安部昭惠という人2017年03月07日

 『文藝春秋』3月号のインタビュー記事「安倍昭恵『家庭内野党』の真実」(石井妙子)を読んだ。安倍首相の夫人でありながら、東北大震災後の防潮堤問題に異を唱えたり、近頃は沖縄・高江でのオスプレイ用ヘリパッド建設反対運動にでかけたりと、一見、リベラルで安倍政権の方針に反対するような行動をとって話題になっている昭恵氏という人物に、以前から何となく違和感を感じ、本当にリベラルなのか、夫と反対の価値観の持ち主なのか、そんなことが夫婦間で可能なのか等々、疑問に思っていた。
 それを深く考える機会もなかったが、2017年初頭から浮上してきた森友学園問題を巡る数々のニュースの中で、母体となる塚本幼稚園で園児に「教育勅語」を朗唱させるなどの国粋主義的教育、体罰教育が行われていたことなどが明らかになってきた。このような教育に感銘を受けて学園の名誉総裁に就任していたことが判明し、加えて国会で追求され始めると名誉総裁を突如辞任するなど、どうも尋常ではないと感じることが増えてきた。
 そのような時に、このインタビュー記事が話題となり、読み終わって得心したことが多かった。以下、私の興味をひいた点を中心に記しておく(以下、敬称略)。
 生い立ちは次の通り。生家は森永製菓の創業家。菓子職人の森永太一郎とビジネスマンの松崎半三郎が手を組んで森永製菓がうまれ発展したが、この両創業者の孫が結婚して生まれたのが昭恵(1962年・昭和37年)である。幼稚園から私立の聖心女子学園に進み、高校まです進むが成績は振るわなかったこともあって、四年制の大学ではなく二年制の聖心女子専門学校に進学し、1983年に大手広告会社・電通に就職した。電通の上司から、当時、安倍晋太郎の秘書をしていた安倍晋三を紹介されて結婚した。
 この経歴は、それ自体として興味深い。日本経済が右肩上がりの中で幼少期を過ごし、バブル期に大手会社の社員として都会の「お嬢様」を満喫していたようだ。さらに聖心女子学院というカトリック系のミッションスクールで学び、信仰心については分からないがキリスト教についての知識や精神のなにがしかは学んだはずである。聖心女子学院の卒業生には美智子皇后や作家の曽野綾子がいる。聖心関連の人脈が昭恵に影響を与えたことはいうまでもないだろう。特に曽野とは交流も深め、カンボジアの地雷除去の現場を訪れている。
 彼女の人生で大きな転機になったのは、2007年に安倍が突然首相を辞任した時期で、人生の「どん底」を経験したという。その後、自分なりの人生を歩こうと考えたらしく、居酒屋UZUを開いたり、立教大学大学院21世紀デザイン研究科に入学(2009年)して2年間学んだという。初めて人と議論する経験をし、。「自分の意見」がないことに気づいたという。
 インタビュアーが注目したは、同時期の2007年秋頃から「出雲大社」を皮切りに、いろいろな神社を巡りはじめ、その過程でスピリチュアルカウンセラーや神道関係者、ニューエイジ系の自然主義者との交流を深めていった点である。居酒屋の名称UZUもアメノウズメノミコトから取り、神田明神の宮司に「神降ろし」をしてもらったという。そのような中で、とりわけ大きな影響を与えたのは「水の波動」研究者、スピリッチュアルマスターと自称する故・江本勝らしい。江本との関係は昭恵のみでなく、むしろ安倍家自体が深く、つきあいは晋太郎の代からという。
(続く)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://tnakano1947.asablo.jp/blog/2017/03/07/8394921/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。