沖縄考201412 (3)沖縄県護国神社2014年12月27日

沖縄考2014.12(3)沖縄護国神社  那覇市奥武山44番地

                         2014年12月27日訪問

 12月27日(土)午前9:30に、今回の訪沖で最も関心を持っていた沖縄護国神社を訪れた。謂うまでもなく、沖縄県護国神社は、県出身の陸海軍軍人軍属にして戦死者または戦病死者、公務に起因した死去者にして、東京の別格官幣社・靖国神社に合祀された祭神を慰霊宣揚するために、昭和15年7月1日創立許可を得、同日、明治27年勅令第22号第1条第1項の規定により沖縄県護国神社と指定されたことに始まる神社である。琉球八社など他の沖縄の神社とは大きく性格を異にしている。この神社が米占領期および本土復帰時にどのとうな対応を迫られて今日に至っているかを知りたいと考えて訪問した。
 応対してくださった宮司・加治順人氏からは、同じく多忙な中を極めて貴重なお話を伺えたのみでなく、貴重な史料『沖縄県護国神社のあゆみ』(平成12年3月27日発刊)を寄贈していただいた。重ねて深謝申し上げます。加治宮司はかつて皇學館大學の専攻科で白山芳雄教授のもとに学び、神職の資格をとった方であり、白山氏は彼を「弟子」とまで呼んでいる。
 今回の訪問で、本神社が他県の護国神社と重要な点で異なる独自性を持っていることが分かった。その第一は、祭神である。靖国および「県の靖国」とも呼ばれる各県の護国神社は、明治時代に招魂社と称した時以来、日本帝国軍人・軍属の戦没者を英霊として祀ってきた。沖縄県護国神社も戦前は同じであったが、昭和20年前半の凄烈な米軍との地上戦で護国神社の社殿等も焼失したが、昭和34年の仮社殿復旧後の祭神合祀で沖縄出身の軍人軍属の戦没者、および他県出身の戦没者を、さらに昭和40年の秋季例大祭では本大戦で犠牲となった沖縄出身一般住民、遭難学童および文官関係戦没者のすべてを祀ったのである。加治宮司も、「平和の礎」のように外国人の慰霊まではしていないが、一般住民の犠牲者を祀っている点が、本神社の特徴であると強調されていた。こうした方向性があったからこそ、社殿復興にあたって、有名な「学童1セント募金」に象徴されるような沖縄住民の幅広い支持を受けることができたのかと理解することができた。 
 第二は、宗教法人としての特徴である。沖縄県護国神社は本土復帰後に日本の宗教法人法の下で「単立宗教法人」となった。つまり他県の護国神社の大半は包括宗教法人「神社本庁」の「被包括法人」となったが、沖縄と京都府の護国神社のみが、独立した各県所轄の「単立宗教法人」となって、現在に至っている。この事実も、ほとんど知られていない。その理由として挙げられたのは、前述の祭神にも明らかなように、単なる護国神社ではなく、すべての戦没者の「慰霊の施設」としての独自性を保ちたかったことにあるという。
 宗教法人としてもう一つの特質は、法人の代表役員に他の神社では神職が就任しているが、本護国神社の代表役員は一般人がなっており、昭和48年12月18日に屋良朝苗沖縄県知事から認証を受けた「沖縄県護国神社」の初代代表役員は具志堅宗精氏である。神職は11人の責任役員の一人として登録され、加治現宮司の父・加治順正氏が事務局長として責任役員の一人となっている。これらの責任役員によって理事会が構成され、代表役員は会長と呼称し、神職は常務理事となる。
 このような役員体制は日本の宗教界においては独特の形態であり、キリスト教の長老派教会に類似した形態である。神職は理事会によって雇われることになる。この点においても、沖縄護国神社は神職・宮司中心のいわゆる神社ではなく、一般の、または「県の」慰霊施設でありたいという意思が垣間見える。

 沖縄県護国神社の復興の歴史は、複雑であった。本土防衛のための凄惨な地上戦での敗北、その後27年間の米統治下においても「宗教団体法」が存続したことにより、各神社は法人格を与えられることもなく不安定なままに放置された。昭和30年代に入って本土の靖国神社国家護持運動の展開に応じる形で、沖縄でも護国神社復興をめざす動きが起こり、昭和32年10月16日「靖国神社奉賛会沖縄地方本部」が結成された。昭和34年12月23日に、それは「沖縄戦没者慰霊奉賛会」と改称し、翌年には財団法人として許可を受けた。その翼賛会の目的の一つに「護国神社の造営」を盛り込んだが、琉球政府から宗教目的は法的にそぐわないという指導があったようで、それを受けて、昭和36年8月28日「沖縄県護国神社復興期成会」という社団法人を別に組織して、護国神社の復興を期すこととなった。
 加治順正氏は、琉球政府の職員として当初の慰霊奉賛会に派遣されたが、その後、神社復興期成会の事務局長として、また復帰後の宗教法人・護国神社の責任役員兼事務局長として、神社再建・復興に長年わたって尽力された。
 以上、伺った話を中心に紹介と記録メモとして記した。今後、さらに精査していきたい(続)。

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