で宗門との対決の連続であった。池田も多数の寺院を建立寄進し、戸田時代に創価学会所有だった寺院も正宗に寄贈した。1972年には「本門の戒壇」となるべき正本堂まで建立したが、結局、創価学会は宗門から破門通告をうけ、正本堂は破壊された。こうした宗門との緊張・対立の歴史をたどっている。
正本堂建立は、その後の方向転換を決定づけた出来事であったと、筆者は推測している。おそらく戒壇本尊への疑義を生じさせ、宗門への貢献はほどほどにして、広布第二章へ進むことを決意させたと思われる。1977年1月の第9回教学部大会で、池田会長は「仏教史観を語る」と題する講演を行い、「宗教のための人間」から「人間のための宗教」への転換こそ仏教の本義であることを強調し、本来の仏法は、在家・出家の別なく、世間の地位や身分も関係なく、万人が仏になる道を説いたものであると強調した(144頁)。この講演を皮切りに宗門改革を目指したが、激しい抵抗に遭い、宗門との対立は決定的になった。その後の第2次対立をへて、創価学会は日蓮正宗と決別し、「御書根本」「大聖人直結」の主張を掲げて、日蓮の万人に開かれた仏法を、在家の教団として現代に蘇らせ運動をさらに展開していこうとしていると述べている。
なお本章では、創価学会の三宝論についても改めて明確にしている。仏宝は日蓮大聖人、法宝は南無妙法蓮華経、僧宝は創価学会とした(同書156頁)。かつては、仏宝は日蓮大聖人、法宝は戒壇本尊、僧宝は日興上人(『教学の基礎』1988年)としていたことを考えると、これも日蓮正宗と明確に決別したことを表している。ちなみに日蓮宗では三宝として、「仏宝とは法華経寿量品の久遠実成の釈尊であり、法宝とは法華経、更にはその肝心たる妙法五字であり、僧宝とは日蓮および日蓮の意に順ずる僧団である。」となっており、日蓮を筆頭とする僧侶中心主義に立っている(宮崎英修編『日蓮辞典』)。
本章最後に「宗教の五綱」について述べ、日蓮の折伏思想を再解釈して、創価学会は日蓮のように「慈悲の発露としての折伏精神を堅持し、弘教においては、仏法の寛容の精神に基づき、相手の立場や思想を尊重しつつ、智慧を発揮して、共感と納得の対話を貫く・・・それは入会のみを目的とした行為ではなく、自他共の幸福を求め、互いに啓発し合い高め合っていく実践である」(169-170頁)と結んでいる。この折伏論は、従来は摂受とも言われた実践であるが、ともかく、そうあって欲しいと願うところである。
おわりに:感想と課題
以上、筆者の見解や情報を少々交えながら、本要綱の意図したであろうこと、重要と思われる点を纏めてみた。各章で重複している記述もあるが、全体として創価学会の新しい「合理主義的立場に立つ教学」の骨格は示せたと評価する。
疑問点としては、「南無妙法蓮華経」を全ての根幹として強調しているが、それが鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」の表題への帰依以上に、如何なるものであるのかが判然としない。宇宙を支配する超自然的な法則など、超越的な存在や法などを想定しているならば、ある種の神秘主義への退行であり、残念なことである。ただ会員の実践に近いものである点では了解する。
日蓮本仏論は、この相対的なもので良いと考えるが、日蓮も凡夫であることを強調し、故に在家も含め全ての人間が現世で成仏が可能という、ある種の凡夫本仏論に立っている。類似の主張も既にあるが、それとの相違点は何か不明である。また日蓮も凡夫とするが、彼は出家者であり、在家とは明らかに異なる。その点は、どのように考えるのであろうか。
創価学会を僧宝とするのは良いが、創価学会を批判する者は、即、破仏法者として過度に批判する対象となる危険性も孕む。寛容で自他共の幸福を追求する教団として、そういう事態は避けなればならないことは言うまでもない。その歯止めをしっかり掛けて欲しい。また僧宝たる創価学会の三名の「永遠の師匠」を仏法上はどのように意義づけるのかも、今後の課題であろう。
立正安国を掲げる教団として、文化社会活動、政治支援活動に積極的であることはよいが、具体的には、普通の国民政党となった公明党を選挙支援する理由や根拠を、個々の政策が良いからというだけでは不十分である。ましてや自民党をはじめ他党の候補者を支援する場合、創価学会としては、どのような基準で人物を判断し、支援するのか、創価学会の教義や宗教理念に即しての支援基準をさらに明確にしていく必要がある。また選挙支援活動だけでなく、社会問題や政治問題に創価学会としての意見表明が、もっとあってよいと考える。その場合も、どのように判断するのか、その基準も明確にして欲しいと考える。
植木雅俊 100分de名著『法華経』 (NHK) に学ぶ ― 2018年05月06日
100分で名著『法華経』:植木雅俊氏のこの番組のテキストを読み始め、第1回放送を録画で観た。法華経の各品の概要や解説や思想的意義について分かりやすく参考になった。私も比較宗教学の講義では前半に各一神教の概要を教え、後半では原始仏教から法華経などの大乗仏教と日蓮思想の概要を講義した。他大学の学生はもとより創価大学の学生でさえ、仏教の歴史や法華経という経典の内容をあまり知らない。仏教入門のテキストとしても最適であろう。http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/75_hokekyou/index.html#box01
2018年4月6日 {以下、( )内はテキストの頁番号}
植木氏は、法華経は小乗仏教と大乗仏教の両者を統一し、二乗を含む全ての人々を悟りに導く最上の経典であるとその意義を強調した。これは斬新な捉え方であった。従来は大乗経典の代表とされてきたから、それを越えるものということだが、やや法華経を賛美しすぎる傾向もある。また学問的には、「小乗」という言葉を使うことには疑問もある。
なお植木氏は原始仏教と小乗仏教をも立て分けし、「部派仏教」を「小乗仏教」としている。その上で原始仏教が全ての人の成仏を説いた点を重視し、法華経がそれを復活させたと見なしている。それは興味深い視点で、その後、天台智顗の一念三千論を経て、日蓮が「一生成仏」として再び強調したと私は考えている。しかし植木氏の法華経論は原始仏教拠りに解釈しすぎている印象が拭いえない。中村元先生の影響が大きいのだろう。
法華経に一貫しているのは「原始仏教の原点に還れ」という主張
小乗・大乗それぞれの問題点を浮き彫りにし、それを乗り越えようとして生み出されたのが『法華経』なのです(21)。
法華経の主要部分は、現在では周知のように、釈尊滅後500年頃に北西インド(ガンダーラ)地方で編纂、または創作されたと考えられる経典ですが、作者がどのような人々であったかは未だに解明されていない。また経典の構成は釈尊がインドの霊鷲山において弟子に教えを説くという場面設定になっており、序品第一から法師品第十の前半(従来の教学では「迹門」とも分類されていた)と、見宝塔品第十一から如来神力品第二十までの後半(同「本門」。提婆達多品は後生の作として除く)、そしてその他と区分されてきた。その他は、時代や内容から後生の作とされている。これらを一覧表にしてあるのは参考になる(23頁)。
1回目の後半から2回目にかけて、「三車火宅の譬え」などから三乗を開いて一仏乗を明らからかにし(開三顕一)、声門や縁覚の二乗も「また菩薩なのだ」と説いた(14)。こうして部派に分かれた小乗仏教で生じた差別を克服して、原始仏教の平等思想を回復したとあるが、このあたりが植木さんの独特の解釈と言えよう。
しかし、すべての人々が成仏する平等思想としては声門や縁覚の二乗、つまり知識人の成仏を主張したのみでは不十分なので、悪人成仏と女人成仏を説いた「提婆達多品」が不可欠であり、そのため後から付加されたのだが、今思えばこの品は重要であったことがよく分かる。3回目の放送の冒頭は、この点を明らかにしている。
3回目の重要な部分は、見宝塔品から従地涌出品、如来寿量品へと展開する内容であろう。これまでも法華経前半の表現様式が「比喩」(方便)を用いての説法であるのに対し、後半のこれらの品では象徴的表現を用いてブッダの偉大さや法華経の素晴らしさを賛嘆する点で、作者や創作年代が異なっていると考えられてきた。したがって植木氏の解釈はどのようなものか興味があった。
まず見宝塔品における宝塔の出現であるが、これは実は想像を絶する巨大で絢爛豪華な塔である。植木テキストでは控えめに描かれているが、大きく見積もれば高さは地球の倍、幅は地球と同じ巨大な塔が、金、銀、瑪瑙、瑠璃など七宝で合成され、天から曼荼羅華が舞い散り、音曲が奏でられる中を、大地を割って出現するのである。そして釈尊より年老いて立派な姿の多宝仏が宝塔の中から出現して釈尊を褒め、釈尊が宙を飛んで二仏が並び(二仏並座)、全体が虚空に持ち上げられるなど(虚空会の儀式)など、宇宙大のスケールで、悪く言えば奇想天外でSFもどきの場面設定とドラマには、凄いな~と感心すると共に、違和感を禁じ得ないでいた。植木氏の話を聞いても同じであった。
結局、このような描き方はストゥーパ(釈尊の遺物を納めた仏舎利塔)崇拝をやめさせてブッダに返れという事なのかも知れないが、ブッダの偉大さを強調するあまり、法を重視するより「ブッダ崇拝」を推進することにかわりはない。大乗経典が編纂される同じ頃、「仏像」が製作され、それを崇拝する礼拝様式が生まれるが、その事と無関係ではないだろう。
さらに如来寿量品においては、ブッダはインドに生まれたのが最初ではなく、遥か遠い過去世に菩薩=ブッダとなり、その寿命は未だに尽きていないという、永遠に存在するブッダ(久遠仏)像が述べられる。さらにブッダの死=涅槃も人々に仏法への渇仰の心を起こさせるための方便であって(92頁~)、ブッダは死なず常にこの娑婆世界にあって常住此説法しているという。
植木氏は、永遠のブッダとは、様々な経典に登場する諸仏をもう一度釈尊に統一する意図であるとか、仏教が現実や人間を離れることをいさめている等と解説している(94)。それはそれで成る程と思うが、それでもブッダの永遠性、永遠にこの世に住し、人々を救うという超越的な性質を強調することに変わりはない。
仏教においては絶対者(=仏)は人間の内に存し、人間そのものである。仏教は、人間を原点に見すえて、人間を「真の自己」(人)と法に目覚めさせる人間主義なのです(90)。・・・原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』に「私(釈尊=人)を見るものは法を見る。法を見るものは私を見る」とある。釈尊の生き方の中に「法」が具現されている。その「法」を知りたければ釈尊の生き方を見なさいということ。そしてその「法」は誰にでも開かれている。釈尊が覚った「法」は経典として残った。その経典を読むことで、私たちも「法」をわが身に体現することができる(91)。
この辺が植木氏の結論のようだ。しかし、釈尊が覚った法(ダルマ)は「法華経」なのか?歴史的には法華経は後世の作なので、それはあり得ない。では法華経によって再度明らかにしようとした「法」とは何なのか?上述のように、法が釈尊の生き方に具現しているなら、法華経に説かれた釈尊の生き方、例えば常不軽菩薩のように生きることであり、全ての人々、動物や草木も仏であると敬愛して生きることである。とすれば法華経を読誦するだけでは駄目であり、また南無妙法蓮華経と唱えるだけでもだめであろう。
私が最も深い関心をもって植木講義を聴いたのは、慣れ親しんできた漢訳文の「我本行菩薩道、所成寿命、今猶未尽、復倍上数」の部分を、どのように解釈するかであった。植木氏はサンスクリット原典から「過去における菩薩としての修行をいまなお未だ完成させていないし、寿命の長ささえも、未だに満たされていない」(91)と読んでいる。
この部分を従来の教学では、この文底に成仏得道の本因が秘されていると日蓮が読み解き、釈尊も過去世において法華経を行じて仏になったとして「妙法蓮華経」への帰依を強調したことになっている(本因初住の文底:日寛)。さらに日蓮は法華経の名号を唱えることで法華経を受持読誦することになると易行道としての唱題行を主張した。しかし、釈尊が過去において何を修行してブッダになったかは、法華経の文言からはやはり分からない。植木氏の話でもそこは触れていない。
日寛の文底読みにしても、植木さんの話からも、一種のトートロジーでしかないとの印象は拭いきれない。常不軽菩薩が死を目前にして、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」(法華経)が空中から聞こえてきて悟りを開いた(105)というくだりも、感動的ではあるが、論理的には全てが「法華経」によって仏になるんだという事の繰り返しでしかない。
富永仲基は「法華経はほめる言葉ばかりで中身が何もない」(21)と嘆息したらしいが、その気持ちもよく分かる。
4回目(4/23)は「『人間の尊厳』への賛歌」と題して、主として釈尊滅後の付属(誰に法華経の布教を委託するか)の問題、また常不軽菩薩の生き方を論じて終わっている。付属については、この娑婆世界では「地涌の菩薩」へ委託し、他土では他の菩薩たちに委託した。われわれの生き方としては、全ての人々に但行礼拝して歩く常不軽菩薩を模範とせよと言うことなのだろうか、それとも法華経を賛嘆して布教せよということなのだろうか。両者は同じではない。
放送では絵師・長谷川等伯の水墨画「松林図屏風」(国宝)や、それを描く上での法華経の影響、その絵を観て豊臣秀吉はじめ居並ぶ武将は圧倒されて声も出なかったが、近衛は「等覚一転名字妙覚やなー」と感嘆したとかいう話が出てくるが、テキストにはない。「等覚一転名字妙覚」とは難解な内容ではあるが、平たくいえば「名字即」、すなわち凡夫のありのままの姿、立場で覚りを得られるという事なのだろう。これは出家せずとも在家のままで覚りを得られるという意味で平等思想の表現でもあり、不勉強ではあるが後の「本覚思想」につながる発想であると思われる。
この放送を良い機会として改めて法華経を勉強し、考えたが、あちらこちらにちりばめられている思想、発想には素晴らしいものがあることは確かだ。『法華経』では、悪人成仏や女人成仏も、二乗の成仏も保証されて、誰もが成仏できるという平等思想を説いている(108)点や、私個人としては第2回に出てきた「薬草喩品」での「干天の慈雨」の譬喩、すなわち個性を持った様々な人々、そして草木が、仏が降らす慈雨によって、その個性が大きく花開いていく世界、多様性が多様性のままに花開く世界は、素晴らしいと感じる。
しかし、前述の「永遠のブッダ」論、それによるブッダ崇拝、仏像崇拝、また長い修行の後の成仏(歷劫修行)などからは、原始仏教の復興というより、後の大乗仏教の展開を誘引したとも言えよう。天台の一念三千論は全てが成仏するという思想のさらなる展開であろうし、日蓮の一生成仏論の方はむしろ釈尊自身のインドでの生涯における成道を再興させた論とも言えそうである。仏教の理解には、やはり釈尊の実像、原始仏教の勉強から、仏教の原像を改めてしっかり捉える必要を痛感した。
ともあれ植木雅俊氏が法華経研究の第一人者として活躍されるようになったことは喜ばしいことであり、この放送を機に多くの方が法華経の内容に親しみ、自らの信仰を顧みたり深める機会になれば幸いである。学問的には、法華経を生み出した人々と時代がさらに解明されることを期待してやまない。
2018年4月6日 {以下、( )内はテキストの頁番号}
植木氏は、法華経は小乗仏教と大乗仏教の両者を統一し、二乗を含む全ての人々を悟りに導く最上の経典であるとその意義を強調した。これは斬新な捉え方であった。従来は大乗経典の代表とされてきたから、それを越えるものということだが、やや法華経を賛美しすぎる傾向もある。また学問的には、「小乗」という言葉を使うことには疑問もある。
なお植木氏は原始仏教と小乗仏教をも立て分けし、「部派仏教」を「小乗仏教」としている。その上で原始仏教が全ての人の成仏を説いた点を重視し、法華経がそれを復活させたと見なしている。それは興味深い視点で、その後、天台智顗の一念三千論を経て、日蓮が「一生成仏」として再び強調したと私は考えている。しかし植木氏の法華経論は原始仏教拠りに解釈しすぎている印象が拭いえない。中村元先生の影響が大きいのだろう。
法華経に一貫しているのは「原始仏教の原点に還れ」という主張
小乗・大乗それぞれの問題点を浮き彫りにし、それを乗り越えようとして生み出されたのが『法華経』なのです(21)。
法華経の主要部分は、現在では周知のように、釈尊滅後500年頃に北西インド(ガンダーラ)地方で編纂、または創作されたと考えられる経典ですが、作者がどのような人々であったかは未だに解明されていない。また経典の構成は釈尊がインドの霊鷲山において弟子に教えを説くという場面設定になっており、序品第一から法師品第十の前半(従来の教学では「迹門」とも分類されていた)と、見宝塔品第十一から如来神力品第二十までの後半(同「本門」。提婆達多品は後生の作として除く)、そしてその他と区分されてきた。その他は、時代や内容から後生の作とされている。これらを一覧表にしてあるのは参考になる(23頁)。
1回目の後半から2回目にかけて、「三車火宅の譬え」などから三乗を開いて一仏乗を明らからかにし(開三顕一)、声門や縁覚の二乗も「また菩薩なのだ」と説いた(14)。こうして部派に分かれた小乗仏教で生じた差別を克服して、原始仏教の平等思想を回復したとあるが、このあたりが植木さんの独特の解釈と言えよう。
しかし、すべての人々が成仏する平等思想としては声門や縁覚の二乗、つまり知識人の成仏を主張したのみでは不十分なので、悪人成仏と女人成仏を説いた「提婆達多品」が不可欠であり、そのため後から付加されたのだが、今思えばこの品は重要であったことがよく分かる。3回目の放送の冒頭は、この点を明らかにしている。
3回目の重要な部分は、見宝塔品から従地涌出品、如来寿量品へと展開する内容であろう。これまでも法華経前半の表現様式が「比喩」(方便)を用いての説法であるのに対し、後半のこれらの品では象徴的表現を用いてブッダの偉大さや法華経の素晴らしさを賛嘆する点で、作者や創作年代が異なっていると考えられてきた。したがって植木氏の解釈はどのようなものか興味があった。
まず見宝塔品における宝塔の出現であるが、これは実は想像を絶する巨大で絢爛豪華な塔である。植木テキストでは控えめに描かれているが、大きく見積もれば高さは地球の倍、幅は地球と同じ巨大な塔が、金、銀、瑪瑙、瑠璃など七宝で合成され、天から曼荼羅華が舞い散り、音曲が奏でられる中を、大地を割って出現するのである。そして釈尊より年老いて立派な姿の多宝仏が宝塔の中から出現して釈尊を褒め、釈尊が宙を飛んで二仏が並び(二仏並座)、全体が虚空に持ち上げられるなど(虚空会の儀式)など、宇宙大のスケールで、悪く言えば奇想天外でSFもどきの場面設定とドラマには、凄いな~と感心すると共に、違和感を禁じ得ないでいた。植木氏の話を聞いても同じであった。
結局、このような描き方はストゥーパ(釈尊の遺物を納めた仏舎利塔)崇拝をやめさせてブッダに返れという事なのかも知れないが、ブッダの偉大さを強調するあまり、法を重視するより「ブッダ崇拝」を推進することにかわりはない。大乗経典が編纂される同じ頃、「仏像」が製作され、それを崇拝する礼拝様式が生まれるが、その事と無関係ではないだろう。
さらに如来寿量品においては、ブッダはインドに生まれたのが最初ではなく、遥か遠い過去世に菩薩=ブッダとなり、その寿命は未だに尽きていないという、永遠に存在するブッダ(久遠仏)像が述べられる。さらにブッダの死=涅槃も人々に仏法への渇仰の心を起こさせるための方便であって(92頁~)、ブッダは死なず常にこの娑婆世界にあって常住此説法しているという。
植木氏は、永遠のブッダとは、様々な経典に登場する諸仏をもう一度釈尊に統一する意図であるとか、仏教が現実や人間を離れることをいさめている等と解説している(94)。それはそれで成る程と思うが、それでもブッダの永遠性、永遠にこの世に住し、人々を救うという超越的な性質を強調することに変わりはない。
仏教においては絶対者(=仏)は人間の内に存し、人間そのものである。仏教は、人間を原点に見すえて、人間を「真の自己」(人)と法に目覚めさせる人間主義なのです(90)。・・・原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』に「私(釈尊=人)を見るものは法を見る。法を見るものは私を見る」とある。釈尊の生き方の中に「法」が具現されている。その「法」を知りたければ釈尊の生き方を見なさいということ。そしてその「法」は誰にでも開かれている。釈尊が覚った「法」は経典として残った。その経典を読むことで、私たちも「法」をわが身に体現することができる(91)。
この辺が植木氏の結論のようだ。しかし、釈尊が覚った法(ダルマ)は「法華経」なのか?歴史的には法華経は後世の作なので、それはあり得ない。では法華経によって再度明らかにしようとした「法」とは何なのか?上述のように、法が釈尊の生き方に具現しているなら、法華経に説かれた釈尊の生き方、例えば常不軽菩薩のように生きることであり、全ての人々、動物や草木も仏であると敬愛して生きることである。とすれば法華経を読誦するだけでは駄目であり、また南無妙法蓮華経と唱えるだけでもだめであろう。
私が最も深い関心をもって植木講義を聴いたのは、慣れ親しんできた漢訳文の「我本行菩薩道、所成寿命、今猶未尽、復倍上数」の部分を、どのように解釈するかであった。植木氏はサンスクリット原典から「過去における菩薩としての修行をいまなお未だ完成させていないし、寿命の長ささえも、未だに満たされていない」(91)と読んでいる。
この部分を従来の教学では、この文底に成仏得道の本因が秘されていると日蓮が読み解き、釈尊も過去世において法華経を行じて仏になったとして「妙法蓮華経」への帰依を強調したことになっている(本因初住の文底:日寛)。さらに日蓮は法華経の名号を唱えることで法華経を受持読誦することになると易行道としての唱題行を主張した。しかし、釈尊が過去において何を修行してブッダになったかは、法華経の文言からはやはり分からない。植木氏の話でもそこは触れていない。
日寛の文底読みにしても、植木さんの話からも、一種のトートロジーでしかないとの印象は拭いきれない。常不軽菩薩が死を目前にして、「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」(法華経)が空中から聞こえてきて悟りを開いた(105)というくだりも、感動的ではあるが、論理的には全てが「法華経」によって仏になるんだという事の繰り返しでしかない。
富永仲基は「法華経はほめる言葉ばかりで中身が何もない」(21)と嘆息したらしいが、その気持ちもよく分かる。
4回目(4/23)は「『人間の尊厳』への賛歌」と題して、主として釈尊滅後の付属(誰に法華経の布教を委託するか)の問題、また常不軽菩薩の生き方を論じて終わっている。付属については、この娑婆世界では「地涌の菩薩」へ委託し、他土では他の菩薩たちに委託した。われわれの生き方としては、全ての人々に但行礼拝して歩く常不軽菩薩を模範とせよと言うことなのだろうか、それとも法華経を賛嘆して布教せよということなのだろうか。両者は同じではない。
放送では絵師・長谷川等伯の水墨画「松林図屏風」(国宝)や、それを描く上での法華経の影響、その絵を観て豊臣秀吉はじめ居並ぶ武将は圧倒されて声も出なかったが、近衛は「等覚一転名字妙覚やなー」と感嘆したとかいう話が出てくるが、テキストにはない。「等覚一転名字妙覚」とは難解な内容ではあるが、平たくいえば「名字即」、すなわち凡夫のありのままの姿、立場で覚りを得られるという事なのだろう。これは出家せずとも在家のままで覚りを得られるという意味で平等思想の表現でもあり、不勉強ではあるが後の「本覚思想」につながる発想であると思われる。
この放送を良い機会として改めて法華経を勉強し、考えたが、あちらこちらにちりばめられている思想、発想には素晴らしいものがあることは確かだ。『法華経』では、悪人成仏や女人成仏も、二乗の成仏も保証されて、誰もが成仏できるという平等思想を説いている(108)点や、私個人としては第2回に出てきた「薬草喩品」での「干天の慈雨」の譬喩、すなわち個性を持った様々な人々、そして草木が、仏が降らす慈雨によって、その個性が大きく花開いていく世界、多様性が多様性のままに花開く世界は、素晴らしいと感じる。
しかし、前述の「永遠のブッダ」論、それによるブッダ崇拝、仏像崇拝、また長い修行の後の成仏(歷劫修行)などからは、原始仏教の復興というより、後の大乗仏教の展開を誘引したとも言えよう。天台の一念三千論は全てが成仏するという思想のさらなる展開であろうし、日蓮の一生成仏論の方はむしろ釈尊自身のインドでの生涯における成道を再興させた論とも言えそうである。仏教の理解には、やはり釈尊の実像、原始仏教の勉強から、仏教の原像を改めてしっかり捉える必要を痛感した。
ともあれ植木雅俊氏が法華経研究の第一人者として活躍されるようになったことは喜ばしいことであり、この放送を機に多くの方が法華経の内容に親しみ、自らの信仰を顧みたり深める機会になれば幸いである。学問的には、法華経を生み出した人々と時代がさらに解明されることを期待してやまない。
日蓮本仏論考 ― 2013年05月31日
日蓮本仏論考1:先日読んだ落合著『数理神学』に刺激されて、日蓮本仏論についてつらつら考えている。日蓮門流の興門派や創価学会に連なる系譜では、日蓮を末法における本仏と捉える。これは教学・神学の論理として考える時、「十字架のイエス」神学と類似の論理構造をもっているのではないか?http://tnakano1947.asablo.jp/blog/2013/05/25/6822990
日蓮本仏論考2: 大乗仏教的に言えば、一切衆生は成仏できる。その根拠は仏性または仏種が一切衆生に内在しているからである。それを仏陀の永遠性や久遠仏という仏身論としても展開される。「仏性の遍在」「久遠仏」論は、キリスト教神学における神の遍在・無限性に対応するではないだろうか。
日蓮本仏論考3:他方、歴史的に実在し、龍ノ口法難では首を切られかけて佐渡に流罪になった生身の日蓮がいる。興門派の日寛教学では、その日蓮が末法今時の本仏であるとする。普遍的存在としての久遠仏の再誕と捉える。神の子イエスと類似の論理構造と感じる。落合先生に数学的に解明してほしいと願う。
日蓮本仏論考2: 大乗仏教的に言えば、一切衆生は成仏できる。その根拠は仏性または仏種が一切衆生に内在しているからである。それを仏陀の永遠性や久遠仏という仏身論としても展開される。「仏性の遍在」「久遠仏」論は、キリスト教神学における神の遍在・無限性に対応するではないだろうか。
日蓮本仏論考3:他方、歴史的に実在し、龍ノ口法難では首を切られかけて佐渡に流罪になった生身の日蓮がいる。興門派の日寛教学では、その日蓮が末法今時の本仏であるとする。普遍的存在としての久遠仏の再誕と捉える。神の子イエスと類似の論理構造と感じる。落合先生に数学的に解明してほしいと願う。
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