編著『占領改革と宗教-連合国の対アジア政策と複数の戦後世界-』刊行2022年09月01日

 2022年8月15日は「終戦77周年」ということで、追悼式典など様々な行事や特集番組が組まれた。しかし、8月15日ははたして「終戦の日」なのだろうか?実は、その法的根拠が確定したのは、戦後18年も経過した1963年5月14日に第二次池田勇人内閣が閣議決定した「全国戦没者追悼式実施要項」である。1952年4月28日に講和条約が発効して占領が終了する前後から、「朝日新聞」などメディアが先導する形で「8・15終戦記念日特集」が組まれ始め、やがて左右社会党の再統一と保守合同が実現した1955年に終戦10周年記念として8月15日が大々的に祝賀されるなど、「8・15終戦神話」が次第に形成されていったのである。佐藤卓己はそれを「国民的記憶」がメディアよって再編成された「国民的記憶の55年体制」と呼んでいる 。占領から解放され、朝鮮戦争特需をへた経済成長が見えてきた時代における新たなナショナリズムの勃興と軌を一にして、この終戦神話が強化され定着していき、その結果として63年の閣議決定で確定させたに過ぎない。
 1945年8月15日は、連合国によるポツダム宣言を受諾し、無条件降伏すると昭和天皇が国民に告げた「敗戦告知の日」である。国際法上は、日本降伏の日は、日本本土では東京湾上のミズーリ号上で行われた降伏文書調印式の9月2日であり、沖縄を含む南西諸島は9月7日である。もっとも沖縄戦の正式終了は同年7月2日なので、降伏文書調印式まで二ヶ月以上経っている。かくして日本における「戦後」は少なくとも二つあり、朝鮮半島や台湾などの旧植民地を含めると「複数の戦後」がある。
 このような視点から、前大戦後の日本本土、南西諸島と旧植民地の戦後世界を改めて検証しようと、ここ数年共同研究を進めてきましたが、『占領改革と宗教―連合国の対アジア政策と複数の戦後世界―』(専修大学出版局、2022年9月12日)として発刊した。
https://www.amazon.co.jp/dp/4881253735/

 各執筆者から原稿をいただいて編集作業を開始したのが、2021年夏前でしたが、この一年間に世界と日本を揺るがす大きな出来事が3件も勃発しました。2021年8月のアフガニスタンからの米軍の完全撤退とタリバンによる再支配、本年2月24日に突如開始されたロシアのウクライナ侵攻、そして7月8日の安倍元首相の殺害です。その全てが本書のテーマである「軍事占領と宗教」「国家・政治と宗教」に関連する出来事であることに、驚きを禁じ得ません。アフガニスタンやイラクの占領と民主化は、実は日本占領がモデルになっています。果たして日本占領は成功だったのか、その問題も改めて検証する一助になればと願っています。

以下に本書出版の意義と概要について記します。

一.本書刊行の意義と概要
「占領と宗教」についての宗教学における最も包括的なものは、阿部美哉が主導的に推進した共同研究「連合軍の日本占領と日本宗教に関する基礎的研究」(研究代表・井門富二夫、一九八四‐八七年)である。この成果は井門冨二夫編『占領と日本宗教』(未来社、一九九三年)として公刊されたが、宗教学を基盤とした占領研究および日本宗教制度・日本宗教の変容に関する研究としては、当時は最も包括的かつ体系的な研究であった。

阿部・井門らの研究は、ウッダードの研究と成果である、Woodard, W. P., The Allied Occupation of Japan 1945-1952 and Japanese Religions, E.J. Brill, 1972(邦訳『天皇と神道』(阿部美哉訳、一九八八年)を受けたものでもあった。ウッダードは総司令部情報教育局(SCAP/CIE)宗教課に調査スタッフとして勤務した経験から、総司令部内部の第一次資料にもとづいて人権指令、神道指令、宗教法人令、宗教法人法など主要な宗教政策の成立過程と実施にまつわる諸問題の処理について詳細に検討した。特に「神道指令」における国家神道の廃止と政教分離に関連して、「国体のカルト」の廃絶をめざしたものであって、神社神道を廃止しようとしたのではない等の重要な指摘がなされている。
阿部・井門らは、さらに米国の占領政策の形成過程に踏み込み、神道指令や戦後憲法での政教分離制度が日本宗教に如何なる影響を及ぼしたかを総合的に探求した。大石秀典、渋川謙一、福田繁など占領軍の下で仕事をした官僚の聞書きも収録し、史料的にも貴重な内容であった。その一端を担った中野は、戦争それ自体が、また軍事的占領による異なった文化をもつ敗戦国家の改造が、実は異なった文明間の闘争、また世界観の闘争の側面を持っており、その中核には宗教があることを認識し、収録した論考において、アメリカ合衆国と日本という二国間における宗教的世界の相克が占領政策それ自体に独特な陰翳を与えていることを指摘した。
しかしこの共同研究と出版にはいくつかの欠落点や残された課題があった。それは①「日本」と言っても本土のみであり、「沖縄・南西諸島」に対する目配りがほとんどなかったこと。②「連合国」と言ってもアメリカ中心であり、イギリスやソ連、オーストラリアなどの対日政策、とりわけ天皇制の存続やいわゆる国家神道に対してどのような考え方をしていたのかが検証されていないこと。③日本の旧植民地諸国における「占領と戦後処理」についても視野に入っていないことなどである。本書の編者の一人である中野毅は、この共同研究と出版に分担者および執筆者としてかかわったが、この残された課題にいずれは取り組みたいと願っていた。
その後三〇年近くが経過し、当時は不明だった史資料も多数発見され、公文書アーカイヴのデジタル化、さらにインターネット上での公開など、研究環境も飛躍的に向上した。多くの史料の発掘・発見もあり、新たな占領研究の成果が蓄積され、戦後レジームに対する新たな認識を再構築する必要性が高まってきた。こうした状況をふまえ、この阿部美哉・井門冨二夫らによる研究成果を基盤としつつも、それ以降に発掘・発見された最新の資料を収集し、他地域の占領政策との比較の視点から再検討すること、およびこの研究で残されていた課題を検討することによって、連合国によるに占領において宗教政策がどのように行われたのか、その比重や影響を、様々な地域における事例を通して可能な限り全体的に明らかにしていく必要があった。
日本の敗戦と占領は、さまざまな地域での複数の攻防戦の過程であり、敗戦後における連合軍の占領は日本本土だけではなく、南西諸島における占領、また日本の旧植民地であった台湾、朝鮮半島などの「複数の占領」があった。連合軍の日本占領はこれらの地域での出来事を視野に入れた研究によって、初めて全体的な把握が可能になるといえる。
 このような問題意識をもとに、二〇一四年から二〇一七年にかけて日本学術振興会科学研究費基盤研究の助成をうけて、共同研究「連合国のアジア戦後処理に関する宗教学的研究―海外アーカイヴ調査による再検討」を開始した。本研究において、①ここ三〇年間公開された資料などについて広範なアーカイヴ調査を行ない、アメリカのみならず他の連合国の対日占領政策、とくに宗教に関する戦後処理に関して、新しい資料による再検討を行うこと。②文献資料のみでなく、日本の旧植民地、旧日本軍の戦闘地域での戦時の状況を調べ、戦後処理が実際にどのように行われたか、より実証的な研究を行い、これまでの研究を再検討することをめざしたのである。

全体は三部構成となっている。
第一部「アメリカおよび連合国による占領と戦後処理―日本本土と日本人」では、近年の研究や、新史料、英国公文書館所蔵の英国外務省記録などをもとに、米国および連合国の日本占領をあらためて捉えなおす。
第二部「南西諸島の戦時と戦後」では、南西諸島の歴史的・宗教文化的特性をとらえなおし、歴史的・地理的に特殊な場所であった奄美・沖縄諸島の戦時、占領、戦後における宗教政策等について検討する。
第三部「日本の占領地・旧植民地統治と戦後」では、韓国、台湾、ミクロネシア、インドネシアなど日本によって統治・占領が行われていた地域の日本の宗教政策の実態、そして戦後の状況について考察する。

序論においては、本書刊行にいたった上記の経緯に加え、そもそも前大戦後の日本占領が連合国のいかなる命令と軍事組織によって実施されたのかを簡潔に整理し、日本がドイツのように分割占領される危険性があったこと、「無条件降伏」という概念が、軍事的降伏だけでなく、政治・経済・イデオロギー等にわたる「相手国の内的秩序の全面的再編」を求める「文明の改革」であったことなどを明らかにしている。また所収の各論文の要点と意義を簡潔にまとめてある。
各論文のほか、付論として岡﨑匡史「日本占領と公文書」、粟津賢太「解題―「占領と宗教」研究における一九九〇年代以降の動向」の二論考を収録した。岡﨑論考では、敗戦直後の日本で戦時期の重要史料を精力的に蒐集した米スタンフォード大学フーヴァー研究所の出先機関「東京オフィス」を紹介し、その史料群の重要性を明らかにしている。またフーヴァー研究所をはじめとする米国の日本占領に関連する諸アーカイヴにどのようなコレクションがあるか詳細に紹介している。
粟津賢太「解題」では、研究史の動向をアメリカのアーカイヴや日本の国会図書館、沖縄県公文書館などのアーカイヴから、憲法改正関連、国籍別の差別問題、ジェンダー・女性史関連、慰霊・追悼、国家神道関連など分野別に詳細に分析し、その進展を明らかにした。神道関連ではウッダードの研究が日本人によって歪められた経緯が指摘されている点は重要である。さらに日本の占領方式が、「当該国を軍事的に占領した連合国が排他的な実験を握るとした「イタリア方式」と、ドイツに対する「無条件降伏」「非ナチ化」など当該国の哲学まで破壊する「相手国の内的秩序の全面的再編」を目的とする方式が先例となっていることを明らかにしている。「非ナチ化」という発想は、今世紀のアメリカによるイラク占領では「非バース党化」として提言され、二〇二二年のプーチン・ロシアによるウクライナ侵攻に際して再び使われた。

島田裕巳『性と宗教』(講談社現代新書、2022年1月刊)を読む2022年03月21日

島田裕巳『性と宗教』(講談社現代新書、2022年1月刊)を読む
                                 2022.3.14 中野毅

 宗教に関連する様々な領域において、旺盛な執筆活動を続けている島田裕巳氏であるが、古くから問題とされてきたにもかかわらず、何となく躊躇されてきた印象のある「性と宗教」について正面から切り込んだ一書を刊行したので読んでみた。

 ここでの性とは、文化的社会的に形成された性差としてのジェンダーはなく、行為としてのセックスであり、生物学的な性です。なぜ、それが問題となるかといえば、仏教では「不邪淫戒」を説き、妻帯しない出家(妻帯が常態化している日本は特殊)を尊重し、キリスト教ではカトリックの聖職者独身制などが知られていて、宗教では「禁欲」、すなわち性的欲望を抑えることが望ましいと宗教一般に考えられているという印象があるからである。その一方では、宗教界における性をめぐるスキャンダルが絶えない。それは何故なのか、宗教的規制が不十分なのか、もはや時代にそぐわないのかなど興味が尽きないテーマではある。

 本書では世界の主要な宗教、すなわちユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教、仏教、ヒンドゥー教、神道などを取りあげ、性的欲望をどのように規制しているかを比較しながら解説している。新書ながら、この大きな問題を包括的に捉えた点で、なかなか意欲的であり、傑作と言える。以下、筆者が関心を抱いた点を中心に紹介する。

第1章は「なぜ人間は宗教に目覚めるのか」と題して、人間が宗教によって禁欲を命じられているのは、性欲をもち、かつ他の動物が年に一度の繁殖期に性行為をし、子孫を残すのに対し、人間は一年中性欲をもようし、性行為を行う動物であることを出発点においている。この事は筆者も重要だと常々考えている。
 また人間が言語を発達させたことが、現実に存在しないものまで概念化し、その言葉が独り歩きを始め、神や仏など超越的存在を実在するかのような世界を生み出した。
 宗教心理学のジェームス、スターバックの研究から思春期に宗教的回心が起こることに注目しているが、それは主としてアメリカにおける福音主義キリスト教においてであること、日本やイスラム世界にはあり得ないとしている。
 本書のよさは、性についての態度を主要な宗教を比較しながら検討しているので、普段、比較宗教学などを教えていても見逃してしまう事を気づかせる点にある。その最たる事が、性を否定的に捉え、禁欲を是とするのはキリスト教と仏教の一部のみであるという事実である。宗教はおしなべて禁欲を説くものと思い込んでいたことが、誤りだと気づかされた。

第2章で主にキリスト教が性を否定的に捉える理由を解説している。それは「原罪」の考えがあるからで、その発想は同じ一神教でも、母体となったユダヤ教、そしてユダヤ教の影響を強く受けて成立したイスラム教にはない。しかもイエスの福音書とされるものやパウロの書簡にもなく、つまり初期キリスト教にもその発想はなかった。原罪論を強調するようになったのは、教父アウグスティヌス(354-430)の影響だという。彼はもとはマニ教徒だったが、愛欲生活に溺れた末にキリスト教に改宗し、原罪を強調するようになったという。人間は誰もが生まれながらにして罪を負っている。人は罪人であり、あるいは必ず罪をおかす存在だという原罪論は、自己を反省する契機にもなるが、人間性を否定することでもある。そのような原罪の教義が公式の教義になったのはAD529年のオランジュ公会議においてであり、イエスが死んでから約500年も後のことである(56頁)。その背景には、初期キリスト教には「イエス(神)の再臨」は間近く、この世の悪が裁かれる「最後の審判」が行われるという観念が強かったが、いつまで経っても神は再臨しなかった。そこで教会の存在意義を強調するため「原罪」を強調し、それを許す「贖罪」の権能を唯一保有していることを「七つの秘蹟」の保持者=キリスト教会であると宣言し、存在意義を示したのである。
 従って、その後は「贖罪」のための行為が重視され、十字軍への参加も贖罪のためとされ、また現在まで続いているカトリック教会における「告解」もそのためである。

 第3章、第4章では主に仏教を扱い、3章は戒律の復興運動に力を入れ、真言律宗の事実上の開祖として知られる叡尊(1201-90)が、実は「破戒僧」の子だったことから筆を進め、仏教は出家者を主たる担い手としているため五戒を基本に具足戒として細かい禁欲的戒律が定められており、日本でも「僧尼令」(養老2,718年)で僧坊に異性を止めることを禁止したが、日本仏教界では破戒が広く行われていたことを描いている。
 4章では原始仏典に遡り、スッタニパータに不殺生戒、不邪淫戒、不飲食戒など五戒が説かれているが、その理由はさほど明示されていない。それは釈迦以前のバラモンからの伝統でもあったためでもあろうが、仏教において「愛欲が人間苦の根本」であり、仏教教団における戒律制定の嚆矢をなすものはこの淫戒である等の説を紹介している。また仏教と並んで発展したジャイナ教においては不殺生戒と不邪淫戒が強く結びつき、妻との性交も女性器にいる微生物、細菌を殺す恐れがあるとして禁じる主張があるなど、その徹底ぶりには驚愕する(110-114頁)。

 しかし、このような傾向が宗教一般に見られるわけではないと主張するのが本書の特徴でもある。第5章では性行為に価値をおく宗教として道教をあげ、エリアーデの論を活用しながら房中術を解説し、それら性の技法がインドの左道タントリズムが開発したヨーガの影響を受けていると指摘している(123頁)。この左道タントリズムがヒンドゥーのシヴァ派の一派で性力(シャクティ)を重視しており、オーム真理教が説いた「クンダリーニの覚醒」へとつながっていくことも明らかにした。
 後半では、仏教における密教も性の快楽を肯定しているものとして説明し、中でも『理趣経』において性的欲望を全面的に肯定し、むしろ完全に清らかなものとされているという(131頁)。そしてこの理趣経を日本にもたらしたのが空海であり、最澄が貸して欲しいと求めたのに空海は断ったが、それは余りに過激な内容だったからだろうと興味深い説を述べている(132頁)。
 総じて、密教は顕教における禁欲的修行では真の悟りには達し得ないとして、顕教の考え方を完全に覆す方法による悟りをめざした宗教であるという。

 第6章でイスラムについて詳細の論じ、ユダヤ・キリスト教とならぶ一神教であるが、むしろユダヤ教の影響が強く、ユダヤの律法に似てイスラム法が重視され、原罪の教えはない。衆知のことだが創唱者ムハンマドは俗人であり、神の教えを広める預言者という位置づけであること、彼が神から受けた啓示がコーランに纏められ、彼の命令や生活における教えはスンナとしてイスラム教徒の生活において重要な意味を持つことなど整理されている。面白いのはムハンマドが性欲旺盛で9人の妻を持って、一晩で全てと交わったとか、性行為そのものについてタブーは見られないこと、ただ性交の後には精液が残っていないように「浄め」てから礼拝することなど、神の前での清浄が求められたことなどが指摘されている。
 信者がなすべき信仰告白や礼拝、断食、喜捨、巡礼の5つの宗教行為(5行)が定められているが、それらを実行すればキリスト教のように自らの罪深さを自覚することも求められないし、仏教のように煩悩を自覚する必要もない。

 第7章は日本仏教でも性を否定しない宗派として親鸞と浄土真宗の発展を取りあげている。親鸞について島田氏は『親鸞と聖徳太子』(角川新書)を書いている。結局、親鸞が妻帯した理由を本人は何処にもしるしてなく、聖徳太子から授かったとされる「女犯偈」も歴史的事実としての信憑性は弱い。ともかく事実として親鸞は女犯をし、恵信尼と結婚したことは、彼女の日記から明らかであり、公然と妻帯する親鸞の生き方が、後の真宗の発展に決定的な影響をあたえたとする。典型的なのが蓮如であり、死別によるのだが5回結婚し、13人の男子と14人の女子を儲け、このうち早逝したのは2人だけだった。蓮如が最後に子供をもうけたのは亡くなる前年に83歳の時だったというから驚きである。そして、これら男子は寺の開基となり、女子は寺などに嫁いで真宗のネットワークを拡げる上で大きく貢献したのが、浄土真宗発展の一大要因としたのは興味深い。かくして全国に門徒を拡げ、多くの寄進を集めて膨大な財力と権力を獲得していったことが、江戸時代においても僧侶妻帯が許された要因のようだ。

 第8章は中世に仏教と習合した神道では、性の問題はどう扱われるか検討している。何より面白かったのは冒頭で、日本の民俗学の泰斗たちの性への関係でした。柳田は性についてはまったく触れず、南方熊楠は強い関心をもち、少年と同辱した経験をもつという。折口信夫は同性愛者だった。
その折口が執筆した代表的論文に「大嘗祭の本義」(1930年)がある。天皇が代替わりをする最重要な儀式である大嘗祭の諸儀礼のなかで悠紀殿と主基殿に敷かれている褥に注目し、そこで天皇霊と性行為を行うと解釈したのである。筆者は単純に、そこにおいて天照大神と交わるという象徴的な行為を想像していたが、折口の説ではもっと生々しく、かつ男色ともとれる行為を考えていたのではないかというスキャンダラスな説を展開している(208頁)。そのほか古事記や本居宣長、平田篤胤などの解釈、源氏物語などをあげながら、日本の神道や伝統文化には性を抑圧しようという発想は認められないとしている。

 第9章は「なぜ処女は神聖視されるのか」というタイトルで、キリスト教を再び取りあげ、処女マリアのイエス・キリストの受胎ほどスキャンダラスで問題を多く含むテーマはないと論じている。初期キリスト教や福音書などではマリアのことは余り深く触れられていないが、アウグスティヌスの影響で「原罪」論が6世紀に公式の教義となったため、マリア、およびその受胎を教義上どのように扱うかが次第に問題となった。そしてマリアの受胎を「無原罪の御宿り」、すなわち神がマリアに宿った瞬間からマリアは全ての罪から免れた「無原罪」の存在になったとする説が誕生した。それは9世紀フランスのコルビー修道院長ラドベルトウスから始まり、12世紀のイングランドの神学者エアドルメルスは神学的に裏付けようとした。しかし、この「無原罪の御宿り」がカトリック教会の正式の教義になったのはかなり後の教皇ピウス9世の回勅(1854年)によってであり、その背景に19世紀のマリア崇拝ブームがあるという。筆者としては、このマリア崇拝ブームが何故起こったのかに、特に興味をもった。
 他方、イスラム教には原罪の観念はなく、性に対する禁忌はないが、ムハンマドは処女との結婚をより好ましいものとしていたこと、さらに2001年の同時多発テロの首謀者であったウサーマ・ブン・ラーディンが出したジハード宣言で「殉教者たちは天国に召され、72人の純粋なる楽園の処女たちと結婚できる」という一節を取りあげ、イスラム教でも処女を高く評価していること、処女への憧れが殉教としてのテロ行為まで引き起こした可能性も指摘している(後者への疑問は残るが)。しかし、イスラムでは特定の処女を聖人化したり崇拝することはない。
では何故、キリスト教ではマリア崇拝が起こったのか?島田氏は、イスラム教では神の慈悲深さが強調され、あらゆることを許してくれる存在だと繰り返し説かれるが、キリスト教の神やイエスは到底慈悲深いようには見えない。そこで登場したのがマリアだ。福音書ではほとんど語られていない彼女が、やがて聖母子像などのように彫刻や絵画で幼子イエスを抱く、優しく慈悲深い存在としてクローズアップされたのだという。こうしてイエスは後景に退いて「暇な神」(エリアーデ)になり、「父なる神、神の子イエス、母マリア」という新たな三位一体が形成されることになり、そのためにはマリアが処女であり、原罪を免れていることが重要だったという(243頁)。

 おわりにでは、全体の簡単な整理をした上で、「宗教は本質的に男性中心主義」であり、仏教は約2500年前、キリスト教は2000年前、新しいイスラム教でも1400年前に誕生したものである、それらの宗教と性の関係は現代にそぐわなくなったと指摘している。また人間の特異な性のあり方が、宗教という人間特有のものを生みだし、その力で性をコントロールしてきた。しかし現代での性のあり方は宗教がコントロールできなくなっている。性と切り離された宗教は、綺麗事になるだろうが、本質的なものではなくなっていくと結んでいる。

 新書なので簡単に紹介しておこうと思ったが、大きなテーマであり、各章の内容も極めて興味深いので予定以上に長くなった。しかし、要点や私が関心をもった点は整理できた。
 本書で特に注目したのは、性と宗教を論じる際に、人間の生物学的特徴として指摘される「性欲が一年中あり、常に性交が可能な点で他の動物とは大きく異なる」という事実、また言語の獲得が宗教の誕生に決定的な意義をもっているなどの指摘から始まっている点である。これらは評者(中野)が大学院時代に故・井門富二夫先生から教えられたアルノルト・ゲーレンの哲学的人間学、またその後の進化生物学などで展開された論であり、私も幾つか論考を書いている。関心のある方は以下を参照して欲しい。

1. 中野毅「人類進化と文化の形成 ─現代人間学考2─」『創価人間学論集』第4号、2011年3月、27-55頁。
https://soka.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=36531&item_no=1&page_id=13&block_id=68

2. 中野毅「進化生物学・認知科学の発展と宗教文化―人間学考3―」同前、第7号、2014年3月、1-22頁。
https://soka.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=36543&item_no=1&page_id=13&block_id=68

3. 「学術動向:宗教の起源・再考―近年の進化生物学と脳科学の成果から―」2014.3.4『現代宗教2014』)(公財)国際宗教研究所、251-285頁。http://www.iisr.jp/journal/journal2014/ 
(1、2の論文を簡潔に整理したもの)

 ゲーレンの主張は、人間以外の動物は特定の自然環境に身体的に適応しながら生きているが、人間は生物形態学から見れば、むしろ一定の自然環境に適応する上で必要な特殊器官(体毛や甲殻などの保護器官や牙などの攻撃器官等々)が欠けており、動物一般に見られる機械的な適応本能が欠けていると考えざるを得ない。その意味では人間はヘルダーの言うように本能の機能としては「欠陥生物」であるという。その代わりに、人間の頭脳は特殊化の極限に達しており、人間は頭脳を駆使して、未来を予見し、計画に基づいて現実を変化させる「行為」を遂行することができる。この「意識的な」行為によって、変化させられた、ないしは新たに作られた事実と、それに必要な手段との総体が「文化」である。人間は行為によって自然環境を変化させ、人為的に「形成された自然」圏、すなわち文化圏の中に生きるのである(ゲーレン, アルノルト, 1999年『人間学の探求』紀伊國屋書店、復刊版(1970年邦訳初版)、32, 36-38, 91,125頁)。
 その本能的欠陥動物としての最たる特徴が、常に性欲をもようし性行為を行う事である。そのため人口も爆発的に増加し、いまや全地球を覆うまでになった。この旺盛な性欲をコントロールするため様々な婚姻規制や親族構造を構築していったといえる。
 また「言語の発達」も人間文化の大きな特徴であり、言語によって情報や知識、智惠の伝達、蓄積、世代間の継承が可能になり、今日の複雑で巨大かつ多様な文化構造を生みだしていった。またその言語によって現実には実在しない神や仏などの超自然的なものをさす言語がうまれ、それが「言霊」などとして一人歩きしだすのも人間文化の特徴である。その意味で宗教は人間文化の典型的なものであり、人間の誕生とともに宗教も誕生したと言われる所以である。
  本書では、新書の限度を越えるからだろうが、このような理論的背景については語っていない。しかしそれらを前提にしつつ、「性」のコントールを宗教が担ったという視点で書かれている。宗教の一つの機能として、それは十分に言える。ただ、それならば、「禁欲」を表だって強調しないイスラム教やユダヤ教、その他も何らかの性的規制を行っているはずであり、それらの分析はまだ十分とは言えない。
 細かい点では疑問に思う点もいくつかある。例えば「イスラム教には、・・・独身の聖職者はまったく存在していません(97頁)」のような雑な既述も散見する。そもそもイスラム教には聖職者はいない。またイスラムが一般に性に開放的なので、過激な行動を促す方向に作用している(246頁)とは単純に言えない。また死海文書の研究からマリアによるイエス受胎は正式な結婚の前であったとか、イエスは毒殺されたのであり、磔刑は単なる見せしめであって、実際に生き返ったなどと実に興味深い研究をしたバーバラ・スィーリング『イエスのミステリー』(NHK出版、1993年)などに評者はいたく感心したが、これらイエス研究やキリスト教史についての先端に必ずしも触れていない点、学問的方法論が不明など疑問点や不満はあるが、それらは今後、専門家の諸氏からのコメントを待ちたいところではある。
 しかし冒頭にも記したように、諸宗教に関する該博な知識をもとにして、「性と宗教」について新書版にまとめ上げた島田裕巳氏の学力筆力に改めて感銘した。普段は見逃していた問題点を気づかせてくださり、本書はまことに有益であった。

(この書評の全文pdfは下記からダウンロード出来ます。

https://drive.google.com/file/d/1xpN475eI6500bCbFWAEysaOWUV5sG66d/view?usp=sharing

南原繁研究会編『今、南原繁を読む―国家と宗教とをめぐって―』(横濱大氣堂、2020年6月20日)を読む2020年09月21日

  本書は2019年11月2日(土)、神田学士会館にて開催された第16回南原繁研究会シンポジウム「今 南原繁を読む―生誕130年に寄せて―」における講演、パネル・ディスカッションを収録したものであり、講演者はイスラム学者の板垣雄三氏、宗教学者の島薗進氏、ディスカッタントには伊藤貴雄、宮崎文彦、晏可佳の各氏ほかが登壇している。

発刊直後にご恵贈いただき、部分的には目を通していたが、ここ数年進めている共同研究【「占領と日本宗教」再考―連合国のアジア戦後処理と宗教についての再検討―(仮)】の共編著出版のための原稿を仕上げるにあたり、全体を把握したいと読破した。いやはや、その内容は痛烈で濃く、久しぶりに感動したので、お礼もかねてご紹介したい。

  南原繁(1889-1974)は、ご承知のように香川県で生まれ、1907年に第一高等学校に入学、1914年に東京帝国大学を卒業して内務省に入るが、1921年には東京帝国大学に戻って法学部助教授、その後、教授を経て、敗戦後の1945年12月に東京帝国大学総長に就任し、戦後の教育改革、新憲法の審議や講和問題などで戦後日本の建設に大きな貢献をした人物です。1945年前半の法学部長時代には、高木八尺氏らと英米を介した終戦工作にも携わり(本書136頁~にも詳述)、「天皇の聖断」による戦争終結を主張したのも南原だったと言われています。
 思想的には、一高時代の校長だった新渡戸稲造から大きな感化を受け、内村鑑三との親交によって無教会派クリスチャンとしてリベラルな論陣をはりました。フィヒテなどドイツ理想主義の研究を基礎に政治についての哲学的研究を進め、日本の「国体」の疑似宗教性を批判し、その成果を『国家と宗教』(1942年)にまとめました。
かの丸山真男も彼の弟子になるのですが、この南原繁を学問や思想、人生の師と仰ぐ方々によって、南原繁研究会は組織され、長年にわたって研究会やシンポジウム、出版を重ねてきた。それだけも敬意を覚えるが、この種の会がおおむね顕彰や賛嘆する類いのものが多い中で、南原の仕事、思索を内在的に捉え直すと共に、批判的学問的な検証も行うことにもやぶさかではないことが、本書によって示されている点においても、重ねて敬意を表したい。

  講師二人の批判的検証はなかなか読み応えがあります。

講演1.板垣雄三氏は、南原が改革した新制東京大学の第一期生で、その後も30年以上東大で教え続けたイスラム学者であります。彼はキリスト教とイスラムの歴史と競合、教理的展開に詳しい立場から、南原の『国家と宗教』を読み直し、彼のヨーロッパ精神史の捉え方がプラトン/アウグスティヌス/トマス/ルター/カント/ヘーゲル/ニーチェの系譜からマルクス主義とナチズムを位置づけ、日本国家・民族の針路を考究するという、現代からすると余りに狭い西欧中心主義の視点に捕らわれている点、イスラム文明との関係性抜きにキリスト教や欧米社会文化の発展を理解できない点、また南原のキリスト教の理解もその多様性やユダヤ教などへの顧慮がまったく欠落している点などを驚くほど鋭く批判しています。
 板垣氏の批判は、現在の学的レベルからは当然ですが、それだけでなく、当時すでに進展していた研究への目配りが足りなかったと、内在的批判になっているのが凄い点でした。

講演2.島薗進の「南原繁・無教会・国家神道」も鋭く、驚愕の事実を指摘しています。敗戦当時の日本の指導層が「教育勅語」の廃止に消極的であり、その影響で「政教分離」を指令し、国家神道の廃絶を命じた「神道指令」からも外されたことは周知のことだが、南原も例外ではなく、教育勅語は天地の公道を示したものと肯定的にとらえていた。それにとどまらず、彼は神権的国体論と神聖天皇崇敬もほぼ当時の政府見解に即して受容して、さほどの批判もしていなかった。「玉音放送」を聞いた南原は天皇の心情を思って落涙したとか、「天長節」を祝う演説で、一系の皇室を上に抱く日本が遠き昔から聖別して、天皇の「宝寿の無窮」を祝う日と述べるなど、神権的国体論を無批判に受け入れていたようです。
 新憲法の改正に対しても、南原は批判的で、それは余りにも西洋的であり、日本の統治権の独自性は、「日本古来から伝わり、今日に至るまで守られてきました、いわゆる神勅にある」(40頁)と論じ、「肇国以来」、神勅に由来する天皇の地位を尊ぶ国体が存在し続けたという認識をもっていた。国家が始まって以来、一度も変わっていない国体が日本の民族的共同性の核にあるものだというのです。従って、憲法改正によって西洋的な民主国家になるのは行き過ぎで、君民同治の日本民族共同体を形成すべきだという論を展開していたようです。そこには神聖天皇崇拝や神権的国体論が明治維新以降に造られたものという認識はうかがえません。西洋思想に依拠し、近代人としての自律・自由を尊ぶ政治理論を構築してきたはずの南原が、ここまで神権的国体論の立場を深く受け入れてきたのかと驚くような論の展開だと、島薗進氏は指摘しています(42頁)。

 そのほか興味深い諸氏の議論が満載です が、もう一つだけ紹介しますと、加藤節「南原繁と丸山真男」(174~184頁)です。丸山真男が南原の弟子筋にあたることは既に記しましたが、加藤氏によると、丸山の思想と学問は南原の対極、もしくは否定性のうえにあるという、これも刺激的な報告でした。南原が政治は「文化創造の業」の一つであり、教育や芸術と並ぶ一つの固有の領域と捉えるのに対し、丸山はそれは「暴力」や「支配階級の搾取の道具」というネガティブなもので、人間活動の諸領域に亘って働く力と考えていました。ファシズムへの批判では共通していましたが、南原は個人を超越すると共に「神の国」に連なり、「世界主義」に結びつく民族共同体の確立に賭けたのに対し、丸山は民族や国家に先立つ主体的な近代的個人の可能性を探究しつづけていました。その延長に、自由な個人の人格を重視する視点から天皇制を否定し、天皇の政治的責任を曖昧にすることを拒否した丸山の態度は、天皇制を容認し、その戦争責任を道徳的な問題に限定した南原とは、決定的に離反しているという(182頁)。そのほかの面も含め、両者の大きな差異を明確に論じた加藤氏の論もまた、熟読をお薦めする報告でした。
 ちなみに本書の文脈とは無関係ですが、加藤節氏は成蹊大学名誉教授で、安倍晋三・前総理の学生時代の恩師だった方です。勉強をしない落第学生だと厳しく指摘していたことは、よく知られることになりました(笑)。


  さて、そもそも筆者が南原に感心をもったきっかけは、「人間革命」という考え方や発想を戦後最初に表明した人物が南原繁だったからであり、その点について長年研究している伊藤貴雄・創価大学文学部教授が、本シンポジウムに登壇し、その報告を「民主主義を支えるもの―南原繁と「精神革命」「人間革命」の理念―」として寄せています。このテーマについての伊藤氏の早い時期での指摘は、論文「第4 回入学式講演『創造的生命の開花を』とその歴史的背景」(『創価教育』第7号、2014年3、63~76頁、特に73~74頁参照)でした。これらをもとに学んで言えることは、次のような点です(以下、論文用に書いた文章ですので、文体が変わります)。

「人間革命」という用語は、敗戦後の一九四五年一二月に東京帝国大学総長に就任した南原繁によって頻繁に語られ、当時の流行語になっていた。南原は日本が全体主義国家に成り果て、無謀な戦争に突入して破綻したのは、軍閥や一部官僚・政治家の無知と野心によるとしながらも、それらを許したのは「自律と自由」な精神を失って迎合した知識人や国民の「内的欠陥」にあると捉え、戦後における真の民主主義実現のためには日本国民の精神的変革が不可欠であることを敗戦直後から主張した。総長就任後の一九四六年一月一日のラジオ放送「学生に興ふる言葉」一九四六年一月一日)では、戦後の改革には「社会的革命と相並んで、或いは寧ろその前提として人間の革命でなければならぬ。人間の革命―わが国民の精神革命―はいかにして可能であるのか」という問題提起のもとで語った。また一九四七年九月三〇日の卒業式演述「人間革命と第二産業革命」では、人間そのものの革命、すなわち「人間革命」なくしては民主的政治革命も社会的経済革命も空虚となり、失敗に終わると警鐘を鳴らしたのである。

それに刺激されてか、一九四六年の夏頃には日本では「人間革命」を当時の知識人やメディアがこぞって主張しはじた。哲学者・柳田謙十郎や政治学者・中村哲、経済学者・高島義哉のほか、田中美知太郎、清水幾太郎、下村寅太郎、片山正直、恒藤恭、長田新、出口勇蔵)、片山敏彦、新明正道、甘粕石介、 羽仁五郎などである。しかし、一九五〇年代に入ると論壇ではマルクス主義が優勢となりはじめ、時代状況として朝鮮戦争の勃発と警察予備隊の創設、サンフランシスコ講和条約、レッドパージなどを背景に、「人間革命」論は迂遠な主張として顧みられなくなった。
また南原が説く「精神革命」「人間革命」論には、彼が内村鑑三の無教会派クリスチャンであったからであろうが、人間の内面を自省的に突き止めていくことで、人間を越えた超主観的な絶対精神―「神の発見」と、それによる自己克服が必要だと説くように、キリスト教における宗教革命がもたらしたプロテスタント的宗教性によって実現すると考えていた。先の島薗講演はこの点を鋭く摘出し、その一方で南原の国体論や天皇観が明治以来の政府による創作であるにもかかわらず、それを戦後も無批判に受容していたことを明らかにした。
ここに南原の人間革命論の特徴、または限界があったとも言えるが、興味深い点は、日蓮信仰、日蓮主義と結びつけて、日蓮主義による人間革命、社会革命をめざす戦後初の宗教政党「日蓮党」を新妻清一郎なる人物が結成し、その政治理念として唱えられていたことである。この政党はあっという間に消えてしまったが、日蓮信仰と人間革命論を結戦後最初に結び付けた事例である。その後、創価学会第二代会長・戸田城聖は創刊した宗教雑誌『大白蓮華』第二号(一九四九年八月一〇日)の巻頭言において、「かつて、東大の南原総長は、人間革命の必要を説いて、世人の注目をあびたのであったが、われわれも、また、人間革命の必要を痛感する」と語り、自身の小説や教団の中心思想として展開し、今日では海外の創価学会インターナショナルによって世界的に広がったことは、さらに興味深い出来事である。