平藤喜久子編『ファシズムと聖なるもの/古代的なるもの』を読む2020年07月12日

平藤喜久子編『ファシズムと聖なるもの/古代的なるもの』北海道大学出版会、2020年4月。


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 近年、北海道大学出版会から宗教学・宗教社会学の好著が相次いで出版されている。国家やナショナリズムと宗教について長年追求してきた筆者が強い関心をもって落手した一冊が、本書である。

 なんと言っても、まずタイトルに惹かれた。いまなぜファシズムかとピンとこない人もいようが、現在の世界でも伝統への回帰とマイノリティの否定、独裁的政治手法の復活と強いリーダーへの憧れなど、見渡せばファシズム的現象、状況が跋扈しているのが分かる。そしてそこには古代的なるものを賛嘆し、神聖視するような価値観、視線、態度がつきまとっている。決して過去の現象ではなく、いま、ここでも生起しているのである。

 歴史的にはイタリア、ドイツ、日本が戦前のファシズム国家とされるが、急進的ナショナリズム、民族の聖化、全体主義、反共主義などを伴うファシズム運動は、1920年代以降、ヨーロッパが中心ではあったが、南米など世界各地をも席巻した。本書の特徴は、このような政治的運動の背後や中核に、「古代的なるもの」を「聖なるもの」として再発見し、または創造し、称揚して人々を魅了していく宗教的文化的運動があったことを明らかにしようとしたことにある。

 章立ては本書の紹介サイトを参照して欲しい。また各章ごとの紹介は省略するが、第1部はファシズム期の日本がどのような自己像・世界像を形成していたかを探究。第2部は、ナチス・ドイツやイタリアで日本の神道や禅、古事記など古代的文献がどのように評価されていたか。第3部はドイツ、ルーマニア、フランス語圏などでのファシズム期の表象を扱っている。
編者執筆の第1章冒頭で、戊辰戦争で自決した白虎隊が眠る飯盛山に、イタリアのムッソリーニが1928年に贈った、ファシスタ党のシンボルである鷲を戴くモニュメントが紹介され、白虎隊が注目された背景として、ナチスの親衛隊(SS)など、ファシズム期における「男性結社」の重視とその民族固有の起源への関心、神話学の興隆など日本との共通点が指摘されるなど、刺激的な内容に満ちている。

 さらには、この時代に発展した宗教研究の諸学問、宗教民族学や神話学などが、ファシズムの恩恵を受け、その発展に加担し、その刻印を現在まで消せないでいることを明らかにした点にもある。編者もいみじくも記している。「日本の神話学は、ファシズム期という時代の影響はあまり受けなかった・・・と思っていたが、実際は違った。戦前から戦後にかけて活躍した松村武雄や松本信広、三品彰英、岡正雄など昭和を代表する研究者たちは、1930年代以降、時局を意識し、植民地主義に益するような神話研究を目指し、邁進していたのである」(269頁)。
 宗教学をかじり始めた頃、基礎文献として読み込んだ宇野円空『宗教民族学』などの「民族」の発見と強調が、また日本民族学会(1934年、後に日本文化人類学会)や日本宗教学会(1930年)の成立も、「日本型ファシズム」の生成に深く結びついていたことを明らかにした第2章(鈴木)、晩年はシカゴ大学教授として現象学的宗教学ともいえる学派を形成したミルチャ・エリアーデも、1940年代のファシズム国家で文化参事官を務めていたなど、ルーマニアのファシズム期を扱った第8章(新免)も、なかなか衝撃的である。

 また比較研究の重要性をも、本書は目の当たりにしてくれる。日本で明治政府の樹立に際して、1867年に出された大号令が「王政復古」であり、それは「諸事神武創業の始に」基づいて国を造り、運営すると宣言したことはよく知られている。日本の近代は、まさに「古代的なるもの」を「聖なるもの」とし、そこへの回帰から始まった。
 イタリアとドイツ圏、フランスのファシズム期における神話学の比較を整理した第11章(松村)が参考になるが、イタリアでもこの時期に注目されていたのは、古代ローマだった。ムッソリーニが1919年に「戦闘者ファッシ」(ファシスタ党)を結成したが、このFascisはラテン語で「束」とか「包み」を意味する語だが、そもそもは古代ローマの政務官が使用した権威のシンボルであるファスケス(束桿斧)に由来するという。ファシスタ党はこのファスケスを党の標章に使用した。また制服などに鷲の紋章が使われたが、鷲はローマ神話の主神ユピテルのシンボルであり、古代ローマ帝国の象徴である。
 ナチス・ドイツもしかりである。ナチスによるアーリ人神話の創出は有名であるが、古代的な神話的象徴の利用は、古代ローマからギリシャ、さらに古代オリエントにも及び、本書ではナチス・ドイツによるオリエント研究、ファシズム期ドイツの古代イメージの拡がりを明らかにしている。ナチズムも一挙に生まれたのではなく、それを準備した、または萌芽となったドイツ国民主義を生み出したプレファシズム期のフェルキッシュ(volkisch)運動に見いだし、その視覚文化を解明した第9章(深澤)、ナチズム期の古代表象を正面から扱った第10章(久保田)は重厚かつ手堅い論考である。

 本書は長年にわたる科研費による学術研究の成果であり、各章ともそれなりにしっかりした論文であるため、読み通すのに時間がかかった。今後、こうした基礎研究をもとに、ファシズムの形成と影響についての、さらに包括的かつ刺激的な成果を期待したい。
  特に、今後の課題とも言えるが、古代的なるもの・聖なるものとするシンボル操作やそれによる国民統合は、上記ファシズム国家に限ったことではない。革命によっていち早く近代国家を造り上げたとされるフランス共和国においても、自分達こそが古代ギリシャ・ローマの正統な継承者であることを盛んに宣揚し、その最も進歩した「文明」の担い手であると自己正当化を試みていた。そのフランスのナポレオンに侵略されたドイツが民族(Volk)と「文化」の優越性を強調したのは、一種の対抗ナショナリズムの形成でもあった。フランスや英米が「文明」による啓蒙と称して周辺諸国を侵略し、その流れは第二次世界大戦は「野蛮対文明」の闘いだと鼓舞したルーズベルト大統領の宣言にも見いだされ、戦後の「文明の闘争」論にまで展開している。このようなグローバルな政治的文化的、そして宗教的ダイナミズムの過程として、ファシズムの展開を捉えていって欲しいと願っている。
  また、本書の内容は従来の神話学批判、宗教学批判の内容を含んでおり、批判的宗教学とでも言える立場での展開が日本では弱かったので、これを契機に発展してほしいと期待している。
  さらには、イスラム世界との関連が抜けているとも言える。大川周明がスーフィズムへ傾倒していたという論考(第3章)は、それ自体として興味深かったが、イスラム世界とファシズム、全体主義・専制主義というテーマも現代ではありうるわけで、この方面への展開も期待したい。

  いまだ全編を精読したとは言えないが、紹介したい一書なので投稿する。また、このような地味な学術書を出版してくれる北海道大学出版会に改めて敬意を表したい。

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